情報アクセシビリティとは、コンピュータやソフトウエア、Webサイトが提供する情報に対するアクセスのしやすさのこと。簡単な例を挙げると、Webサイトなら「小さい文字やコントラストの低い配色を避け、視認性を高める」といったことを指す。高齢者や身体障害者を含む、すべての人に使いやすい設計を実現するのが狙いだ。
情報アクセシビリティの分野では、米IBMなどの海外企業が研究開発や事業展開で先行している。日本でもここ2、3年、富士通やNEC、日立製作所といった大手メーカーが中心となって取り組みを進めている(図1[拡大表示])。各社が力を入れているのは、Webサイトのアクセシビリティだ。インターネットが、高齢者や障害者の社会生活にとって欠かせないインフラとして認知されてきた影響が大きい。
JIS制定がベンダーの受注に影響
日本規格協会の策定する標準規格「JIS X8341」が、情報アクセシビリティをいっそう普及させるきっかけになりそうだ。JIS X8341は、この分野で国内初の詳細なガイドライン。5月20日に第1部と第2部を、6月20日に第3部を公開する予定である(詳細は本号162ページ参照)。
JIS X8341には、大手企業のWebサイト担当者やシステム構築を手がけるベンダーが注目している。特にITベンダーの場合、JIS規格の制定は一般企業以上に重要な意味を持つ。JISは法律による強制はないものの「官公庁や自治体の調達にとっては強制に等しい影響力を持つ」(沖電気工業グループのWeb制作会社、沖ワークウェルの津田貴 取締役事業部長)からだ。アクセシビリティへの取り組みが遅れると、システム開発案件をめぐる受注競争の際に不利になりかねない。アクセシビリティを調達条件の一つとする動きは、自治体以外にも、幅広い顧客を抱える鉄道や金融などの企業、そして一般企業へと広がりそうだ。
すでに欧米では、社会貢献活動としての長い歴史を経て、政府によるアクセシビリティの制度化、関連法の整備が進んでいる。現在では、多くの民間企業が自らの意志でアクセシビリティに取り組んでおり、関連商品やサービスの市場が拡大し始めた(図2[拡大表示])。社会貢献活動の歴史が浅い日本ではアクセシビリティの普及が米国に比べて滞りがちだったが、JISの制定を機に風向きが変わりつつある。
NECグループのデザイン部門で、アクセシビリティ戦略立案を担当するNECデザインの池田千登勢クリエイティブマネージャーは、「アクセシビリティは付加価値そのもの。最近では『受注に響くから仕方なく対策する』のではなく『シニア市場を狙ううえで、取り組んでおかないと損をする』という考え方が、グループ全体に広がりつつある」と話す。
各社がWebサイトの見直し進める
日立は昨年4月から1年半の予定で、Webサイトのアクセシビリティ改善に取り組んでいる。すでに本社のWebサイト約6万ページのうち、約7割でアクセシビリティを点検し改良した。「今年9月までに全ページの見直しを終える」(ブランド戦略室 Web戦略センタの橋本和徳センタ長)。
富士通やNECも、JIS制定前からWebサイトのアクセシビリティに関する社内ガイドラインを独自に策定し、これに準拠したWebサイト作りを進めてきた。Web関連技術の標準化団体、W3C(World Wide Web Consortium)のガイドラインなどを参考にした。
富士通は、新たに構築するWebサイトを中心に、徹底的にアクセシビリティをチェックする体制を整えた。同社のWebコンテンツは国内のグループ会社を合わせて10万ページに上る。2002年6月には「富士通ウェブ・アクセシビリティ指針」を策定。背景色と文字色のコントラスト、文字サイズなどについて詳細なルールを定めた。
NECも富士通と同時期の2002年7月に「アクセシビリティ・ガイドライン」を作成。ハードウエア、ソフトウエア、Webサイト、顧客サポートなどのコミュニケーションの4分野に関して、合計63項目のチェック・リストを作成した。Webサイトについては「モノクロの画面や印刷でも分かりやすい表示にする」といった、明快な言葉で規則を決めてある。
