銀座にお気に入りのワインレストランがある。ソニービルから電通通りを新橋方向へ2分ほど歩いたところだ。ビルの2階にある小さな店である。テーブル席は20もない。通りに面した窓は床から天井までガラス張り。小さな店の大きな窓が開放感を感じさせてくれる。何と言う名前の木なのか,街路樹が大きな窓いっぱいに伸びやかに枝を広げており,ちょっとした森の中にいるような気分になれるのが気に入っていた。

 この店で11月はじめに大型案件の受注を祝う内輪のパーティをした。このお客様からは4月にコンサルティングを発注していただき,次期ネットワークの検討をさせて頂いた。その結果を踏まえた次期ネットワーク構築のコンペが20社近いベンダーで行われ,私のチームもその中で戦い,勝利したのだ。

 私は,営業と開発の両方の責任を持つプロジェクト・マネージャーである。先頭に立って営業し,開発する。営業が売れない理由を開発部隊のコストの高さや提案内容の悪さのせいにしたり,反対に開発側が売れない理由を営業の能力不足のせいにしたりするのはどんな企業でもありがちなことだろう。

 しかし,私のプロジェクトでは責任の所在は,営業も開発も私だ。こんなに分かりやすく,やりがいのあるシステムはない。

 今回はいかにコンペを勝ち抜くか,ということを書こうと思う。もちろん,現実の商談のことをそのまま書くことは出来ない。以下で述べることは,筆者のこれまでの経験を下敷きにした持論である。

勝利の黄金比=論理30:非論理70

 結論から書こう。営業フェーズの仕事は論理30%,非論理が70%であり,この両方で勝たねばならない。

 論理の世界とは提案内容とその価格,コンサルティングや提案をしているチームの実力など,論理で評価できる世界である。受注するために30%の論理の世界で勝たねばならないのは当然だ。しかし,論理の世界で勝つには非論理の世界で勝つことがほとんど絶対条件だと私は思っている。

 非論理の70%にはさまざまな要素が含まれる。顧客から見てプロジェクト・マネージャーが信用できるか,好きか嫌いか,信用をおける会社か,自社製品の取引があるか,トップ同士のつながりはどうか,などなど。技術的ではまったくない,どちらかと言えば“文学的”な世界の勝負だ。

非論理の戦いはRFPが出る前に始まっている

 できない営業マンは,顧客から「新しいシステムのRFP(Request for Proposal)が出来たから説明会においで」と言われて初めて商談をキャッチする。この時点で,既に非論理の戦いに負けている。大抵のケースで,非論理の戦いはRFPが出た時点で勝負がついているのだ。

 顧客がRFPを作るのは,新しいシステムやネットワークを作りたいというニーズがあるからだ。RFPという形で複数のベンダーに公開される前にそのニーズをキャッチし,積極的に顧客のRFP作りに協力できるか,協力させて貰えるかが非論理の世界を制する鍵だ。

 RFPが出来上がる前に顧客のニーズをよく理解し,システムやネットワークの状況を把握し,顧客との間に強い信頼関係を築く。

 非論理の戦いに勝ったか負けたか,それは何によって知ることが出来るのだろう?もちろんデジタルな答えはない。私は「キーマンに“我々のチームと仕事をしたい”という気持ちになって貰う」ことだと思っている。

 キーマンが誰かを出来るだけ早く発見することは,どんな商談でも鉄則だ。キーマンは必ずしも意思決定権を持つ役員や部長ではない。顧客の組織の中でコンセンサスが作られる過程で,誰がその中心になっているか察知することが重要だ。

 キーマンを見極め,その人に「この人たちと仕事をしたい」と思ってもらうにはどうすればよいか。これをこと細かに書くときりがない。が,基本は「この人たちなら最後まで一生懸命やってくれるだろう」と思っていただくことだ。非論理の世界のポイントは「一生懸命」。どこまでもアナログで,文学的なのだ。

 今どきの若い世代はこんなアナログな世界は毛嫌いするのではないか,と思われるかも知れない。しかし,私のチームを見るかぎり,まったくそんな気配はない。仕事はきついけれども,頑張ることを楽しんでいるようにしか見えないところがある。私はというと,一生懸命を通り越して必死になっている。

 若いメンバーが何故頑張れるのか,これもいろいろな要素があるだろう。たぶん,こんな要素が大きいのではないか。「最新の技術を使っていて勉強になる」「大きな仕事でやりがいがある」「若いメンバーが多く,ワイワイと一緒に仕事をするのが楽しい」──。

 そして,私も含めて彼らが頑張れる最大の理由は,「我々とお客様の間にはSympathy(共感)がある」と感じ取っているからだと思っている。システムにしろ,ネットワークにしろ,新しいものをユーザーとベンダーが一緒になって作り出す時,両者の間にSympathyがあることが良いものを生み出す絶対条件だと私は信じている。

営業と開発,どちらが厳しい仕事か?

