2月6日,日経BPが主催する展示会「NET&COM2003」での講演のため幕張へ行った。幕張はちょっとアメリカ的風景で,住みたいとは思わないが好きな街だ。NET&COMでの講演は2000年以来4年連続4回目となる。毎回,200人の会場が満員になっていたのだが,今年は特別に400人の会場にしてもらった。それでも満員。2時間で2万円の講演に400人というのはNET&COMでは前代未聞とのこと。昨年7月に講演タイトルと内容を決めた私のアイデア勝ち,といったところだろうか。

 講演のタイトルは「2003年版VoIP:IP電話とIP-Centrexで企業ネットワークを革新する」。内容は前回のこのコラムで想像がつくだろうから,ここには書かない。講演の要約は情報化研究会ホームページにあるので,興味のある方は読んでいただきたい。

 2時間のうち,後半の30分を東京ガスの田井マネージャーに事例発表していただいた。東京ガスを受注したのは昨年11月。私が田井マネージャーに講演を依頼したのは何時だろう? ほとんどの人は11月以降と思うだろう。正解は昨年の8月である。18社が参加したコンペはまだ戦いのさなかだった。しかし,私は絶対に勝ってやると心に決めていた。「私が勝ったら,NET&COMで一緒に講演してください」とお願いしたのだ。ずうずうしさに自分でも呆れる。

 システム・インテグレータである私だけが話すのと,ユーザーが一緒に話すのとでは,インパクトが違う。ましてや大企業で初めてIP電話/IPセントレックスを導入する東京ガスの事例である。予想どおりの反響だった。ちょっとツラかったのは400人の中にNTTグループの人が80人もいたこと。珍しく気を使ってしまった。「あれで気を使っていたの?」と思う方もいるだろうが。

 今回のコラムは話すことではなく,「書くこと」について書きたい。話すことも好きなのだが,こうして書くことも好きである。

何故,書くのか

 私が書く理由は二つ。第一に自分の仕事を形あるものとして残したい。第二に影響を与えたい。それだけだ。サラリーマンの仕事,とりわけIT分野の仕事はソフトウェアにしろ,ネットワークにしろ,何年か経てば消えてなくなってしまう。自分の知恵と努力の結晶が残らないのだ。

 書きもの,例えば本にすれば残る。書籍は出版されると出版社が必ず国会図書館に納本する。したがって,筆者がこれまで書いた3冊の本は国会図書館の書籍検索(http://opac.ndl.go.jp/)で著者名検索すると書誌データが表示される。

 私の孫が私の本を検索することはないだろうが,3人の息子たちは何十年か経って「親父はどんな仕事をしていたのだろう」と,検索するかもしれない。あるいはVoIPとか,IP電話は何時から使われているんだろう,と研究者が調べるかもしれない。国会図書館が焼失でもしない限り,半永久的に「本」は残るのだ。それがどうした,という人もいるだろう。私はそれが嬉しい。

 影響を与えること。せっかく生きて仕事をしてるのだから,居ても居なくても同じ,というのはつまらない。良きにつけ,あしきにつけ「他に影響を及ぼす」のが生きている,ということではないだろうか。書くことはその一つの手段だ。何のことはない,小学生の時代から進歩していないのだ。低学年の頃,先生の質問にハイハイと手を挙げていた。その気分と本質は変わらないと思う。

どうすれば書けるのか

 答えは簡単。書きたいことがあれば書ける。文章の上手下手など関係ない。問題はあなたが書きたいことを持っているかどうかだ。高尚なこと,かっこいいことを書いてやろうと考えると,書くことは見つからない。

 今回のコラムを書き始める前の数分間,今月は何を書こうか,と考えた。コツは今もっとも身近なエピソードから発想することだ。実は今週,私の新しい本の校正が終わった。4冊目の本がもうすぐ世に出るのだ。そうだ,書くことを皆さんに勧めよう,ということで今回のテーマが決まった。これでいいのだ。子供が遠足に行って感想文を書くのと変わらない。

 書くことが決まるとWordを起動する。このコラムは4000字なので,ページ設定で1行40字,1ページ25行,つまり1ページ1000字の設定をする。これで4ページ書けばいいわけだ。次にプロット,話の構成を決める。私のやり方は簡単だ。見出しを四つ決める。今回の記事で言えば,「何故,書くのか」,「どうすれば書けるのか」,「どんな文章が読む人に訴えるのか」,「京都の春がまた来る」——となる。この見出しを先に打ってしまう。

