12月7日土曜日,神田駿河台の明治大学リバティータワーに出かけた。私が主宰する情報化研究会を開催するためである。リバティータワーは名前のとおりこれまでの大学のイメージを一新する高層ビルだ。

 少し早めに着いたので1階の休憩コーナーへコーヒーを飲みに行った。そこでNTT京都組の5人に遭遇。NTTコミュニケーションズ京都営業所,NTT西日本京都支店の若手である。毎年春の京都研究会を手伝ってくれている。5人とも出張ではなく,自費で来たと言う。往復の新幹線と会費で3万円を超える。熱心さに感激した。同時にそれだけの価値のある話をせねば,と思った。

 講師は総務省の松井俊弘氏とNTTPCコミュニケーションズの波多浩昭氏,そして私の3人である。参加者は120人。テーマは「IP電話で日本のネットワークを革新する」。オーバーなテーマと思うだろうか? オーバーだと思う方は,今ネットワークの世界で起こっている革命に気づいていないのだ。

 今回は研究会の模様を紹介しながらIP電話の意味について書こうと思う。

IP電話のプロバイダ連合はユーザー不在の争い

 松井さんからは「IP電話の普及に向けた環境整備について」と題し,2002年2月に公表されたIPネットワーク技術に関する研究会の報告内容を中心に,IP電話の課題や今後の取り組みについて話していただいた。この報告書は総務省のホームページからダウンロード出来るので是非お読みになることをお勧めしたい。IP電話の仕組みから品質評価,番号の考え方,電話番号とIPアドレスを対応づけるENUMなど,ヘタな市販の本よりIP電話の入門書として役に立つ。

 松井さんの話を聞きながら考えたのは,IP電話サービス事業者間の相互接続がユーザーの利益優先でどんどん進むようなルールが必要ではないか,と言うことだ。IP電話サービスを提供するサービス・プロバイダが6社連合だとか言っているが,ユーザーから見れば連合軍など迷惑な話で,どのプロバイダに加入していようが自由に通話料無料で電話がかけられるのが理想だ。BBフォンのユーザーが連合軍のユーザーにかけるときは有料,連合軍のサービス・プロバイダ間では無料というのでは,ユーザー不在の縄張り争いと言われても仕方がない。

 このことを質問すると,「第一種電気通信事業者は別の事業者から相互接続を申し入れられた場合,必ずそれに応じねばならないが,ISP(第二種電気通信事業者)はそうではない」とのこと。電話サービスを提供するISPも第一種電気通信事業者と同等になればいいわけだ。インターネットが一部の研究者やマニアの間で使われていた時代はとうに終わり,ビジネスや日常生活で広く使われている。さらにIP電話という,近い将来レガシーな電話に代わってライフラインになるかもしれないサービスを提供するISPなら,第一種事業者と同等に扱っても何らおかしくない。そうなるのは遠い未来のことではないだろう。

SIPとMSN Messenger

 NTTPCの波多さんの講演はSIPサーバーを自作した話。SIPはSession Initiation Protocolの略称。名前のとおり,電話機やコンピュータなど通信を行うシステム間にセッションを設定するプロトコルである。これからのVoIP用プロトコルの本命と言われている。

 これまでのVoIPは電話交換機からの音声をゲートウェイでIP化し,中継網をIPネットワークにして経済化を図るものだった。ここで使われていたプロトコルがH.323である。メッセージがバイナリ形式なので人間が読んで理解できない,通信時のシーケンスが複雑,といった難点があり使いづらいものだった。

 これに対してSIPはテキスト形式のためメッセージの内容を理解しやすく,HTTPやSMTPに似たシンプルなシーケンスなので使いやすい。SIPはあくまでセッションを設定するのが役目だから,そのセッションをVoIPに使おうが,ビデオカンファレンスに使おうが,それはユーザーに任されている。この柔軟性,拡張性もSIPの大きな特徴である。

 波多さんがSIPサーバーに用いたLinuxマシンは,タバコの箱の2倍ほどの大きさ。ここにUDP/IPのプロトコル・スタックや,SIPのリクエストを処理するプログラムを自作したのだ。SIPクライアント(正確にはユーザー・エージェントという)にはMSN Messengerを使用。音声チャットでVoIPを実現している。デモで設定や操作を見せてくれたが,具体的で分かりやすかった。

