プロジェクトが終わると私はいつも顧客満足度調査に出かける。業務改善のためにお客様から不満をいただくのが目的であるが,ときどき「いい人材が集まっていますね」とお褒めの言葉をいただくことがある。ふと,高さんの笑顔が頭に浮かんだ。ネットイヤーグループには高さんという魔法使いのようなエンジニアがいて,彼を慕って魅力ある人が入社してくれたり,彼と仕事をする中で人材が育てられている。

 もっとも今の彼はエンジニアと呼ぶ人はもういない。日本でITエンジニアというと,バックオフィスやサーバー・システムの設計を担当する人を思い浮かべがちのように思うが,ネットイヤーグループの業務領域においてはユーザーのインタラクション部分の設計に重きを置いているからだ。高さん率いる「ユーザーエクスペリエンスデザインチーム」のほとんどが,職種としてはクリエイティブに属する人たちだ。

デザインとは何か

 高さんは慶應義塾大学の理工学部を卒業後,IBMの大和研究所で金融ソフトなどを作っていた人だから,バリバリのエンジニアだ。高さんが,このエクスペリエンスと呼ばれる新しい設計領域に行き着いたのはそれ相当の理由がある。高さんは技術のほかに,表現やコミュニケーションに強い関心を抱いていたという。だから,大学時代にはその時間のほとんどを舞台演出活動に使う一方で,生体医工学の研究室に属し,交通事故でリハビリが必要になった人のための装具などを設計した。その装具は,人の筋肉を鍛えるために筋肉と一緒に動く。そこには,常にヒューマンインタラクションがあった。

 IBMで手掛けた開発案件は,ネットワークでつながった銀行の支店端末をリモートから一括でメンテナンスするシステムや,NHKとの共同プロジェクトである英語学習用CD-ROM,日本で最初のフルデジタルのVODなど。コミュニケーションや表現に関係するプロジェクトを求め,社内公募に応募するなどして自分のやりたい部署に移った。その後,会社派遣でニューヨーク大学芸術学部のITP(Interactive Tele-communications Program)に留学。ITPのミッションは,Interactiveなテクノロジの応用方法を模索すること。プラットフォームに制限はない。Webを設計する人,ゲームを設計する人,弦のないハープを設計する人もいたという。

 高さんは,「ターゲットユーザーの問題を解決していないものは,デザインではない」と言う。技術とコミュニケーションの両方に思い入れがある人だからこそモノづくりの視野が広い。そんな高さんだから,システム開発に巨額を投じるのに,ユーザーのエクスペリエンス設計にお金をかけなかったばかりに使われないシステムになってしまうケースがままあることを嘆く。また,日本でデザインというと「見た目にきれい」と同義語になりがちなことも不満のようだ。

まだまだあるITの未開拓領域

 高さんの手掛けた仕事にユニクロのWeb設計がある。フリースというユニクロのヒット商品をWebで51色展開したサイトで,その設計がユニクロのネットビジネスに大いに貢献したと私は考えている。高さんはただただユニクロ・ユーザーのことを考えていた。フロント画面からワンクリックで現れるポップアップ・ページにすべての情報を集約した“買い物カゴ・アイコン”を設置した。その画面の中で買い物をすると,自分の買った商品が同じ画面内にアイコンとして表示される。これで形もサイズも色も分かる。ほとんどのコマースサイトでは,一つの商品を買ったあとに他の商品を探していると,自分が今まで買ったものを確認するためにまたひとつクリックをしてページ遷移しなければならなかったから,このユニクロ・サイトは画期的な設計だったと思う。このデザインについて高さんは,「だって,スーパーマーケットに行ったら,自分が何を買ったか,買い物カゴをみれば一目瞭然じゃない。それと同じことをサイトでも実現してあげるべきだよ」と言っていた。当たり前のことのように思えるが,そこには徹頭徹尾,「ユーザーのための設計」という信念が貫かれている。

 最近,携帯電話のメニュー画面の設計にかかわった。その経験を経て高さんは,「画面だけで設計が終わるのは中途半端。ソフトがリードする形でハードも一緒に設計したい」と考えるようになったという。ユーザーの最適なエクスペリエンスを考えるなら,そこにはハードウェアとソフトウェアの境界線はない。

 価格競争に陥っているバックエンド分野を見ていると,ITの将来に展望は見いだせない。しかし,ITを活用できる領域はどんどん拡大している。特にフロントエンドの設計には大いなる可能性があるはずだ。ユーザーのためのIT革命はこれからなのだ。

Geeksとは,恥かしがり屋,知的,プログラミングか電気関係のスキルがある,独自の価値感を持っている,そんな魅力あふれる人々の俗称である。