古くから軍事技術として研究

図4●IEEE802.11sで検討されている項目
「MAC拡張」ではビーコン(自身の存在や状態を他の端末に知らせるためのフレーム)の衝突やQoS,隠れ/さらし端末問題などへの対応を盛り込む。「ルーティング/フォワーディング」はユニ/マルチ/ブロードキャストをどのようにアドホック・ネットワーク上で実現するかを規定する。「ネットワークの状態把握」では周囲の状況を確認しながら,電波の強さ/チャネルなどを調整する方法を決める。「Suggested Major Functional Components for 802.11s (IEEE 11-04/749r0)」を参考に作図した。
図5●アドホック・ネットワークのレイヤー2レベルでの問題
隠れ端末問題は,通信中であるにもかかわらず,電波の届かない端末はその状態を知り得ないため,通信中の端末に通信を要求してしまう問題。さらし端末問題は干渉しない程度に遠くにあるにもかかわらず,他の端末間の通信が聞こえてしまうために通信を開始できないという問題。いずれも電波の届く範囲が端末ごとにずれいているために発生する。

 このように多くのメリットがあるアドホック・ネットワークは,当然のことながら古くから研究がされている。

 そもそもは軍事技術として1970年代に研究が始まった。戦車やヘリコプター,兵士に無線装置を持たせて,戦場で即席ネットワークを作り上げるのが目標だった。どれか無線装置が破壊されても,つながり続けるネットワークを作ろうとしたのだ。核兵器によって一部が寸断してもつながり続けるネットワークを作ろうとしたインターネット(ARPANET)と同じ発想だ。

 その後,1990年代後半になって学術的な議論がされるようになった。特に,後述するアドホック・ネットワーク用の経路情報交換プロトコルに関して様々な研究結果が発表された。

離陸までに残る課題

 ところが,これまでのところアドホック・ネットワークが普及するには至っていない。第1の理由はアドホック・ネットワークの前提となる無線LAN自体が普及していなかったことだ。

 家庭やオフィス,公衆無線LANスポットにアクセスポイントが設置されるとともに,ノートパソコンや携帯電話,PDAなどに無線LAN機能が組み込まれ始めてようやくアドホック・ネットワークが現実味を帯びてきた。

 だが,まだ課題は残っている。アドホック・ネットワークに関する標準規格がないのである。これが第2の理由だ。通信の世界では相互接続性がない技術は普及しない(別掲記事「独自製品を提供するベンダーも」を参照)。

 この問題も解決の糸口はつかめている。標準化団体が積極的な取り組みを始めたのだ。規格作りは大きく分けて二つの領域で進んでいる。一つは無線LANのMAC層(レイヤー2)。もう一つはTCP/IPの経路情報交換プロトコル(レイヤー3)である。

レイヤー2を議論する802.11s

 無線LANのアドホック・ネットワーク対応を検討しているのは,IEEE802.11委員会の「802.11s(11s)」タスク・グループである。このタスク・グループは2004年6月に結成されたもので,IEEE802.11委員会の中で最も若い。2007年頃の規格承認を目標としている。

 11sは検討が始まったばかりなので詳細は固まっていない。ただ,大きく「MAC拡張」「ルーティング/フォワーディング」「セキュリティ」「ネットワークの状態管理」について議論が進んでいるようだ(図4[拡大表示])。

 これらのうち特に重要なのが,「MAC拡張」で議論されている隠れ端末問題/さらし端末問題の解決と,「ルーティング/フォワーディング」で議論している経路決定方法だ。

 隠れ/さらし端末問題は,無線LANには付きものだが,アドホック・ネットワークでさらに顕著になる問題である。いずれも電波の届く範囲が端末ごとにずれているために発生する(図5[拡大表示])。

 隠れ端末問題は,ある端末が通信中であるにもかかわらず,別の電波の届かない端末がその状態を知り得ないため,通信中の端末に通信を要求してしまうという問題である。この場合,信号が受信端末で干渉してしまい再送が必要になる。

 さらし端末問題は干渉しない程度に遠くにあるにもかかわらず,他の端末間の通信が聞こえてしまうために通信を開始できないという問題である。この待ち時間が無駄になり,ネットワーク全体のパフォーマンスを落とす。

 一方,経路決定方法を規定する必要があるのは,アドホック・ネットワークでは複数の経路が存在する可能性があるからだ。これらから一つの経路だけを選択し,その通りに流す仕組みを用意しなければならない。また,トポロジーの変更により,経路が変わった場合もすぐに新しい経路を選択できなければならない。

 ちなみに,11sでは現在,何を規定しなければならないかをすり合わせている段階で,これらの問題点に対する解決策は決まっていない。


独自製品を提供するベンダーも

図●MeshNetworksの製品構成
製品は,ユーザーが持ち歩き動的にその位置が変化するクライアント・デバイス,電柱や街路灯などに固定的に配置される無線ルーター,インターネットなど外部ネットワークとのゲートウェイとなるアクセスポイントから構成される。いずれの機器もネットワーク設計を必要とせず設置できる。

標準化を待たずして,市場にアドホック・ネットワーク技術を提供している会社がある。米MeshNetworks社だ。米国の国防省の要求に応じて作られた軍事技術を商用製品に転用した。

 同社が2001年末から販売しているのは,独自の機器とソフトウェアで構成されるアドホック・ネットワーク・システム「MEA/QDMA」である。

 MEA/QDMAは軍事用に作られただけあって高性能だ。時速260キロマイル/時(約416キロメートル/時)で移動する高速移動体との間でもアドホック・ネットワークを構成できるという([拡大表示])。また,高速移動中でも位置情報を10m以内の誤差で取得できる。

 無線方式はQDMA(Quadrature Division Multiple Access)とよぶ独自方式。チャンネルを四つ持ち,そのうち一つで制御情報を交換し,残りの三つのいずれかで通信する。最大速度は6Mビット/秒である。

 ルーティング・プロトコルも独自で,リアクティブ型とプロアクティブ型をネットワークの状況によって,切り替えて利用しているようだ。QDMAの制御情報チャンネルでネットワークの情報を交換できるので,フラッディングの量を減らすことができるという。

 日本では伊藤忠商事が100%子会社,メッシュネットワークスジャパンを設立しMeshNetworksの技術/製品を販売している。伊藤忠商事によれば「車を時速80kmで走らせながら,動画や音声を途切れなく流れることを確認している。ITSシステムのインフラとして自動車,通信機器,携帯端末のメーカーに販売したいと考えている」(宇宙・情報・マルチメディアカンパニー情報産業部門ビジネスソリューション部ビジネスソリューション課の児玉孝雄氏)という。

 このほかアドホック・ネットワークを実現するソフトウェア製品にスカイリー・ネットワークスの「DECENTRA」もある。

(中道 理)