情報技術に通じているか否かで、社会的あるいは経済的に格差が生じるとされる問題。パソコンやインターネットの普及を背景に顕在化してきた。元々は社会問題として広くとらえる概念だが、企業内においてもパソコン操作や情報活用などの能力によって処遇に差が生じ始めており、デジタル・デバイドの新たな側面になっている。
仕事にパソコンをバリバリと使いこなす営業マンのA氏。担当エリアの実績や顧客のデータを細かく分析したり、インターネットで業界の最新動向を収集するなどお手のもの。彼の企画する販促計画は説得力があり、それなりの効果を伴うことから社内でも一目置かれる存在です。出張時の新幹線や宿の手配もパソコンから済ませ、いつも涼しい顔。
一方の営業マンB氏は、いまだに“勘と経験と根性”に頼るタイプ。表計算ソフトは足し算と掛け算しか用途を知らず、日報や月報をまとめるには慣れた電卓につい手が伸びてしまいます。やっかいなのが電子メール。電話だと言いたいことがスラスラ出てくるのに、いざ文章で表現すると上司から「支離滅裂」と酷評されてしまいます。
企業が情報活用による戦略的な経営を標榜するなかで、2人の評価には差がつき始めました。勘が当たった時には大きな実績を残すB氏でしたが、長期的な視点ではA氏のほうが圧倒的に生産性が高いからです。当然のことながら、昇給や昇格の面でも徐々に開きが生じるようになりました。
このように情報技術に通じているか否かによって処遇に格差が生じることをデジタル・デバイドと呼びます。
◆背景
ルーツは米国の社会問題
デジタル・デバイドという言葉は、情報先進国でありながら国民の生活レベルの格差が激しい米国で生まれました。所得や学歴、地域などによってパソコンやインターネットの利用環境に格差が生じ、それが再び所得や学歴格差を広げるという悪循環を生む構図を示した言葉です。
国民の教育や生活のレベルに大きな差がなく、パソコンやインターネットがやっと普及してきた段階の日本においては、社会問題としてのデジタル・デバイドはさほど騒がれてはいません。むしろ冒頭の例で見たように、パソコンやインターネットを十分に使いこなせるかどうかが企業における個人の評価に差を生んでいる現象をデジタル・デバイドの意味としてとらえる傾向が強まっています。
個人間の情報リテラシーの差だけが問題ではありません。ライバル企業同士、あるいは同じ会社の中でも部署間などで情報武装のレベルに差があり、それが結果的に売り上げや生産性、評価などの格差を生んでいるとすれば、すべてデジタル・デバイドと言えるでしょう。
◆対策
操作技能ではなく実務能力に焦点
ここで注意すべきは、デジタル・デバイドの本質は単にパソコンやインターネットを「使える環境かどうか」だけではないという点です。パソコンで分析した結果や、インターネットで収集した情報を「業務に的確に応用できるかどうか」を評価ポイントとして重要視しているのです。ビジネスセンスを磨く努力を怠っていては、デジタル・デバイドで“取り残される側”になってしまうことは間違いありません。