 お客様から電話連絡があり,冒頭の案件の受注が決まったとき私は立ち上がって「決まったぞ!」と叫んだ。一斉に拍手が沸いた。フロア全体に響きわたった叫びと拍手。まわりの人たちは何事が起こったのか,と立ち上がってこちらを見ている。半年を超える長い,激しい戦いを勝ち抜いたのだ。叫ぶな,という方が無理だ。

 その日のうちに祝勝会をやり,一夜明けた翌日,私はメンバーを会議室に集めた。提案したメンバーがそのまま設計・構築する。これも私のところのやり方だ。受注したらサヨナラ,開発は別の部署で,ということはしない。最後まで一生懸命やる,とは提案した者が責任を持って作り上げる,ということだ。

 集めたメンバーに言いたかったことは,これからの開発スケジュールとか,体制とか,そんな具体的なことではない。昨日までと,今日からは我々の仕事の意味がまったく変わったのだ,ということを伝えたかった。

 昨日まで,我々の仕事は営業フェーズだった。分厚い,設計書に近い提案書を作ったとしても,それはあくまで営業段階の仕事だ。すさまじいエネルギーと知恵を使って来たが,それはあくまで「営業」だ。

 今日からは「開発」が始まる。これまで検討してきたことの延長として開発が始まるのだが,昨日までと今日からとでは全く違う。私はメンバーに聞いた。「営業と開発とどっちが厳しい仕事だと思う?」。

 皆が考える時間を待って,答えを言った。「営業の方がはるかに厳しい仕事だ」。

 営業とは最大限の努力,120%の努力をしても受注できなければゼロになってしまう。努力が報われないことがごく普通にある。現に,コンペに参加した残りの10数社だって彼らにとって最大限の努力をしたはずだ。しかし,その努力はゼロになった。

 私は言った。「我々は幸せだ。今日から開発できる。開発の努力,苦労はすべて成果となって残っていく。ゼロになることはない。これが営業と開発の決定的な違いだ。今日からあらゆる努力をしよう」。

街路樹のない風景

 祝勝会をして2週間ほど過ぎた。開発のキックオフ・ミーティングはとうに終わり,設計チームのエンジンは思い切りアクセルを踏み込んだフル回転状態にある。何事もスタートが大切。スタートダッシュはまず成功したようだ。

 少し骨休めしようと気の置けない仲間とくだんのワインレストランへ行った。ちょうど街路樹が紅葉し,それを眺めながらおいしいワインでも飲もうと思ったのだ。

 いつもの窓側の席についてびっくりした。街路樹が消えているのだ。聞けば歩道の拡幅工事のため,ごっそり引き抜かれたという。来年の3月に新しい樹が植えられるとのこと。樹の名前を聞いてがっかりした。柳である。柳では大きな窓をおおうように枝を広げることはない。

 しかし,窓外を眺めながらワインを飲んでいて思った。“森のような樹がなくても,銀座の街をそぞろ歩く人の流れを見るのも悪くないな”。ふと気づくと店の女性が窓際でじっと立っている。どうしたの?と聞くと,「歩道の拡幅工事が面白くて」と微笑んだ。

 大きな窓はいい。いろんなものが見えて,見る人ごとにいろんな楽しみを与えてくれる。

(松田 次博)

松田 次博:情報化研究会主宰。1984年より,情報通信に携わる人の勉強と交流を目的とした情報化研究会(www2j.biglobe.ne.jp/~ClearTK/)を主宰。著書にVoIP構築の定番となっている技術書「企業内データ・音声統合網の構築技法」や「フレームリレー・セルリレーによる企業ネットワークの新構築技法」などがある。NTTデータ勤務。趣味は,読書(エッセイ主体)と旅行。