 書くことを勧めよう,と決めたとき,皆さんが知りたいことは何だろうと考えた。すぐに最初の三つの見出しが頭に浮かぶ。では,最後のおちをどうつけるか。これも簡単な連想ゲームだ。そろそろ春,京都研究会だな,そう言えばこのコラムも京都研究会のことでスタートしたな,で決まる。最初の三つの見出しは10秒,最後の見出しは20秒,合計30秒で四つの見出しが決まる。

 昔ながらの起承転結のプロットが見出しを羅列するだけでできるのだ。あとは文章で肉付けしていくだけでよい。

どんな文章が読む人に訴えるのか

 これは分からないというのが正直なところ。このコラムのバックナンバーがIT Pro(http://itpro.nikkeibp.co.jp/)の「技術の広場」で掲載されている。IT Proでは,記事を読んだ人が「ほとんど読んだか,読まなかったか」,「参考になったか,ならなかったか」を投票でき,感想も書き込めるようになっている。毎回,これを読むのが楽しい。2月は,「優れたプロの条件」という昨年11月号のコラムが掲載された。夏の家族旅行を題材にしたものだ。「間違いだらけのネットワーク作り」とうたっているにもかかわらず,ネットワークのネの字も出てこない。バスガイドさんの仕事ぶりを見て,「プロというのはこうあるべきだ」ということを書いた。編集長からは,「旅行記になってますね,次回はちゃんとしたのをお願いしますよ。」と言われた。

 ところが,IT Proの投票結果を見てみると,93%の人が「ほとんど読んだ」を,88%の人が「参考になった」を選んでいた。コメントの書きこみにしても,「 私自身も“この前までは大嫌いな技術だったのに,今その仕事をしているなあ”と自分を悲観することがありましたが,別に落ち込むことはないのかなと思いました。また,プレゼン技術は場数と訓練によるものなのでなんとかなるものと思います。しかし,“間抜け”を脱出するのは高度な技術力だと思います」といった肯定的なものが書かれていた。中には「ひさびさに旅行がしたいなと思った。」と一言のコメントも。編集長の予想を裏切り,IT Proの読者には喜ばれたようだ。

 このことから分かるのは,日経バイトやIT Proのコラムだからテクニカルなことを書いていないと技術者である読者に受け入れられないかというと,必ずしもそうではないということだ。書いてある内容に対して「間を取ることが大事なんだなあ」とか,「旅行っていいなあ」とか,読む人それぞれに受け止め方は違っても「共感を呼ぶ」ことが大事だと思う。

 私が最近感じているのは,IT業界で仕事をしている人たちは技術知識にはウンザリしているのではないか,ということだ。技術知識は仕事をする上で必要だから本を読んだり,インターネットで調べたり,人に教えてもらったり,いろんな形で吸収している。しかし,本当に得たい情報はバスガイドをやろうが,ネットワークSEをやろうが,普遍的に必要とされる知恵あるいは教訓とでも言うべき情報なのではないだろうか。

 読者に訴える文章を書くためのヒントを,最近読んだ吉本隆明の「夏目漱石を読む」(筑摩書房)で見つけた。「大なり小なり漱石の作品が訴えかけてくる感動は,作者が,われを忘れて身を乗り出してきて,小説の枠組みを跨(また)ぎ越してしまうところにあるような気がします。まじめで真剣なものだから,けっして読者に悪い感情をあたえないんです」(p.17)。文章のテクニックより,書き手のまじめさ,真剣さが感動を与える。これなら私たちにもまねできそうだ。

京都の春がまた来る

 この原稿を書いているのは2月下旬。まだまだ寒いのだが,ふと寒さがゆるむ日もある。日も長くなりはじめた。この頃になると毎年春にやっている京都研究会の企画をあれこれ考え始める。テーマは何にしようか,誰に話を頼もうか。昨年は花が終わっていたが,今年はしだれ桜を是非見たい,などなど。京都にはNTTの若手を中心とする情報化研究会京都組がある。とりあえず,4月12日に開催することだけ決めて,会場の確保をお願いした。

 このコラムの第1回は昨年の京都研究会のことを書いた。今年もここでの話題を基に,まじめで真剣なコラムを書こうと思う。

(松田 次博)

松田 次博:情報化研究会主宰。1984年より,情報通信に携わる人の勉強と交流を目的とした情報化研究会(www2j.biglobe.ne.jp/~ClearTK/)を主宰。著書にVoIP構築の定番となっている技術書「企業内データ・音声統合網の構築技法」や「フレームリレー・セルリレーによる企業ネットワークの新構築技法」などがある。NTTデータ勤務。趣味は,読書(エッセイ主体)と旅行。