図1●ピエゾ方式
ピエゾ素子に電圧をかけて変形させ,インクを吐出する。変形させる手法はいくつかある。セイコーエプソンでは,縦に振動を起こすもの,たわませるものの2種類を利用している。
図2●サーマル方式
ヒーターで熱を急速に加えてインクを沸騰させる。このとき発生する泡を利用してインクを吐出する。キヤノンでは,ヒーターの真下にあるインクをすべて吐出することで,紙に落ちるインクの量を一定に保つ工夫をしている。
 目に見えないほど細かなインク滴を紙に吹き付け,文字や画像を表現するインクジェット・プリンタ。進化を続けた結果,画質は今や銀塩写真に引けを取らない水準に達した。

 その実現方式は大きく二つ。一つは,電圧をかけることで変形する圧電素子(ピエゾ素子)を用いる方式。もう一つはインクに熱を加え,発生した泡を利用してインクを押し出す方式だ。前者をピエゾ方式,後者をサーマル方式と呼ぶ。

 方式は違っても,両者は同じ目的に向かって進化してきた。美しい印刷をより速く,である。このために多くの工夫を盛り込み,互角の進化を遂げてきた。

 しかし2003年,両者の進化の軸が分かれ始めた。それぞれの特徴を生かし,ピエゾ方式は顔料インクを使って印刷物の耐久性を高めるという方法に出た。一方のサーマル方式は,より印刷速度を上げる方向性を打ち出した。

先輩はピエゾ,サーマルは後発

 二つの方式のうち,先に誕生したのはピエゾ方式である。ピエゾ方式は1960年代に考案され,1980年代前半には各社が製品化している。例えばキヤノンが1981年に発売した最初のインクジェット・プリンタは,ピエゾ方式を採用していた。1984年には,セイコーエプソンが同社初となるピエゾ方式のプリンタを発売している。

 この頃,サーマル方式のプリンタも研究されていた。キヤノンがサーマル方式の開発を始めたのは1970年代後半。「研究室で,注射器の針にたまたまはんだごてが当たって液体が飛び出したことがきっかけだと言われている」(キヤノンインクジェット化成品技術開発センターインクジェット化成品技術開発推進部の中島一浩担当部長)。ほぼ同時期に,米Hewlett-Packard社も同様の技術の開発に着手した。Hewlett-Packardは1984年,キヤノンは1985年に最初の製品を出している。

ピエゾ素子の変形を利用

 現在,主要な家庭用インクジェット・プリンタでピエゾ方式を採用しているのはセイコーエプソンだけである。ピエゾ方式では,ピエゾ素子を使ってピストンのような仕組みを作り,インクを吐出する。電圧をかけると変形するピエゾ素子の性質を利用する。

 印刷ヘッドの構造は,ピエゾ素子の形状や電圧のかけ方によって変わってくる。セイコーエプソンでは,2種類の構造を製品により使い分けている。ピエゾ素子を縦方向に振動させる方式と横方向に振動させる方式である。前者はピエゾ素子の上部を固定しておき,電圧をかけて縮ませる(図1上[拡大表示])。こうしてインクを奥に引き込んでから電圧をかけるのをやめる。ピエゾ素子がもとの形に戻るのに応じて振動板が動き,インクが押し出される。もう一方はたわみ振動型と呼ぶ。横方向にピエゾ素子を変形させてインクを押し出す(図1下[拡大表示])。

 現在では,縦振動型を上位機種,たわみ振動型を普及機種に採用している。縦振動型は高密度化に向き,たわみ振動型は量産しやすいからだ。「縦振動型の方がピエゾ素子の変形量が大きいので,変形分を圧力に変える圧力室を小さくできる。そのぶんインクの吐出口であるノズルを高密度に作れる」(セイコーエプソン情報画像事業本部TP開発部の北原強部長)。変形量が大きいとインクを速くコントロールできるため,小さいインク滴を打ち出すのにも都合がよい。半面,製造工程が複雑になりコストがかかる。

 この点,たわみ振動型は生産しやすい。ただピエゾ素子の変形量が小さいため圧力室を大きくしなければならず,インク滴を小さくするのも難しい。普及機に搭載されているのはこのためだ。

