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前田 裕氏(まえだ・ゆたか)
1968年(昭43年)慶大工卒、沖電気工業入社。情報通信システム推進センタ長、金融システム事業部長などを経て、98年取締役、00年常務。東京都出身。58歳。
 「生産拠点の活気や製品の好調な売れ行きを見ていると、『中国市場はすごい』と身をもって感じる。少なくとも2008年の北京五輪、2010年の上海万博までは成長が続くだろう」。沖電気工業で中国事業を統括する前田裕常務は、こう語る。同社は2002年度、中国市場で半導体とプリンタを中心に約100億円を売り上げた。2003年度は倍増の200億円を見込んでいる。2003年4月に発売したCTIシステム「CTstage」中国語版などが寄与するとみている。

 だが、沖電気が中国事業を軌道に乗せるまでには、並ならぬ苦労があった。政策や市場に関する情報不足、中国独特の商習慣、次々に現れる模造品、そして外資に対する参入障壁・・・。同社の中国事業の歴史は、頻発する問題に対する戦いの歴史でもある。

●日本と異なる事業モデルが必要

 沖電気が中国事業を本格化させたのは、2002年4月に本社内に中国ビジネス推進室を新設して以降のことだ。この組織は、グループ内で関連情報を共有し、戦略の足並みをそろえるためのもの。現金自動預け払い機(ATM)や構内交換機(PBX)の生産など、個々の部門でばらばらに展開していた体制を改め、生産、販売、研究開発の各分野でグループ内の事業部門同士が連携する体制を作り上げた。

 併せて、前田常務をはじめとする推進室メンバーは“情報武装”を図った。中国の法制度や税制、債権回収の手法などについて同推進室を中心に研究した。社外の専門家によるレクチャーも受けた。

 中国ビジネス推進室の試金石になるのが、2003年中の中国発売を目指すATM事業だ。

 中国では都市部を中心に、日本と同様の機械による24時間の現金引き出しサービスを実施する銀行が多くある。しかし現在は、預け入れのできない現金自動支払機(CD)が中心。その大半は最高額の100元紙幣しか引き出せないなど、サービスの内容は日本より劣る。

 だが、中国各行もここ1~2年でサービスの充実を重要な経営課題の1つととらえ始めた。中国政府が規制緩和を進めた結果、シティバンク(花旗銀行)や香港上海銀行(HSBC=匯豊銀行)といった外資系の銀行も、徐々に事業範囲を広げつつあり、国内行は危機感を強めている。沖電気はこうした動きをビジネス・チャンスととらえ、中国ATM事業への参入を決めた。「今後は豊富なサービスを提供できる、多機能なATMの需要が拡大する」と前田常務は期待する。

 しかし中国でATM事業を拡大するには、越えなければならない壁がある。日中のATM/CD事業モデルの違いだ。日本では、メーカー傘下のメンテナンス会社がATM/CDの保守を担当するのが普通だ。ATM/CD導入時に安さを競っても、導入後の保守サービスで利益を得て、全体として採算を合わせられる。

 これに対し中国では、銀行の多くが自前のメンテナンス会社を傘下に持つ。ただでさえ中国市場では、日系のATMメーカーだけでなく欧米企業ともしのぎを削っている。採算を半ば度外視して導入時の競争を勝ち抜いたとしても、保守サービスによる利益は期待できない。

 そこで沖電気は、ATMの遠隔保守システムを活用する方法を考えている。各銀行の本店に、ATMを監視するサーバーを設置。各地にあるATMの動作状況や消耗品残量を確認したり、ATMに対し機能をアップグレードするプログラムを送信したりする。この監視サーバーに入っている保守データを更新する際に、更新料を徴収するという事業モデルである。

