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 7月中旬,田舎で結婚式があり1泊2日で帰省した。松山に着いたのが11時すぎで式の始まりまで時間があったので道後温泉本館へ立ち寄った。ここには4種類の入浴コースがある。霊(たま)の湯個室,霊の湯2階席,神の湯2階席,神の湯1階席。霊の湯個室は3階にあり,漱石が使ったという坊ちゃんの間が展示室として公開されている。もっとも漱石がその部屋だけを使ったということではないだろうが。

 霊の湯個室は80分で1240円。浴衣,タオル,お茶とお菓子がついている。本館ができたのは明治27年だが,部屋はそのときのままだ。霊の湯2階は開け放たれた畳の大部屋で,こちらも浴衣,タオル,お茶,お菓子がついている。男性はここで浴衣に着替えて浴室へ行く。神の湯2階席は霊の湯と同様だが,さらに広い部屋だ。浴室は霊の湯と神の湯は別で,神の湯の方が広くて明るい。名前のとおり神様の石像が風呂の真中にあり,像からお湯が流れ出ている。以前入浴したとき,この湯の前に立って局部に当てているおじいさんがいて,「やめてほしいなあ」と思いつつ,笑ってしまったものだ。神の湯1階はふつうの銭湯と同じだ。 私は一人だったが霊の湯個室にした。個室の良さは風呂からあがってゴロンと横になれること。大部屋では無理だ。

 このちょっとした旅行,私はノートを持っていた。8月1日に日経BP主催で行われる「アウトソーシング2003」での講演内容を考えるためだ。飛行機や電車に乗っている間のヒマつぶしには最適だ。「講演」は技術の解説や私の意見を述べるOUTPUTだ。提案書や書籍も同様。これらは直接,お客様や読者に訴える重要なものだ。しかし,良いOUTPUTをするにはINPUTをおろそかにしてはならない。

 今回はINPUTの大切さと,私流の方法について述べたい。

性急なOUTPUTは駄目

 経験の浅い営業マンはとにかく早く提案書をあげようとし,レベルの低いSEは早く設計書を書き始めて終わらせようとする。性急なOUTPUTはろくなものにならない。INPUT不足になるからだ。提案書や設計書を一人で書くにしろ,チームで書くにしろ,これらは頭の中にあるものからしか出てこない。頭の中で創造するものも,その材料は元々頭の中にあったものだ。OUTPUTの対象である顧客や聴講者や読者が満足できるだけの材料がないままにOUTPUTしたのでは提案しても受注できないし,講演や本も感心されるものにはならない。

 提案書や講演資料を作成する時間を100とすれば,そのうち30から50はINPUTに使うべきだ。そのことでOUTPUTが良くなるだけではない。INPUTは勉強そのもの。それを通じて自分の営業マンとしての,SEとしてのスキルが上がるからだ。

 こう書きながら気づいたことがある。このコラムを書くために私はINPUTに何分時間を使ったろうか。ゼロだ。頭の中にあるものを編集しただけだ。しかし,こう思い直した。この頭の中のものは20年以上仕事をして入力してきたものじゃないか。提案書や設計書を書くためのINPUTと,このコラムのようなもののそれとは性質が違うということだろう。

INPUTは簡単ではない

 INPUTはそう簡単ではない。何を入力すればよいか分からなければ,しようがないからだ。何をINPUTすべきか分かるためには二つのことが必要だ。

 まず,よいOUTPUTをイメージすること。次に必要なのは,それを作成するために自分やチームに不足している情報が何かを洗い出すことだ。不足している情報さえ分かれば,それをINPUTするための手段はたくさんある。というかありすぎる。

 INPUTはいたずらに多量の情報を集めても効果的でなく,効率的でもない。無駄な情報,効果の薄い情報をフィルタにかけることや,これで満足のいくものができると見極めることが大切だ。

提案のためのINPUT

 私にとってもっとも身近なOUTPUTは提案書である。言うまでもなく提案書でもっとも重要なINPUTは,顧客が作成したRFP(Request for Proposal)だ。RFPを読み込むことはINPUT以前の作業ともいえる。RFPを読み込まないと,よいOUTPUTのイメージ,つまり顧客が何を求めているか,提案でアピールすべきポイントが何かが分からないからだ。

