数あるPC-98用のソフトウェアの中でも,「松」は最初のヒット商品だという。機能はそれほど多くないが,軽快に動くのが特徴である。1983年当時,ワープロ専用機のソフトウェアは動作が遅く,スピードを重視した管理工学研究所の開発者は高速に動くソフトの開発が必要だと考えた。高速に文字入力ができる設計にし,文書作成を生業とする人や,仕事で仕様書を大量に打ち込むようなプロに歓迎されるソフトウェアになった。松の広報やマニュアル作り,商品企画を担当した管理工学研究所 販売推進の武田道朗氏に,松が受け入れられたポイントと販売終了に至った理由を聞いた。

 「管理工学研究所の開発者はスピード狂だったので,とにかく小気味良く動く日本語ワープロソフトが欲しかった」。武田氏は,松が高速性を優先した設計でヘビーユーザーに受け入れられたと語る。松を開発する以前は,8ビットのパソコンやワープロ専用機くらいしかなかった。その動作は遅く,「開発者はここに商品開発の可能性を感じた」。そこで「面倒な作り込みを必要としたけれど,BASICではなくアセンブラでコードを書き,無駄がなく高速に動作するソフトウェアを作った」。128Kバイトのメモリーを最大限利用するため,半分を文書のデータエリアとして,残り半分をOSも含むプログラム本体で使う設計にした。

PC-98のキー配列と好相性

 松の特徴となったのがファンクション・キーを使って機能を選択するようにしたことと,独特のかな漢字変換機能だった。

 ファンクション・キーには特定の機能を割り当てる。操作を簡単にするためだ。「PC-98のキー配列との相性が良いのが大きな強みだった。今のキーボードはファンクション・キーが4個連続して1ブロックになっているが,PC-98は5個連続して1ブロックになっていた。この5個という数が端と中央のキーを覚えやすくて良かった」。ファンクション・キーで機能を選択するという方法は,松以降の管理工学研究所のソフトウェアに踏襲されていった。

 かな漢字変換には文法解析を一切せずに名詞だけで変換する「複合語変換」を採用し,あわせてビジネスでよく使われる言葉を例外的に変換するようにした。なぜ複雑な文法解析はあえてやめたのか。武田氏によると「文章はクセが出るので,よく使う単語は決まってくる。名詞だけの羅列として変換する方が,複雑な解析で変な文章に変換されてしまうよりは速く入力できた」。ユニークな機能としては,入力した文字から単語を連想して変換する方法を採用した。例えば「ホテル」の「ほて」を打つと「宿」と変換される。入力の支援になりスピードアップにつながったという。

最盛期にはPC-98の25%に採用

 松は発売後,半年経った頃に最盛期を迎えた。PC-9801の出荷台数の25%ほどにインストールされたという。価格は今思えばかなり高い12万8000円。ハードウェアも合わせると100万円ほどかかった。

 ところが,1985年にジャストシステムが「一太郎」を販売しはじめると,新規ユーザーはそちらに流れていった。「発売当初は一太郎がそこまで売れるとは予想していなかった。だが,対抗して松85を投入したものの売り上げは抜かれた」。

 松も改良を進めた。1987年発表の「新松」からは機能を大幅にカスタマイズできるように変更。「松のユーザーは辞書を“育てる”とか“調教する”という言葉をよく使った。究極のユーザーは使わない単語を削除していった」。加えて,新松では組版的な要望(四角の中に文章を流すなど),2画面並べて表示する点などを改良していった。

 しかし,機能が多い一太郎と比べると,機能を絞って速さに特化した松は一般受けしなかった。「大きな文字で印刷できなかったり,特定の英数字のフォントしか印刷できなかったりして,ユーザーのニーズに応えられなかった」という。今はもう松は販売されていないが,武田氏は「動作が遅いソフトが多かった中で松が実現した速さと機能は進んでいた。ワープロの機能という点では無駄は全くなかった」と評価しているという。

(堀内)