アメリカ,特にシリコンバレーを見ていると,日本とは産業や社会の構造が随分違っていることに気がつく。例えば,起業のしやすさ,ストックオプション制度,失敗を認める文化,労働力の流動性,マーケティング力,ベンチャー・キャピタル(VC)の存在などがある。西海岸では日米の比較論も盛んだが,そうなると,アメリカのやり方が優っているというような論調で話が進む場合がほとんどだ。私もシリコンバレーの強さを十分に知っているし,日本では“シリコンバレー擁護派”として通っているからそれを否定するつもりはない。しかし,「日本はほんとうに駄目なのか?」と問われると,反論したくなる。日本には日本の良さがあり,大いなるポテンシャルがあると思っているからだ。

シリコンバレーの技術は日本にもある

 シリコンバレーでコンサルティングをしていたときの私の強みは,その地で誕生する先端技術や会社の概要をほとんどすべて理解していることだった。日本から技術提携やM&Aの相手先を探しに来たお客様に,「これは!」という技術や会社を紹介するのである。

 ところが,私が自信を持って紹介したにもかかわらず,拍子抜けするような反応しか返ってこないことがままあった。そんなとき,彼らは決まってこんな台詞を口にする。「ああこれね,うちの研究所でも同じようなことをやっているよ」。「だったら,最後まで熱心に聞かなくてもいいのでは?」とがっかりするのだが,不思議なことに,最終的に提携に至るケースが少なくない。みなさん「アメリカの技術はちょっと違うんだよ」とおっしゃる。

 話を聞くと,日本で進められている似通った技術は,部分的には優れていても,顧客のニーズを満たすという視点が足りないという。おそらく,日本の研究所から生み出される技術の多くは,マーケティング・データに基づいて開発されているわけではないからだろう。ただし,技術的にはシリコンバレーと遜色のないものが,シリコンバレーよりも早い時期に日本で生まれていることもまた事実なのだ。

 NTTコムウェアの取締役である豊嶋さんも,そんなお客様の一人であった。大学で計測工学を学ばれ,電電公社に入社,研究所でOSの開発に携わった人で,現在は,技術開発の第一線を離れ営業企画,マーケティングを担当されている。入社当時,日本はアメリカに追いつけ追い越せの時代。当時の日本のコンピュータ産業を牽引していたNEC・日立・富士通のエンジニアと一緒に研究開発に没頭した。この共同研究はアメリカに勝てる技術を開発するとともに,国産メインフレーマのコンピュータ技術発展に大きく寄与したという。

 私が,「かつての日本は技術力,開発力ともに今よりあったのではないか」と聞くと,豊島さんは「今の日本(若い人たち)も捨てたものじゃない。ただ,我々には,高度成長期で戦後の貧しさから脱し,アメリカには負けたくないと言う強い気概もあった。ここしばらく日本が低迷しているのは,形だけ米国流をまねて日本の良さを忘れてしまったことにあるのではないか」という。確かに,かつてはモノづくりが日本の牽引力として広く認知されていたが,今はあまり評価されていないような気がして歯がゆい。

組織の強さ

 豊嶋さんは,エンジニアとしての人生の転換期を強く意識している。「20代は研究所で悩み,がむしゃらに仕事をした。30代は開発の喜びを知り,多くの知識を得た。プロジェクトを見通す広い視野も持てるようになった。40代からはこれまで得たものを放出することが仕事になる。若い人を育てることに喜びを感じる」。終身雇用の会社形態といえばそれまでだが,技術を育てるには悪くない手法だし,とても充実した人生のように思う。

 こういう生き方は,なかなかシリコンバレーではお目にかかれない。シリコンバレーの労働力は流動的で,ボスといえども会社から会社に渡り歩く。教育は会社間で行われる。例えば,VCがスタートアップを指導する,という具合だ。コミュニティ全体としては効率的に思えるが,豊嶋さんがまさに今手掛けている「社内教育」という形での「知識の伝達」という手法の方が,組織は強くなるように思う。「長期的な企業の成長のためには,社員の潜在的な能力を評価することが必要。その意味で,単純な実績主義よりも成果能力主義の方が隠れた才能に対して適切な評価を下せる評価制度だと思う」。日本の技術を支えてきた人からこうした言葉を聞くと,日本流の良さを再認識し,頼もしく思えてくる。

 日本流だけではやっていけなくなったけれど,日本流ならではの良さがあることを忘れてはいけないのだ。

Geeksとは,恥かしがり屋,知的,プログラミングか電気関係のスキルがある,独自の価値感を持っている,そんな魅力あふれる人々の俗称である。