 RFPにはさまざまな情報が書かれている。現在のシステムあるいはネットワークの情報,新しいシステムの要件,開発スケジュール,見積範囲などだ。どこから読み始めるべきか。私はまず提案期日を見る。提案書作成にどれだけ時間を使えるのかによってできることもやり方(例えば提案チームの体制)も変わってくるからだ。

 次に見るのは提出物とその項目だ。提案書や見積書に盛り込むべき項目がきちんと入っていることは提案の最低条件だが,大きな案件になると項目が多岐にわたるため,間違っても漏れがないようにせねばならない。

 ここでお勧めの方法がある。それはRFPに示された項目をそのままの順序で提案書の目次に取り込むことだ。こうすると項目漏れの心配がなくなるだけでなく,提案書を読む顧客も自分の求めたものがその順番で書かれているので読みやすい。もちろん,顧客に求められたことを書いただけの提案書など何の付加価値もないので,プラスαは別に考える。

 期日と提案項目を確認したら,RFPの本文を読む。数十ページ程度のRFPなら提案チーム全員が繰り返し3回は読むべきだ。だが,100ページを超える長文のRFPとなるとそうはいかない。そういう時は基本的なことを書いた部分は全員が読み,それ以外の部分は分担する。各自は自分が担当するパートを読み,重要な部分にアンダーラインを引いてポストイットを貼る。そして各パートのアンダーラインのあるページだけを集めて「抜粋版RFP」を作るのだ。この抜粋版RFPを全員が読む。

 RFPを読み込んだら「よい提案書」のイメージ固めだ。これは知恵の出し合いしかない。知恵を出し合ってイメージを固めていく過程で,情報として不足しているものが何なのかがはっきりしてくる。それを分担して集め,整理するのである。

本を書くためのINPUT

 誰もがすることではないが,本を書くためのINPUTは楽しく勉強にもなる。本に書く内容の主要な部分は自分の知識やノウハウとして頭の中にある。しかし,本というのはある程度体系だっていなけらばならず,網羅的でもなければならない。すると自分の頭にあるものだけだとアチコチにムラがあることが分かる。

 このムラをなくすためにINPUTが必要なのだ。私がINPUTとして使うのは専門誌の切り抜き,専門書,インターネットだ。専門誌では日経コミュニケーションが多い。私は半年に1回くらい雑誌を整理する。3種類の専門誌を購読しているので,放っておくと本棚がすぐあふれるからだ。

 雑誌を整理する(捨てる)時に,自分のテーマ(企業ネットワークの設計)に関係が深いと思う特集記事はそのページだけ破ってとっておく。きれいにファイルしたりはしない。破ってホッチキスで留め,黒い紙クリップで束ねておくだけだ。これが意外に役に立つ。専門書では,自分の不得意なところを補う目的で入門書を読むことが多い。

 自分の書く本のメインテーマは最新のこと,たとえばIPセントレックスを目玉にしているので参考になる専門書などない。

 インターネットは強力なINPUTのツールだが,情報が集まりすぎるのが欠点だ。一番使う検索エンジンはGoogle。ただしこのあたりのツールの使い方に関しては,私より上手な方がたくさんいるだろう。ともあれ,「自分に必要なのはここまで。これで十分」と見極められるかどうかが大切になる。より広く,より詳細に,と追求していくと際限がない。

漱石のINPUT

 霊の湯からあがって個室に戻り,ゴロンとなって考えた。38歳から49歳までの短い作家生活でたくさんの小説を残した漱石のINPUTは何だったのだろう。単純な答えだが,作家にとってもっとも貴重なINPUTは自身の体験ではないだろうか。漱石が松山に住み,道後温泉を楽しんだのは明治28年4月9日から翌年の4月11日までのわずか1年に過ぎない。そして,松山を去った10年後に「坊ちゃん」を発表している。

 松山での1年の体験がINPUTとなって名作が生まれた。今では「坊ちゃん団子」、「坊ちゃん電車」など,いろいろなものに「坊ちゃん」が冠され,松山の大事な観光資源になっている。

(松田 次博)

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松田 次博:情報化研究会主宰。1984年より,情報通信に携わる人の勉強と交流を目的とした情報化研究会(www2j.biglobe.ne.jp/~ClearTK/)を主宰。著書にVoIP構築の定番となっている技術書「企業内データ・音声統合網の構築技法」や「フレームリレー・セルリレーによる企業ネットワークの新構築技法」などがある。NTTデータ勤務。趣味は,読書(エッセイ主体)と旅行。