パソコン用ソフトの定番中の定番といえば,ワープロだろう。文書作成は,パソコンの作業の中でも代表的なものだ。ワープロは,パッケージ・ソフトの進化を牽引してきた。次々にさまざまな機能を搭載し,文書作成の効率を高めてきた。

 だが最近のバージョンアップを見ても,新機能にあまり魅力がない。ちょっと停滞している観がある。その最大の理由は,ワープロソフトがすでに相当のレベルに到達しているからだろう。文字を入力し,装飾を付け,文書の体裁を整えるという基本的な目的ならば,ほぼ満たせる状況にある。

 メーカーの担当者でさえこの事実を認める。マイクロソフト製品マーケティング本部オフィス製品部の横井伸好部長は,「文書を作るという意味では,ワープロ製品はかなり成熟してきた。これまでのワープロという概念の中では,完成したと言える」と語る。ジャストシステムアプリケーション製品開発部開発グループの佐尾山英二ディレクタも同じ見方をする。「今ある機能すべてを駆使できるユーザーなら,一太郎で望みの文書を作れるだろう。その意味では一太郎は完成されたと言っていい」(佐尾山氏)。

寡占化が進んだ日本語ワープロ

 停滞感をもたらすもう一つの理由に,日本のワープロソフト市場の寡占化が挙げられる。Windowsに限ればマイクロソフトの「Microsoft Word」が圧倒的に強い。次にジャストシステムの「一太郎」が続く。もちろんそれ以外にもワープロソフトは存在するが,事実上姿が見えない状況にある。例えば管理工学研究所は「松」のWindows版として「松風」を販売してきたが,新規の開発を中止している。その理由は「売れないから。投資した金額の回収予定が立てられない。WordやExcelが,パソコンにバンドルされるようになった頃から特に売れなくなった」(管理工学研究所の武田氏)。「VJE-Pen」を開発/販売していたバックスも,次期バージョンの開発計画を立てていない。「ワープロは,Wordと一太郎に絞られた。製品の良しあしに関係なく,これら以外のものは売れない」(バックスの田中一哉常務取締役)。

 かな漢字変換ソフトとなるとさらに状況は厳しい。日本語版Windowsに標準搭載されている「MS-IME」を相手にしなければならないからだ。エー・アイ・ソフトは「WXG」を開発/販売してきたが,次版の開発の予定はない。「かな漢字変換ソフトではもう商売にならない。無料でついてくるものを,わざわざお金を払って買う人は少ない」(エー・アイ・ソフト営業部の松岡紫郎部長)。

3段階の進化のステップ

図1●Wordと一太郎の進化の歴史
基本機能の充実,日本語処理の強化と他のソフトとの連携,ユーザー・インタフェースの改良という三つの段階で進化してきた。

 Wordと一太郎を軸にワープロの進化を振り返ると,停滞している理由も見えてくる(図1[拡大表示])。その歴史は,大きく三つの段階に分けられる。(1)基本機能の充実,(2)日本語処理の強化と他のソフトとの連携,(3)ユーザー・インタフェースの改良,である。逆に言えば機能面での目新しさがなくなったから,停滞しているように映るのだ。

 1980年代は,文書作成の基本機能を揃えることが最優先課題だった。例えば日本語入力での,連文節変換の導入。ワープロでの文字入力は,漢字に対応するコード番号を打ち込む段階から始まった。その後,ひらがなから漢字へ1文字単位で変換可能になった。これが単語単位になり,それを複数組み合わせた複合語や文節単位での変換へと進んだ。連文節変換はさらにその次のステップである。「jX-WORD太郎」で,複数文節をまとめて変換できるようになったのは大きな進歩だった。

 編集面では,画像やグラフなどを貼り込んだり,目次や索引を付ける機能などを追加していった。1980年代後半には,簡易的な表計算やデータベースなどの機能もワープロに盛り込まれた。複数のアプリケーションを同時に起動できないMS-DOS用だからこその機能拡張だった。

