スタンフォード大学のビジネススクールで勉強していたころ,連日のようにハイテク企業やスタートアップの経営者の講演を聞いた時期があった。中でも,米Sun Microsystems社の最高経営責任者であるScott McNealy氏のスピーチは印象的だった。McNealy氏は,我が大学のMBAの先輩でもある。

 Sunは今,創業以来,何度目かの苦境に立たされている。ウォールストリートの批評家たちはMcNealy氏のことを酷評している。これまでもウォールストリートでの彼の評価は大きく分かれていたが,今回の危機を乗り切ることができるかどうかでMcNealy氏の最終的な評価が決まるだろう。

ジーンズ姿のヒーロー

 だが,私たちMBAの卒業生にとって彼はいつだってヒーローだ。シリコンバレーの住人がSunを悪くいうことは滅多にない。暖かくてのどかなキャンパス,信頼性のある製品群,人を大事にする企業文化――。人気を支える要因はいくつもあるが,なによりMcNealy氏の人柄がSunの好感度を高めていることは間違いない。米Intel社の元会長の Andy Grove氏が完璧な経営者であるとしたら,McNealy氏は“ジーンズ好きの隣のお兄さん”のような身近な存在だ。実際,彼はいつもジーンズをはいている。だから私達のヒーローなのだ。

 McNealy氏のスピーチはとても人気がある。講演の時,彼はコメディアンになる。彼の発するジョークに会場は笑いの渦と化す。経営コンサルティング会社の入社試験に失敗したこと,MBA以前に勤めていた会社ではコンピュータの構造もハードウェアの意味も理解していなかったこと――。数々の失敗談に私たちは笑いころげながら,「隣のお兄さんがこんなに大きな会社を立ち上げたのだから,私たちにもきっとできる」と幻想を抱くようになる。

 そんな彼が,ある講演の最中,こんな質問を投げかけてきた。「Raise your hand if you want to start-up.(起業したいやつは手を上げろ)」。

 講堂には300人以上のMBAの学生が集まっていたが,約8割の学生が手を挙げた。大企業への就職よりスタートアップを望む人が圧倒的に多いのがスタンフォードらしいところだ。

 次の質問が飛ぶ。「では,今手を上げているなかで自分が成功すると思うものは,そのまま手を上げていろ」。学生たちは互いに顔を見合わせる。さすがに上がったままの手は半分以下になった。

学校の成績は関係ない!

 質問は続く。「手を上げているやつに聞いてみよう。君たちは成功するんだな。じゃあ,その成功の要因はなんだ」。

 手を上げている学生の何人かが返した。「ビジネスプランだ」「いい技術を見つけることだ」「経営能力だ」――。一通り学生たちからの答えを聞いてから,McNealy氏は静かに言い放った。「いいか,今手を上げているやつらは覚えておけ。成功の要因は,運だ。100%,運だけだ」。

 講堂全体が静まりかえった。彼はその静寂を破ってとどめをさす。「頭がいいだって?そんなことは問題じゃないんだ。おまえたちはさぞかし学校の成績がいいんだろう。そんなことは知っている。笑わせるな。いいか,運だ。運がなければ起業は成功しないんだ」。McNealy氏のような大成功を収めた人に「成功するかしないかは運で決まる」と言い切られてしまうと,こちらはぐうの音もでない。

 McNealy氏が成功を成し遂げた背景には,スタンフォード大学でのAndreas Bechtolsheim氏との出会い,Bill Joy氏の支援,ベンチャーキャピタルの援助,Sunが瀕死のときに救ってくれた企業の存在など,いくつもの運があった。それらが掛け算となってSunは大企業になったのだ。決して,彼の天分だけでもたらされたものではない。

 では彼は,私たちの鼻をへし折りたかったのだろうか。確かにスタンフォードのMBAなんて,“世界で一番頭がいいのが俺だ!”と思っている人の集まりみたいなもの。鼻が天まで届いている人ばかりだ。そんな学生たちが一斉に押し黙ってしまったのだから,私たちが落胆したのは事実である。

 だが,彼の意図は別にあったような気がしてならない。起業家を夢見る後輩達に,起業家を目指すものが知っておかなければならない現実の厳しさや,起業家の精神というか,覚悟すべき心構えのような本質的な何かを分かりやすい形で伝えたかったのではないだろうか。

 「運こそすべて」という彼の言葉に,そうした深い意味を強く感じるようになったのは,スタートアップを支援する仕事をするようになってからのことだ。今でも彼のスピーチを思い出すたびに,私は襟が正される思いがする。きっと私だけではない。あの会場にいた学生達はみな,あの言葉の意味を自分なりに解釈して,ビジネスの世界で走り続けているのだと思う。