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 3月20日,3連休2日目の日曜日。次男の高校の卒業式に出かけた。武蔵野の一角にある学校にふさわしいケヤキ並木を通り,校舎を抜けて講堂へ向かう。父兄会ではあまり見かけなかった父親もたくさん来ている。ちなみに筆者は父兄会によく出ていた。次男と三男のふたりがお世話になっているため,嫁さんが次男,私が三男のクラスに出席していたからだ。

 古びた教室の小さな机にすわって先生の話を聞くのは,自分が高校時代に戻ったような気分になり,たまにはいいものだ。次男が卒業すると,嫁さん一人でこと足りるため,私が学校に来る機会はめっきり減るだろう。

 卒業式は簡素でよかった。演台には,校旗と一脚の生花が飾られているだけ。何よりいいのは,来賓の祝辞や祝電披露など一切なかったことだ。卒業証書の授与,学院長(校長のことをこう呼ぶ)式辞,大学代表者の祝辞,校歌斉唱,これだけだった。

 気持ちのいい卒業式が終わって自宅に帰り,翌21日の未明に控えているネットワーク移行の立会いに出かけた。これは,絶対失敗できない移行だ。今回は失敗しないために必要な,踏み込みの大切さについて述べたい。

移行手順書を再レビュー

 このプロジェクトはプロジェクト・リーダー以下,10数名の設計チームと工事展開チームから成る。ネットワーク構築としては大きなプロジェクトだ。ふつうの移行工事なら,筆者が現場に出なくてもプロジェクト・リーダーに任せておけばいいのだが,絶対に失敗が許されない状況になった。感心できる状況ではないということだ。

 移行5日前に移行手順書の再レビューを行った。すでに現場でのレビューは終わっていたが,筆者とプロジェクト外の技術者が加わって再レビューをすることにした。第三者の目でチェックするためだ。プロジェクト・メンバーだけのレビューでは,時として基本的なところで検討不足やもれが生じることがある。当事者として一生懸命検討して手順書を作っているのだが,当事者だからこそ冷静に見られなくなることもあるからだ。

 手順書には事前作業手順,接続変更作業手順,確認試験作業手順,切り戻し手順,作業場所,ラック搭載図など,さまざまなことが書かれている。が,筆者がチェックするポイントは二つしかない。人と時間が十分か,ということだ。

 まずは体制図で人をチェック。人の配置と連絡ルートを確認する。体制図はプロジェクト・メンバーだけで構成されていたが,不測の事態に備えて,プロジェクト外のメンバーも配置することにした。次はタイム・スケジュールの確認だ。移行作業の大きな流れは,事前準備作業→ネットワークの停止→移行作業の実施→ネットワーク確認試験→移行判定1→アプリケーション確認試験→移行最終判定となる。

 移行判定1はネットワーク・レベルでの移行の正常性を確認するものであり,最終判定はアプリケーション・レベルまでの確認をするものだ。移行判定でNGの場合はその原因を解析してリカバリーするか,切り戻して移行前の状態にするかを判断する。切り戻しを決定した場合は切り戻し手順を実行し,切り戻しの確認試験と移行判定を行う。

 タイム・スケジュールの確認に入って,移行作業の時間がどうの,切り戻しの時間がどうのとホワイトボードを前に議論するが,20分たっても30分たっても結論が出ない。とうとう私が口を開いた。「作業開始時間を1時間早めればいいじゃないか」。時間に不足があるから,どんなタイム・スケジュールを組もうとしてもうまく入らないのだ。移行完了のタイムリミットは決まっており,それまでに移行を成功させるか,万一失敗したら元の状態に切り戻さねばならない。延長ができないなら,開始時間を前倒しするしかない。移行開始時間も無制限に前倒しできるわけではなく,オンライン業務が動いている間は作業を開始できない。オンラインを停止できる時間を、すぐその場でユーザーに確認し,移行作業開始時間を1時間早めることにした。これで「人」と「時間」の確保ができた。

一歩の踏み込みの大切さ

 人と時間のチェックが終われば,接続変更手順やコンフィギュレーションなど詳細な確認に入る。ここから後に筆者の出番はない。プロジェクト内のSEとプロジェクト外のSEがひざを突き合わせてチェックする。再レビューの翌日には移行手順書の最終版が出来上がり,後は移行当日を迎えるだけになった。