 1990年代に入ると,Windowsへの対応と合わせて日本語処理機能を強化する方向に進んだ。その一つが,一太郎のver.5で搭載されたATOKの新機能である。かな漢字変換の精度を上げるために,周囲の単語を考慮する「AI変換」をうたった。

 文章の入力時の日本語処理能力を高めるだけでなく,すでに入力されている文章の誤りをチェックする機能が登場し始めたのもこの頃だ。1994年に発売されたWord 6.0では,誤字や脱字の指摘や,文体の不揃いの検出などができた。一太郎は,1995年に同様の機能を搭載した。後発である分,係り受けがあいまいな表現や名詞の表記揺れを見つけるなど,さらに高度な日本語処理技術を盛り込んだ。

 Windows 95の発売とともにWindowsが全盛となると,ワープロは一度ある意味で白紙の状態に戻る。これまでDOSで積み上げてきた機能を,一からWindowsに移植しなければならなかったからだ。一方で複数のアプリケーションを同時に起動できるWindowsでは,他のソフトの機能をワープロが取り込む必要はなくなった。

 その代わりに,他のソフトとの連携が必要になる。その先駆けとなったのがWord 6.0である。OLE(Object Linking and Embedding)2に対応し,Excelなど他のアプリケーションで作成したデータ(オブジェクト)をWord文書の中に貼り付けられるようになった。

 2000年前後になると,ユーザー・インタフェースを改良し,使い勝手を上げるアプローチが現れた。ユーザー・インタフェースの基本的な作法をOSが支配するWindows環境だと,すべて独自のMS-DOSに比べて独自性を出せなかった。ようやくこの部分の改良が始まった。一太郎は1998年に,作成する文書の内容に応じてメニューの構成が変わる「ドキュメントナビ」を設けた。2001年には,Wordが「作業ウィンドウ」と呼ばれる画面を用意した。書式設定や段落などのスタイル情報を一覧で表示し,設定を変えやすくした。一太郎も操作の履歴などを表示する「ナレッジウィンドウ」を2002年に追加した。

機能拡張からの脱却へ

図2●今後のワープロが進化する方向
機能強化が一つの限界を迎えた今,使い勝手の向上と,ワープロが持つ既存のイメージを超える機能の追加,そして日本語処理の強化の三つがワープロが進む道である。

 このように,両製品とも機能拡張や改良を重ね,規模が大きく質的にも成熟したソフトになってきた。どちらも最近では使い勝手に重きを置いており,新機能と呼ぶべきものはあまりない。逆に言えば,文書を作成する目的を満たすだけならば十分な機能を備えているように見受けられる。

 だから各ワープロ・メーカーにとって,今後どう展開していくのかが課題となっている。単純な機能追加では限界に達していると誰もが感じている。「Microsoft Officeが生まれてから10年,他社製品との機能比較をしながら機能を積み重ねてきた。しかし今,それが本当に使われているのか,分かりやすい形で提供できているのかを考える時期に来ている」(マイクロソフトの横井氏)。「ワープロは汎用的だからこそ,誰でも使えて何でもできることが求められていた。それに応えるために,機能をどんどん搭載した。しかし結局広く浅いものになり,中途半端な状態に陥った」(富士通ソフトウェア事業本部運用管理ソフトウェア事業部第四開発部の杉田敏彦プロジェクト課長)。

 したがってこれからのワープロがやるべきことは,単なる機能追加ではない。大きく方向性は三つある(図2[拡大表示])。(1)機能を豊富にしたゆえに分かりにくくなったワープロを使いやすくすること,(2)ワープロが持つ既成の概念にとらわれず,新しいやり方でユーザーの作業効率を高めること,(3)まだ発展途上にある日本語処理技術の強化,である。

 この観点からすれば,やるべきことはたくさん残っているというのがメーカーの見方だ。ジャストシステムの佐尾山氏は,「文書を作るという幅広い目的のために必要なもののうち,現状の一太郎が持つのはまだ3割にも満たない」と語る。マイクロソフトの横井氏も同意見だ。「Wordを含めたオフィス製品は,まだコップの半分しか満たせていない。やるべきことはあと半分ある」(横井氏)。

(八木 玲子)