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 12月18日,気持ちよく晴れた土曜の朝,私の主宰する情報化研究会20周年記念大会を開催するため,お台場の日本科学未来館に出かけた。日本科学未来館は2001年にできた施設で,宇宙飛行士の毛利衛さんが館長を務めている。「科学,そして科学技術とは私たちにとって何かを考える場」だそうだ。しかし,情報化研究会にはそんなコンセプトは無関係で,会員のUさんが,できるだけ安くて便利な会場をということで見つけてくれたのだ。交通の便は決して良くないが,会場の7階会議室はきれいでプロジェクタなどの設備も整っていた。

 私は1週間前にカゼをひいて,7割の体調,声はかすれていた。ちゃんと会ができるかプレッシャがあった。遠く京都,大阪,名古屋,仙台から,自費参加する方が何人もいる。12月2日のInternetWeek講演を聞いてくれたYさんも来ている。私が話せず,「すみません」では済まない。

 午後1時15分,20年間一緒に勉強したり遊んだりしてきたCSK代表取締役副会長の有賀貞一さんや弁護士の萬幸男さんなど古くからのメンバーが来てくれていること,NTT京都組をはじめ遠くから若手が参加してくれていることが嬉しい,といった趣旨の挨拶をして研究会を始めた。

 有賀さん,国立国際医療センター・医療情報システム開発研究部 部長の秋山昌範さん,私の順で1時間ずつ講演をした。秋山さんは1997年から研究会に参加して頂いている。有賀さんの話は2003年の大会と同様,ソフトウェア生産のエンジニアリング化。この1年のCSKにおける取り組みや成果を紹介された。私のテーマは「企業ネットワークの目指す先−IP電話の次に何をする?」だった。これは,2005年2月に東京ビッグサイトで開かれるNET&COMにおける講演のイントロダクションという位置付けで,IP電話のブームが終わったこと,ここ10年間の企業ネットワークの変遷を振り返り,これからの企業ネットワークをどうすべきか問題提起した。その答えはNET&COM2005で打ち出すつもりだ。

 秋山さんは優秀な医師であると同時に医療情報システムの権威で,システムとネットワークの両方に精通している。オブジェクト指向のプログラムを自分で書けるという天才肌の人だが,技術に偏った人ではなく常にニーズ,目的指向で発想できる人だ。今回は秋山さんの講演を題材に「目的指向」について書きたい。

POASとは

 秋山さんは国立国際医療センターで2002年に医療行為の実施時点管理を実現するPOAS(Point Of ACT System)を完成させた。目的は医療過誤対策,病院の業務改善・経営改善,医療行為のデータ・マイニングによるEBM(Evidence Based Medicine)だ。その特徴は徹底したリアルタイム処理とデータの一元管理といえる。リアルタイム処理といっても銀行のオンライン・リアルタイム処理などとは意味が違う。伝票をオンラインで即時処理するということではなく,実施時点入力を2秒以内にデータベースに反映することにより,いつ,誰が,どの患者に対して,どんな医療行為を行ったかが文字通りリアルタイムでトレースできるようにしている。

 医療過誤でもっとも多いのは,注射や点滴といった与薬業務だという。例えば抗がん剤は,投薬直前の患者の血液を検査した結果で,内容を急きょ変更しなければならない場合がある。既に投薬オーダーが処理され,後は予定された時刻に投薬するだけだったとする。それが血液検査の結果、調合を変えたり、場合によっては投薬を中止せねばならないことがある。誤って古いオーダーのまま投薬されると,生命にかかわることになる。

 従来の病院システムはリアルタイム性やデータの一元管理に不完全なところがあり,このような医療過誤を防ぐには不十分だったという。例えば医師が参照しているデータベースが原本で,そのレプリケーション(コピー)を看護師が参照して使っている場合,両者にはタイムラグがあるため,医師のオーダー変更はリアルタイムには看護師に伝わらない。秋山さんのシステムはクライアント・サーバー型の2層構造でなく,画面(アプリケーション)-データ構造変換-データベースの3層構造とすることで,一つのデータベースを複数のアプリケーションで利用することを可能にした。医師と看護師が見ているオーダーの内容は常に同じだし,オーダーの変更は2秒以内に反映される。