 面白いと思ったのは,最新のMSN MessengerではSIPサーバーのアドレスを打ち込めなくなっているということ。マイクロソフトのシステムにアクセスしないと使えないのだ。これは,一般のSIPサーバーのクライアントとしては使えないということ。独占の弊害だろうか。MSN Messengerが汎用的なSIPクライアントとして使えるなら,ソフトフォン(パソコンにVoIPソフトを載せて電話機能を持たせたもの)のデファクトになると思っていたのだが・・・。もっとも,別の見方をすればWindowsで動くソフトフォン・ベンダーに活路が開けた,ということでもある。ソフトフォンはアプリケーションとの連動が出来るため,IP電話の広がりとともに普及するだろう。マイクロソフトの独壇場にならず,ユーザーが多様な選択肢を持てればいいのだが。

企業ネットワークの革命が始まった

 12月13日の日経新聞一面に「IP電話を全面導入,東京ガス通信費を半減」という見出しが踊っていた。私の仕事である。この研究会の時点では報道されてなかったため,この話は出来なかった。「IP電話で企業ネットワークを革新する」というテーマでこれからの企業ネットワークのあり方と,その中核となるIPセントレックスの概要について話した。ここでは,東京ガスのことを踏まえて書こう。

 IPセントレックスとは,通信事業者側に共同利用型のVoIPサーバーを設置し,企業の内線電話も外線電話もソフトスイッチで処理するものである。ソフトスイッチとはソフトウェアで電話交換のサービスを実現するシステムのこと。広域イーサネットなどブロードバンドで信頼性の高い回線サービスで構築された企業のIP網を,IPセントレックスと接続する。企業のLANにはIP電話機を接続。これで内線も,外線も通話可能になる。東京ガスに採用していただいたIPセントレックスはSIPベースのソフトスイッチだ。電話機はLinuxで動く。つまり,電話機の形をしたコンピュータだ。

 これは企業ネットワークの革命である。これまで企業の電話と言えばPBX(構内用電話交換機)を使うのが当たり前だった。しかし,IPセントレックスとIP電話機があれば,PBXを使わずに済む。PBXどころか,VoIPサーバーさえ持つ必要がない。コンシューマ向けのIP電話サービスは単純な電話の発着信だけだが,IPセントレックスは代表番号,転送,保留,発信規制などPBXの持っていた企業向けのサービス機能もある。

 これまで,IP電話はコンシューマーか中小企業が使うもの,というイメージがあった。ところが,東京ガスは,社内ネットワークに約2万台もの電話機をつないだ大規模ユーザーである。日本の企業は,「東京ガスさんが使えるなら,うちも使えるはずだ」とIP電話に目覚めるはず。企業ネットワークの革命に火がついたと言えるだろう。

路地の奥のレトロな喫茶店

 研究会が終わって10数人で打ち上げ。エネルギーにあふれる人たちとワイワイ言いながら酒を飲むのは楽しい。二次会はJR御茶ノ水駅に近い喫茶店。細い路地を入った奥まったところにある。この喫茶店がレトロで良かった。

 テーブル,イス,内装,すべて古いものを大事に使っている。テレビはガチャガチャとチャンネルを回す,20年以上前のもの。トイレに入って驚いた。私が30年近く前に大学に入ったころ,下宿で初めて見た水洗トイレと同じなのだ。木の箱に入った水槽が高いところにあり,そこから細いクサリのひもが下がっている。それを引っ張ると水が流れる。30年前がそのまま保存されている。

 そう言えば,遅い時間なのにお客が多い。中年男性が主である。このレトロな雰囲気が懐かしいファンがいるのだろう。ITの世界で仕事をしていると,元気な時は変化を楽しめるが,たまにはノンビリしたいと思うこともある。そんな時,こんな喫茶店に来て変わらないことの良さをかみしめるのもいいものだ。

(松田 次博)

松田 次博:情報化研究会主宰。1984年より,情報通信に携わる人の勉強と交流を目的とした情報化研究会(www2j.biglobe.ne.jp/~ClearTK/)を主宰。著書にVoIP構築の定番となっている技術書「企業内データ・音声統合網の構築技法」や「フレームリレー・セルリレーによる企業ネットワークの新構築技法」などがある。NTTデータ勤務。趣味は,読書(エッセイ主体)と旅行。