表1●主なアクセシビリティ関連の法律や指針
写真●米ロサンゼルスで開催されたコンファレンス「CSUN」の展示
カメラの画像から視線の方向を認識し、キーボードを使わずに文字を入力できる米タッシュのソフト「Camera Mouse」(a)や、振動で障害物の存在を伝える豪サウンドフォーサイトの視覚障害者用の杖「Ultra Cane」(b)、(c)が展示されていた。
図5●JISガイドラインの概要
「Guide71」の日本版「JIS Z8071」のもとに、国内における共通指針、さらに「情報処理装置」、「ウェブコンテンツ」に関する個別指針が定められる
表2●JIS X8341-3(Webコンテンツ)の主な内容
図6●“究極のリモコン”を目指すURC(Universal Remote Console)
手持ちの携帯電話などで多くの機器を操作可能。機器側に多種多様な障害に対応した入力機器を備える必要がないのが利点だ。URCに音声認識/合成機能を組み込むことも想定する
 4月21日、トヨタ自動車の張富士夫社長は記者会見で、「21世紀のキーワードは環境、安全、そしてユニバーサル・デザイン」と語ったそうだ。松下電器産業の中村邦夫社長もユニバーサル・デザインに基づく製品作りを全社的なポリシーに据えたという。

 ユニバーサル・デザインとは、高齢者や障害者を含む、幅広いユーザーに配慮する設計思想のこと。アクセシビリティとほぼ同じ意味である。すでに成人人口の50%が50歳を超えた日本では、シニア市場がかつてない規模に育ってきた。2人の経営者はこうした市場変化をきちんととらえ、先見的なビジョンを示したといえるだろう。

流れを決めた米国の「508条」

 ただし、日本と欧米各国との間には、アクセシビリティへの取り組みにおいて約四半世紀の差があることを覚えておく必要がある。

 特に米国では、小中学校や高等教育における障害者の受け入れが1975年に法制化されて以来、早くから職場や教育現場でのアクセシビリティへの取り組みが進んだ。合言葉は「インクルージョン」、つまり社会における多様な人々の統合だ。米国人は、学校で障害を持つ子供とともに育ち、職場では障害を持つ同僚が当然のようにいる環境で生きてきたのである。

 米国は法律の整備でも先行している(表1[拡大表示])。1990年に、障害を公民権の一環とするADA法(障害を持つ米国人法)と、13インチ以上のテレビに字幕デコーダの内蔵を義務付ける「テレビ・デコーダ回路法」が成立。1996年には、パソコンや電話機などの機器メーカーにアクセシビリティの確保を義務付ける「通信法255条」が成立した。

 2001年6月21日には、現在まで続くアクセシビリティ重視の流れを決定付ける法律が生まれた。「リハビリテーション法508条」、いわゆる508条である。この法律は、障害を持つ米連邦政府職員約16万7000人の存在を背景に生まれた。508条が制定されて以降、パソコンなどのIT機器を調達する際にアクセシビリティの確保を条件とする義務が、すべての政府機関に生じた。加えて、政府機関はアクセシビリティを確保しなければWebサイトを公開できなくなった。508条に違反した調達担当者に対しては訴追が可能になり、Webサイト運営者には改善命令が下される。

 州政府や公的機関の多くも、現在では連邦政府の方針に準じて、同様の政策を採っている。民間企業では、自社サイトをアクセシビリティに配慮して構築するのが常識となってきた。大企業の中には米政府と同様、機器やサービスの調達基準にアクセシビリティを取り入れる動きも出ている。

商機に群がる民間企業

 508条に最も敏感に反応したのはITベンダーだ。何しろ、IT分野で世界最大のユーザーである米国政府が、「アクセシビリティに配慮した製品でなければ買わない」と明言したのである。これを絶好の商機ととらえ、政府などにアクセシビリティ関連商品やサービスの売り込む企業が多く現れた。

 こうした企業の代表格が米IBMだ。同社は1999年に「すべての製品開発担当者がアクセシビリティに配慮しなければならない」という方針を決定。2002年には、ワシントン市郊外に「IBM Government Solutions Center」を開設した。ATM(現金自動預け払い機)や音声認識/合成ソフトなど、アクセシビリティに配慮した製品を備え、政府機関などの大口顧客を招いて説明している。

 ベンチャー企業による508条関連ビジネスも花盛りだ。その1社、米クライテリオン508ソリューションズは、発売前の製品や公開前のWebサイトを企業に代わって審査する。合格なら公的機関が認定した508条への適合証明書を発行し、不合格の場合はコンサルティングを提供する。

日本企業にも対応迫る

 日本企業が海外で事業を展開する際には、508条のような規制があることを配慮すべき“常識”の一つとして知っておく必要がある。英国やオーストラリア、ポルトガルなどにも、508条と同様の規制が存在する。EU(欧州連合)も法案を検討している。

 こうした現地の規制に合致しなければ、海外ではパソコンも携帯電話も売れない。また、アクセシビリティに配慮しないWebサイトをいつまでも掲げていると、企業のブランドに傷が付く。「知らなかった」ではすまされない。

 かつて日本の自動車メーカーは、世界一厳しかった米カリフォルニア州の排ガス規制を技術開発によってクリアし、米国市場に確固とした足場を築いた。日本のIT企業がグローバルに発展するためには、これを手本として、真剣にアクセシビリティに取り組む必要があるだろう。