 このモデルであれば、ハードウエアの保守は銀行傘下のメンテナンス会社に任せても、ソフトウエアの保守や更新は沖電気が担当でき、収益を確保する余地が生まれる。

●WTO加盟したが・・・模造品、痛しかゆし

 保守サービスの事業モデルにまつわる問題は、プリンタ事業にも当てはまる。沖電気は同じく2003年中に、金融機関などで使用する帳票印刷用プリンタの中国向け販売を開始する予定である。日本の場合、インクやトナーといった消耗品の売り上げが、プリンタ事業の採算を確保する貴重な収入源だ。しかし中国では、地元メーカーの格安な模造品が幅を利かせており、「我々としては痛しかゆしだ」(前田常務)。

 「模造品を排除するために、消耗品が純正か模造品かを識別する仕組みを導入することは、技術的に可能である。しかし中国の場合、こうしたプロテクト機能を追加すると、逆に独占禁止法で制裁を受けかねないのが現状」と前田常務は明かす。沖電気は悪質な模造品業者を見つけ次第、裁判を起こしており、「常に数カ所で裁判を抱えている状態」。とはいえ、勝訴しても、同社の損害に対する賠償命令が出るケースはまれという。

 中国の世界貿易機関(WTO)加盟から1年半が経過し、外資の参入障壁は徐々に改善されつつあると言われる。だが現実は厳しい。前田常務の悩みはしばらく続きそうだ。

●「中国事業、準備に3年かけるべき」

 世界中の企業が我先にと中国事業に積極的な姿勢を見せるのに対し、沖電気の動きはじれったくなるほど慎重だ。

 前田常務は「中国の場合、どんな事業をやるにしても3年はかかると見ておいた方がいい」と考えている。数カ月や1年といった目先のこととして事業を考えるのではなく、数年先を見越して進出計画を考え、将来自社のパートナになりそうな現地企業を探しておく。「政府が規制を課している事業分野でも、数年後に規制が緩和されたと同時にビジネスを展開できるよう、将来の商機に狙いを定める」という。

 前田常務の目は、自社製品に対しても厳しい。「中国向けに販売する商品は、大きく分けて2種類ある。1つは日本市場で高いシェアを獲得している製品。もう1つは世界各国で販売している製品だ。前者はCTstageなど、後者はプリンタ、通信機器、半導体などが当てはまる。いろいろな商品に手を広げず、利益率の高い商品に絞り込んでいる。無駄な投資や販売活動はしない」という。

 もちろん同社は今後も、中国事業を拡大していく考えだ。「最近は中国版PHS(小霊通)の急速な普及に伴い、関連部品の引き合いが殺到している。また少々意外だったが、遠隔監視システムの構築に使うメディア・サーバーに対する引き合いが多い」と語る。中国に半導体のデザイン・センターを開設したり、中国の鉄道や航空などの運輸業界を対象に、発券プリンタなどの製品を拡販する計画もある。

 だが、いくら巨大な市場が控えていても、短期的な利益確保のための投資はしない。中国向けのPHS事業も、「政府の政策変更次第で、市場がなくなる可能性がある」として、これ以上の拡大は避ける方針だ。

●SARSの影響は「限定的」

 こうした慎重な姿勢が功を奏したのが新型肺炎、重症急性呼吸器症候群(SARS=サーズ)への対策だ。

 沖電気の場合、現在はタイにあるLEDプリンタの生産拠点を深センに移転させる計画があるが、SARSの影響で凍結を余儀なくされた。このほか、工場の操業停止に備え在庫積み増し、日本国内の代替生産ラインの確保、駐在員家族の帰国などの措置をとった。

 それでも前田常務は「今のところ影響は限定的」と語る。「固定費が経営上の負担となるリスクを考え、中国で100億円、200億円というような大型投資は絶対にしないと決めて事業を続けてきた。今回のSARSの件でも、もし100億円単位の投資を中国で実施していたら、大問題になっていたはず。他の外資系電機メーカーに比べれば、大きな問題を抱え込むような事態は避けられている」と考えている。

 「中国に限らず、どの地域にもカントリー・リスクは存在する。しかしそれを必要以上に深刻に考えることはない」と明言する前田常務。突然の“中国リスク”に各社が委縮するなか、前田常務の目はすでに“SARS以後”の中国へ向いている。

金子 寛人=日経コンピュータ