これらのベンダーにとって、自社のWebサイトは顧客に対して自らの技術力やデザイン力を示すショーケースでもある。各社とも、アクセシビリティに関する構築ノウハウがあることを自社のWebサイトでアピールしている。今後は、システム構築案件の獲得につなげたい考えだ。
デザイン性との両立は可能
Webサイトのアクセシビリティに取り組まなければならないのは、一般企業のWeb担当者も同じ。ただし、その際に乗り越えるべき障壁がいくつかある。
まず、デザイン性との両立だ。「アクセシビリティに配慮するとWebページのデザインを損なうのではないか」と懸念する、企業のWebサイト担当者やWebデザイナは少なくない。音声ブラウザを含めた多くのブラウザに対応させようとすると、文字中心の味気ないWebページが量産され、デザインが損われてしまう可能性があるからだ注1)。
しかし、アクセシビリティとデザインを両立する方法はいくつもある。例えば、視覚障害者用の音声ブラウザの使用を困難にする「table」タグの多用を避け、代わりにCSS(Cascading Style Sheet)を使ってレイアウトすればよい。
マクロメディアのリッチ・クライアント技術「Flash」を使う場合も、工夫次第でアクセシビリティを確保できる。
Flashコンテンツは一般に、あらかじめ決まったサイズで作られ、文字の大きさを変更できないことが多い。しかし、制作者が工夫すれば、大きな文字で見たいユーザーのために、ウインドウの拡大・縮小に応じて文字の大きさが変わるようにできる(図3[拡大表示])。画面全体のレイアウトを損ねていないところがミソだ。マクロメディアのオーサリング・ツール(「Flash MX」以降)を使えば、コンテンツのボタンなどに、音声ブラウザで読み上げるための代替テキストを張り付けることも可能だ。
他の作業の「ついで」に点検
Webサイトでアクセシビリティを実現する際のもう一つの障害は、Webサイトの作成時に余計な手間が発生するので、作業の負荷が大きいことだ。
この場合も、工夫次第で負荷を最小限に抑えられる。コツは、Webサイト構築の工程(フロー)のなかに、アクセシビリティに関する作業を組み込むことだ。最初からアクセシビリティを考慮した設計を心がけるとともに、誤字やリンク切れを調べる際にアクセシビリティもチェックするようにすれば、従来のWebサイト構築フローを少し変更するだけですむ。
図4[拡大表示]は、アクセシビリティに配慮したWebサイト構築フローの一例である。富士通の事例を基にしている。アクセシビリティを確保するために、三つの工程を設けている。しかし、実際にはいずれも他の作業の「ついで」に実施する項目ばかりである。自社製のWebページ解析ツールをうまく生かして、誤字やリンク切れなどのチェック作業を同時に実行している注2)。
富士通は本社およびグループ企業に、Webサイト構築でのアクセシビリティの実現を徹底させるために、グループ内のWebサイトの管理体制を整備し、サブサイトやコーナーを追加する際の手順を標準化した。以前は、各部門の担当者が必要に応じてWebサイトをバラバラに立ち上げていたが、現在は「コーポレートブランド室」でWebサイトを管理する体制に移行している。
マイクロソフトで情報アクセシビリティ技術の開発や戦略立案を担当している、技術企画室の細田和也氏は、視覚障害を持つエンジニアである。「印刷物を読むことが難しい私にとって、インターネットと音声ブラウザはまさしく生活を変えてくれた存在」と、細田氏は話す。情報アクセシビリティへの取り組みがビジネスに直結している場合も多いが、何よりの動機付けになるのは、細田氏のような人びとの存在ではないだろうか。
ここまで、アクセシビリティをめぐる国内企業の動きについてまとめた。後半では専門家の寄稿により、米国の最新事情と日本のJIS規格の標準化動向を紹介する。