泡の力でインクを押し出す

 一方のサーマル方式は,Hewlett-Packard,キヤノン,米Lexmark International社などが採用している。キヤノンは自社の技術を「バブルジェット方式」と呼んでいるが,基本的な動作の原理は同じである。ヒーターで高熱を加えてインクを瞬間的に気化させる。このとき発生する泡によってインクがノズルの外に吐出される(図2上[拡大表示])。こうした瞬間的な沸騰を起こすには「純粋な水の場合,300℃以上の熱が必要。このとき発生する圧力は,100気圧にもなる」(キヤノンの中島氏)。

 原理は同じだが,キヤノンは内部の構造を他社と変えている。より安定的にインクを吐出するため,ヒーターとノズルの距離を短くした。さらにヒーターの近くに壁を設けている(図2下[拡大表示])。これらにより,泡が発生するとインク室のインクと吐出するインクを分離でき,ヒーターの下にある一定量のインクを安定的に吐出できる。さらに泡の力が吐出するインクだけに伝わるため,強い圧力で一気にインクを押し出せる。ノズルから吐出されたインク滴が,空気の影響を受けてまっすぐに飛ばないといった現象を防げる。

 キヤノンのヘッドの仕組みは単純だが,どのメーカーでも作れるわけではない。「アイデアは先にあったが,それを実現するノズルの製造方法を考え付くのには2年ほどかかった。さらに数年の開発を経て実際の製品ができた」(キヤノンの中島氏)。ヒーターからインクの出口までの距離を短くするには,ノズルを微細に生成する技術が必要だからだ。キヤノンの現在のノズルは,この距離が25μmほどにすぎない。

方式によって異なるメリット

 ピエゾ方式とサーマル方式,それぞれメリットが違う。ピエゾ方式ならではのメリットは大きく二つある。一つは,ピエゾ素子にかける電圧を変化させてインクの動きを制御できること。「ピエゾ素子は加えた電圧に対してリニアに変形するので制御が容易。インクを押したり引いたり自由にできる」(セイコーエプソンの北原氏)。この特性を生かして,セイコーエプソンは一つのノズルから異なるサイズのインク滴を打ち出している。小さいインク滴を打ち出すときは,まず一気にインクをたくさん引き込む。こうしてノズル周辺のインク滴を減らしておいて,インクが戻らないうちに打ち出す。逆にインク滴が大きいときはゆっくり引き込んでから押し出す。

 次に,どのようなインクでも打ち出せることだ。ピエゾの変形によって生じた圧力をインクに伝えるだけなので,インクの成分はあまり問題にはならない。サーマル方式の場合インクを一度沸騰させるので,利用できるインクの種類が限定される。例えば油性インクのように沸騰しにくい溶媒を使ったインクを吐出するのが難しい。溶媒に溶かす物質にも気を配らなくてはならない。熱で変性するものは使いにくい。

 一方のサーマル方式は,インク吐出の仕組みがシンプルだという特徴を持つ。これが二つの利点を生み出す。

 中でも大きいのが,高速化が容易なことである。ノズルの構造がシンプルなので,小型化しやすい。このため「ピエゾ方式に比べて,ノズルの集積率を上げられる」(ソニーIT&モバイルソリューションズネットワークカンパニー e-プリントカンパニー事業推進部の中村正人統括部長)。それだけ1度のヘッドの動きで多くのインクを打ち出せる。つまり印刷速度が上がる。

 ノズルを小型にすると「ノズル内部に不要な気泡が残りにくくなる」(キヤノンの中島氏)というメリットも生まれる。インクの吐出を繰り返していると,ノズル内には小さな気泡が発生する。気泡が貯まると,インクを押し出すための圧力が気泡に吸収されてしまう。これではうまくインクを押し出せない。これが目詰まりの原因の一つである。ノズル自体が小さければ,泡は貯まりにくい。

個性を生かした進化の道へ

 内部の構造はともかく,これまでインクジェット・プリンタは銀塩写真に追いつき,追い越すことを目標としてきた。その結果,画質が一定のレベルに到達し,改良の余地が少なくなった。

 そこで採用する方式が持つ特性に合わせ,それぞれ得意な方向への進化を始めた。スピードを得意とするのはサーマル方式だ。キヤノンは2003年,この利点を生かしてさらなる高速化を図った。ピエゾ方式でもいくつか工夫はなされているが,現状ではサーマル方式には及んでいない。

 そのぶん,ピエゾ方式を採用するセイコーエプソンは印刷結果の「長持ち」に力を入れてきた。インクそのものの成分を変え,印刷結果の劣化を防ぐという方法を採った。

(八木 玲子=日経バイト)