 そして21日未明,移行作業を開始。移行判定1が夜明けごろに完了,朝日が明るくなったころアプリケーション確認試験が完了した。ノートラブルだ。

 移行時のトラブルはどんなものでも,もう少し時間があれば,もうちょっと手間をかけてチェックしておけば,という「もう一歩」が足りなかったために起こるものがほとんどだ。ほぼ完ぺきに準備ができていても,最後の詰めが甘いと台なしになってしまう。そうならないために大切なのは,「あと一歩の踏み込み」だ。これで本当に十分だろうか,と最後に念を入れて自分たちの考えた手順を疑ってみる周到さが成功をもたらす。

 その踏み込みができるかどうかは,何で決まるのだろうか。それには人と時間だけでなく,もう一つ必要なものがある。それは「気持ち」だ。ここ一番という時を知りメンバーが集中しないと,よい仕事はできない。

 今回の移行の成功でこのプロジェクトによいリズムができればいいと,筆者は願っている。このプロジェクトでは段階的に何度も移行を繰り返して,ネットワークを構築していく。節目,節目で集中し,それがプロジェクト全体のよいリズムになると大きな成功につながっていく。

 移行日当日,結局筆者は立ち会っただけで,何の仕事もしなかった。幸いなことだ。待機している間,あらためて手順書を見直した。まだまだ書き方や内容で改善する余地はある。移行が終わって帰る前に,主要なメンバーとそのことを話した。次の移行工事まで約1カ月。明日からは新しい目標に向けての改善と準備が始まる。

ホワイトホール

 卒業式の話に戻る。この卒業式には3人のヒーローがいた。1人目は学院長だ。式辞が秀逸だった。話の題材が面白く,長過ぎず,そして声が深みのあるいい声だった。題材はピーター・ラッセルの『ホワイトホール・イン・タイム』という本からの引用だ。以下,筆者のフィルタをかけて要約すると次のようになる。

◇            ◇            ◇

 ホワイトホールとは,文明のあらゆる側面が加速度をつけて一定の方向に突き進んでいる,という見方だ。例えば通信の世界で江戸時代における100年間の通信手段の進化と,最近の10年間の進化を比較すると,それがよく分かる。電話などなかった時代の通信は,100年間ほとんど進化がなかった。しかし,この10年間で一人ひとりが電話を持ち,次々と機種を変更するようになった。いいことか悪いことかは別として,加速度的に進化しているのは事実だ。

 ホワイトホールでは,あらゆるものが加速度的に変化している。それはどうも,地球環境の悪化や経済の不安定化など,よい方向とは言えないようだ。卒業生諸君が社会の中心になるころ,地球の状況がどうなるのか大いに危惧される。そんな変化を生んだのは卒業生諸君の先輩である我々の責任だが,卒業生諸君はそれを打破していかなければならない。

 そのために自身が社会の構成員であることを自覚し,自分自身のビジョンを持ってよい方向に変化するよう努力してほしい。

◇            ◇            ◇

 教育者のビジョンとは大きなものだ,と感心した。あと2人のヒーローは卒業生だ。クラス代表が順番に卒業証書を受け取るのだが,12人のクラス代表のうち,10人は無言で受け取った。しかし,2人の代表は証書を受け取って会場の生徒たちの方を振り向き,大きく叫んだ。

 「〇組の皆んな,3年間楽しかった。ありがとう!」。ほかにもいろいろ叫んでいるのだが,言葉として聞き取れなかった。だが,その嬉しさと感激は十分伝わってきた。会場全体から大きな拍手と歓声がわき上がった。

 卒業生も,父兄も嬉しくてしょうがないのだ。その気持ちを声に出したいのだ。その気持ちに2人の卒業生は突破口を作った。喜びを共有し,それを表出する機会を作ったのだ。冒頭に「気持ちのいい卒業式」と書けたのは彼らのおかげだ。こんな若者がいる限り,ホワイトホールも悪いものにはならないだろう。

(松田 次博)

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