インターネットの普及でデータ通信は身近なものになった。当初は低速なモデムしかなかったが,最近ではADSLで高速な通信ができる。しかし,ADSLは有線通信なので利用方法は固定され,“いつでもどこでも”使うことはできない。そろそろユーザーはADSLの無線版の登場を望んでいるだろう。

 インターネット・アクセスの無線版というと,無線LANのようなスポット的サービスを思い浮かべるかもしれない。米国では,こうしたサービスが成功しているようである。しかし,行けば分かるが,米国は人が集まったり長時間くつろいだりする場所が確保され,かつスポットとスポットの間は逆に車で通過するだけの広い国だ。日本とは事情が異なる。

 結局,高速インターネットも“いつでもどこでも”のモビリティを確保できることが大切になる。モビリティを確保し,ADSLの無線版として期待されているのが,IMT-2000標準に含まれる無線方式TD-CDMA(Time Division-CDMA)である。著者はこのTD-CDMAが第4世代の移動通信にも適していると確信している。

TD-CDMAの発祥は日本

 TD-CDMAの原型は1991年8月に著者中川正雄とその学生だったRiaz Esmailzadehによって,電子情報通信学会SST(Spread Spectrum Technology)研究会で提案された*1

 著者はPHS(Personal Handy phone System)の原理の中で,TDD(Time Division Duplex,時分割複信)の簡易性に魅力を感じていた。Duplex(複信)とは,音声なら「もしもし」「はいはい」,画像ならば互いの顔を見合うのに必要な信号をやりとりする方法のことだ。TDDは別名ピンポン伝送とも言い,高速に双方の短いバースト信号を時間的に重ならないように交換する。PHS以外に目を向けると,有線通信ではあるが,ISDNでこの方式を使っている。

 著者はTDDをCDMAに利用するとまず次のようなメリットがあることに気づいた。それは,同一の周波数を使って伝送する携帯電話システム,特にCDMAで問題になっていた送信電力制御(Transmit Power Control:TPC)を簡易化できるということである。

図1●CDMAの遠近問題
端末と基地局の距離が異なると,遠い場所にある端末の電波は近くにある端末に抑制される。
図2●FDDではガードバンドが必要
FDDではアップリンクとダウンリンクは別々の周波数を使うので広いガードバンドが必要である。
図3●短いガードタイムで切り替えるTDD
TDDは同じ周波数帯を使ってアップリンクとダウンリンクを切り替えるので,短いガードタイムが必要になる。
図4●送信電力制御の仕組み
基地局と端末の双方で制御するFDDに対し,TDDはアップリンクとダウンリンクで伝送状況に相関があるため端末はダウンリンクの電力に応じてアップリンクの電力を制御できる。

 CDMAの研究段階では,基地局から遠くにある携帯電話機と近くにある携帯電話機が混在すると,遠くにある携帯電話機は通信できないという問題があった(図1[拡大表示])。携帯電話機から基地局に向けて出力する電力が同じであるため,遠くにある携帯電話機の電波は基地局に届く間に減衰してしまうのだ。

 この結果,近くにある携帯電話機の電力が遠くにある携帯電話機に対して大きくなり,基地局は近くにある携帯電話機の電波だけを拾う。これを遠近問題と呼ぶ。遠近問題を解消するためには,携帯電話機と基地局間で適切な出力となるように制御信号をやり取りしなくてはならない。

 ところが,TDDならば制御信号をやり取りしない方法で送信電力を制御できると考えた。解析した結果,TDDで送信電力制御をする場合,基地局から端末へ制御信号を送らなくても携帯電話機だけで十分TPCができるということが分かった。発表した当時はTDD-CDMAという名前だったが,後にIMT-2000の標準化の中で改良が施され,TD-CDMAという名称になっている。

同じ周波数を効率よく使う

 はじめに,TDDの原理とFDD(Frequency Division Duplex,周波数分割複信)の原理を図2[拡大表示]と図3[拡大表示]を見ながら比較する。

