Kaiは私の弟分のようなエンジニアである。台湾に生まれ,シリコンバレーの北端にあるカリフォルニア州立大学バークレー校に学ぶために米国にやって来た。Kaiとの出会いは,1994年,私がハイテク企業向けのコンサルティング会社を設立したときにさかのぼる。インターネット接続やLANの設定で四苦八苦している私を助けてくれたのがKaiだった。幼子の手を引きながらアメリカでスタートアップをするという無謀な日本人女性を見て気の毒に思ったのか「Fujiyo。お金はいいよ」ということが何度かあってたまらなく嬉しかった。

 それでも,私の会社の成長に合わせてKaiに頼む仕事も充実していく。Kaiも私を慕ってくれて,私たちは公私共によき友人となった。そしてある日,Kaiとそのご家族を夕食に招く機会があった。夕食が終わった頃,突然Kaiのお母さんがピアノを弾いてもいいか?と聞く。「もちろん」。お母さんがピアノを弾き,お父さんが傍らで歌うというほのぼのとした情景を楽しむことになった。しかし,ピアノが始まった途端に私は言葉を失った。

“今”を生きる移民たち

 「もーもたろさん,ももたろさん」立て続けに3曲ばかり,懐かしい日本の童謡の旋律と歌声が続いた。そうだ。台湾は第二次世界大戦が終わるまでの50年間,日本の統治下にあり,彼らは学校で日本語を強要されていたのだ。でも,その姿は本当に楽しそうで暗い過去の微塵もない。どのように振舞っていいかと困っている私に向かい,ピアノを弾き終えたお母さんは「ごめんね,びっくりさせて。私たちは日本語が話せるの」と言う。恐る恐る「つらい歴史があったことは聞いています」とつなぐと,「Looking back on the past is not constructive.(昔のことを言っても仕方ないじゃない)。それより,私たちは日本が大好きなの」。

 彼らがどうやってこのアメリカに移民してきたのかということも知った。Kaiのお姉さんがまず大学院に入るためにアメリカにやってきて,次にKaiが大学に入る。そしてご両親は30年の教員生活を終えてから,子どもと暮らすためにこの地にやってきた。「台湾も好きだけれど,ここも大好きだ」お母さんは楽しそうに笑った。

 なぜこんな話をするのかというと,Kaiの家族に接するうちに,他の多くの“シリコンバレー移民”と共通するものを感じたからだ。何と形容していいかわからないが,例えば,過去を振り返らない,今を生きているという風に言っていいのかもしれない。

 私の同級生には,ベトナム戦争で命からがら逃げてきたボートピープルがいる。高校生のころに難民として渡米。英語が全くできなくてお金もなくてピザ屋でバイトをしながら学費を稼いだ。一生懸命に勉強してエール大学に入り,スタンフォード大学の大学院に入った。結婚した相手もベトナム人で,二人でスタートアップをして大成功をおさめた。ベトナムに帰る家はないが幸せだという。

 インドからやってきたエンジニアは,母国ではカースト制度で差別される側にいた人だ。国費留学で渡米できたのを機会に,このシリコンバレーでエンジニアとして成功している。ここに骨を埋めるつもりでいる。国に帰るつもりはないという。

 他の州から逃げるようにしてやってきたアメリカ人もいる。テキサス州生まれのエンジニアがいた。自分がゲイだと気づいたときには,すでに町中の人が家族をも差別していた。「カリフォルニアに来て本当に幸せだ。ここでは,誰も差別しないんだ」と言っていた。彼らに共通することは,この地にコミットしていることだ。

 シリコンバレーでは,日本人だけがこれら移民と違っているように感じる。日本人の留学生も就業者もほとんどが大企業の派遣である。そして,彼らは数年すると帰っていってしまう。もちろん,そのことの是非を論じたいのではない。気になるのは,日本人といえばそういう人たちしかいないことだ。

 企業派遣の人たちの中には,この地の生活が心地よく,シリコンバレーに残りたいという人もいる。そういう人たちから,「どこかに働き口はないか」といった相談を持ちかけられることがある。私は決まってこう言う。「ここで働きたければ,すべてを捨ててまずここに来てください。あなた自身がコミットする覚悟があれば,シリコンバレーは必ず何かを返してくれます」。

 私は,あまり過去にこだわらない。理由は簡単で,しがみつくほどの名誉や金銭がないからだ。シリコンバレーに移民してくるエンジニアにもそんな人が多い。過去に囚われている暇がないと言い替えてもいいだろう。彼らに過去へのこだわりはない。こだわるのは今の仕事とこれからのキャリアだけだ。そんな人が集まっているからこのコミュニティは強く,頼りになるのだろう。

Geeksとは,恥かしがり屋,知的,プログラミングか電気関係のスキルがある,独自の価値感を持っている,そんな魅力あふれる人々の俗称である。