 実施時点入力とは,医療行為のプロセスごとに,医師や看護師の行為そのものを,薬剤や注射器などのモノの動きとともに記録することだ。例えば,看護師が注射するときにはバーコード・リーダー付きのPDAで,(1)自分のIDカードを読ませ,(2)患者のID番号を読ませ,(3)投与する薬剤に張られたコードを読ませる。これにより,誰が,いつ,何を,誰に投与したかが分かるだけでなく,万一間違った投与をしようとしていても,2秒以内でエラーが返されるため投与ミスの心配がない。

 このシステムは薬剤や器具の物流管理システムでもあり,リアルタイム管理することで「安心在庫」という無駄な在庫を省くことができる。秋山さんの病院では在庫を大幅に削減すると同時に,保有する薬剤の種類を通常の病院の数倍持つという多品種・少量在庫を実現している。キメ細かな薬剤投与は,医療の質そのものを高めることにつながる。

目的指向の徹底がもたらすもの

 秋山さんは,WebブラウザとCORBAによる分散オブジェクト技術でPOASを開発した。秋山さんが相談を持ちかけたベンダーは皆,そんなシステムはできないと主張したという。それに対して秋山さんは,モデルを自分で作って見せ,できることを証明したのだ。メーカーは脱帽して,付いていくしかない。すさまじい情熱と才能だ。

 もとより,秋山さんと同じことを誰でもできるわけではない。しかし,才能だけではできないことなのも確かだ。筆者は,才能以外で重要なのは目的指向の徹底だと思った。目的指向の徹底が,コンピュータの専門家であるはずのベンダーが不可能といったシステムを実現可能にした。目的指向の徹底がもたらすもの,それは「ブレークスルー」だ。

一番大切なこと

 翻って,我々が秋山さんの仕事の仕方を見習おうと考えるとき,一番大切なことは何だろう。答えは簡単。目的指向を徹底するには,正しい目的を発見し,明確化することが一番大切だ。

 拙著「企業ネットワークの設計・構築技法−広域イーサネット/IP電話の高度利用」(日経BP社,2003年刊)では,設計ポリシーの重要性を書いた。筆者はネットワークの設計ポリシーをグランドポリシー,QoSポリシー,セキュリティポリシー,信頼性ポリシー,拡張性ポリシー,運用管理ポリシーの六つで規定している。グランドポリシーで規定するのが「ネットワーク再構築の目的」と「基本方針」。私が秋山さんの目的指向に大いに共感したのは,秋山さんほど高度なことをしていないにしても,考え方の根本は同じだなと感じたからだ。

 私の講演,企業ネットワークの目指す先の答えは,言い換えると企業ネットワークの新しい目的を発見し,明確化することだ。さて,NET&COM2005の講演で皆さんに共感してもらえる「目的」を,提示できるだろうか。テーマは「『逆転の発想』が企業ネットワークを変える−IP電話を超えて」に決めた。皆さんがどんな反応を示すか,今から楽しみだ。

お台場で一本締め

 研究会は午後5時10分前に終わった。仙台から初参加してくれた女性が名刺交換と質問に来て,私のオープン指向に対して疑問をぶつけてくれた。私のオープン指向は言い換えると,「ドミナント否定」だということを伝えたかったが,会場の時間的制約で十分な話ができなかった。帰りの時間があるので打ち上げにも参加できないという。仕事を真面目にやっている方だなあという印象を持った。メールできちんと答えようと思う。

 打ち上げは地中海料理のレストラン。20名あまりが参加した。お店の中は圧倒的に若いカップルが多かったが,子供連れや中年女性のグループもいた。お台場は面白いところだ。NTT京都組の人をはじめ,いろいろな人と,ここだけの話を楽しんだ。

 最後の締めは秋山さんに,関東一本締めをお願いした。パンと大きく手を打つと,一瞬,まわりの若い人たちの視線が集まった。

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松田 次博:情報化研究会主宰。1984年より,情報通信に携わる人の勉強と交流を目的とした情報化研究会を主宰。 近著に本コラム30回分をまとめ、IP電話を中心とする企業ネットワーク設計技法を書き下ろした「ネットワークエンジニアの心得帳」がある。NTTデータ勤務。趣味は,読書(エッセイ主体)と旅行。