 FDDは第一世代のアナログ携帯電話以来の伝統的なDuplex方法である。携帯から基地局へのアップリンク(図では上向きの矢印)と基地局から携帯へのダウンリンク(図では下向き矢印)が異なる周波数帯になっている。これらの周波数帯は干渉を防ぐために離さなければならない。間に挟んだ周波数帯は緩衝のためのガードバンドになり,他の用途に利用される。IMT-2000では100MHzほどの帯域がガードバンドになる。

 ガードバンドがなぜ必要かは,携帯電話の構造に起因する。携帯では送信機と受信機が同じ小さなケースに収まっている。ここに,微弱な信号を受信しながら,それに比べて強い信号を同じアンテナで送信しなければならない。受信と送信を切り分けるフィルタは,受信信号と送信信号の電力差が100dBにも及ぶような場合,アップとダウンのリンクの周波数帯域が隣接するとフィルタで送信信号をカットできない。そこで,周波数帯域を離すためのガードバンドが必要になる。周波数の割り当てに余裕があるのならばガードバンドも求まりやすいが,割り当てられる周波数が足りなくなってきていることを考えると今後は周波数の配分は難しくなるだろう。

 一方,TDDは同一の周波数帯域を利用する。ダウンリンクとアップリンクは交互に伝送する。こうすると,図3のように両リンクをわずかなガードタイムで分離できる。

 また,アップリンクとダウンリンクを時間で交互に切り替える場合はスイッチを使う。フィルタに比べてスイッチは切れ味がよいためガードタイムは短くて済む。ただし広いエリアになると,より時間差が生じるのでガードタイムは長いものが必要になる。基地局と移動局間の時間遅延が問題になるからである。

 TD-CDMAの場合は半径7kmまで現状のガードタイムで十分である。エリアの半径が7kmより広くなるとこのガードタイムでは収まらない*2

シンプルな送信電力制御

 80年代後半から90年代初頭にCDMAが携帯電話に採用されるかどうかが大きな議論を呼んだ。しばらくして,「複数の携帯電話機からの電波が基地局で同じ電力で受信できる」という理想的な状態ならばCDMAに軍配が上がるとする考え方が大半になった。

 ところが,FDDでのTPC(送信電力制御)の構造は複雑だ。変動の大きな移動通信で常に受信電力を基地局で測定して,制御信号を移動側に戻して,フィードバック制御をしなければならない。しかも遅延の影響がある。

 TDDにすれば,同一の周波数を使うことからアップリンクの通信状態が良ければダウンリンクの通信状態も同じく良いという相関がある。このため,基地局の送信電力が一定とすれば,移動局は受信電力が弱まったら移動局の送信電力を上げて基地局での受信電力を一定にすればよいのである(図4[拡大表示])。つまり端末だけの制御で送信電力制御ができることになる。アップリンクとダウンリンクの周波数が異なるFDDでは,片方のリンクの通信状況から他方のリンクの通信状況を推定できないため,この操作はできない。

 この特性を詳細に調べたのが松下通信工業(現パナソニック モバイルコミュニケーションズ)である5) 。同社の報告によると,TDDのほうが室内実験でFDDよりも送信電力制御に必要な出力が数dB優れていることを確認し,フィールド実験は横浜市佐江戸で1km程度を時速40kmで走行して,十分な能力を確認している。


中川 正雄 Masao Nakagawa

慶應義塾大学理工学部情報工学科教授
1969年慶應義塾大学工学部電気学科卒業。1971年同大助手。1973年同大学大学院博士課程修了。移動通信,ITS,スペクトル拡散通信,無線ホームリンク,コンシューマ通信,新世代移動通信,可視光通信などの研究に従事。電子情報通信学会フェロー,理事(基礎境界ソサイエティー会長),総務省情報通信審議会委員などを務める。