最先端製品が集まるカンファレンス

 筆者は、米ロサンゼルスで今年3月に開催されたカンファレンス「CSUN(シーサン)(障害者とテクノロジ会議)」に参加し、米国でのアクセシビリティに対する熱気を肌で感じることができた注3)。CSUNは、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校が1986年から毎年開催しており、今年の参加者は4000人以上、出展企業は350社を超えた。常連のIBMや米マイクロソフトに加え、今年は松下電器の米国法人が初めて出展し、高齢者や障害者に配慮した電話機などを展示して多くの訪問者を集めていた。

 CSUNでは、未来型のユーザー・インタフェースや、ユビキタス技術が人にどんなに貢献できるかを実感できる(前ページの写真[拡大表示])。例えば、キーボードを使わずに視線だけで文字を入力できるパソコン・ソフト。重度の運動障害者向けの商品で日本で目にすることは少ないが、CSUN会場には10種類近く展示されていた。価格は700ドル前後と、日本よりひとケタ安い。

日本でもIT業界主導で規格策定

 アクセシビリティの制度化で米国に後れをとっている日本だが、もうすぐ情報に対する本格的なJIS(日本工業規格)が出そろう予定だ。「海外と全く異なるアクセシビリティ基準が国内で制定されると、商品開発のコストがかさんでしまう」と考えたIT業界が、標準化に動いたのである。

 JIS規格は、2001年にISO(国際標準化機構)などが策定した「Guide71」と、その日本版である「JIS Z8071」に準拠している。Guide71はアクセシビリティの規格作りにおける検討課題を整理した、いわば「ガイドのガイド」である。今回まとまった「JIS X8341」は、日本国内における共通指針(第1部)と、二つの個別指針(第2部、第3部)で構成される(図5[拡大表示])。第1部と第2部は5月20日に公開済みで、第3部が6月20日に公開される予定だ。

 このうち、ソフト開発者や企業の情報システム部門の業務と関連が強いのは、第2部と第3部である。第2部の「情報処理装置に関する個別指針」は、コンピュータなどのハード/ソフト向けにガイドラインを規定している。「Webコンテンツに関する個別指針」をまとめた第3部は、「画像が見えない人のために、音声ブラウザで読める代替テキストを提供する」などと規定する(表2[拡大表示])。

 JIS規格は米国の508条と違い、それ自体に法的拘束力はない。しかし、政府や自治体は調達基準を作る際に、JISなどの標準規格への準拠を重視してきた経緯があり、その影響力は決して小さくない。日常業務の中で高齢者、障害者への対応を迫られる家電メーカーや鉄道会社を中心に、民間企業の関心は徐々に高まりつつある。

「究極のリモコン」を実現できる

 将来を見据えた野心的な技術開発も進みつつある。パソコンやWebサイトに限らず、テレビ、ATM、エレベーター、電子レンジなど、あらゆる機器に対するアクセシビリティの実現を狙う「V2」と呼ぶ規格である。

 現在、IBM、米サン・マイクロシステムズなどが中心となり、ANSI(米国規格協会)の場でV2の仕様を策定中。松下電器の米国法人も参加している。早ければ6月中に最初のバージョンが完成する見込みだ。今後、ISOへの提案を予定している。

 V2は、携帯電話やPDAに小規模のソフトを組み込むことで、これらの端末を「究極の汎用リモコン」に変える(図6[拡大表示])。端末は「URC(Universal Remote Console)」と呼ばれる。URCをテレビなどの「ターゲット機器」に近づけると、そのたびにURCに組み込まれたソフトが適切な操作画面を自動生成して、URCをリモコンに変身させる。ターゲット機器との通信には無線LANやBluetoothを使い、「再生」や「停止」といった制御情報はXMLでやりとりする。

 音声認識/合成や、点字入出力の機能を持った端末もURCとして使えるので、障害者は自分に合う操作方法を選べる。健常者が海外旅行の際に、母国語の端末でホテルの家電をコントロールすることもできる。

 なかでも最大の利点は、機器メーカーの負荷を低減できることだ。機器にURCとのインタフェース機能を搭載するだけで、視覚や聴覚などさまざまな身体障害に応じたアクセシビリティを実現できるようになる。実用化への道のりはまだ遠いが、実現すればユーザーとメーカーの双方にとって朗報だ。

 日本企業は、V2のような海外のアクセシビリティ関連規格に、もっと関心を持つべきである。「世の中のため」ばかりではない。新たに「アクセシビリティに名を借りた非関税障壁」ができる可能性が否定できないからだ。日本メーカーの技術者の多くは、いまだに「アクセシビリティ=社会福祉」との固定観念を抱いており、この分野で進む標準化活動に対する関心が低いように思える。実際には、アクセシビリティは携帯電話や家電の技術と密接に結びついているのだが、その事実は見落とされがちだ。

 508条以降、米国政府との商談で苦戦している日本メーカーが多いと聞く。より多くの日本企業がアクセシビリティへの理解を深め、自ら標準化の主導権を取れるようになっていくことが望ましい。


関根千佳

日本IBM SNSセンター課長を経て、ユーディット(情報のユニバーサルデザイン研究所)を設立。現在、代表取締役。IT分野におけるユニバーサル・デザインとアクセシビリティに関する調査・研究・コンサルティングを手がける。http://www.udit.jp/

榊原直樹

NTTアドバンステクノロジを経て、現在ユーディット主任研究員。