夏も終わろうかと言う8月下旬,やっと仕事が一息ついて例年の家族旅行に出かけた。

 今年は3泊4日で中国5県をまわった。安直なツアー。羽田から岡山に入り,観光バスで岡山県→鳥取県→島根県→山口県→広島県とまわり,広島から羽田に帰る。4日間で900キロもバスに乗るという強行軍だった。今回はこのツアーで出会った「プロ」のガイドさんのことを書こうと思う。

 岡山空港に降りて4日間世話になるガイドのTさんと対面。正直言ってガッカリ。ガイドさんと言えば,若くてカワイイ,というイメージだが,Tさんは本人曰く「古くてコワイイ」。まさに第一印象はそうだった。が,プロのガイドの値打ちは見かけではない,と気づかされるのに半日もかからなかった。

 最初に訪れたのは備中高松にある最上(さいじょう)稲荷。小高い山の中腹にある大きなお稲荷さんである。ここが特筆に値するのは,その長い長い坂の参道。読者の中には「千と千尋の神隠し」をみた方も多いだろう。この映画のオープニングに人気(ひとけ)のない,怪しい屋台の群れが出てくる。その雰囲気とこの稲荷社の長い参道の雰囲気がどこか似ているのだ。次男もそのことを口にしたので,やはり似ていたのだと思う。

 古く,寂れた店が延々と続き,オバサンがアイスクリンを売っていたり,客のいない喫茶店のオジサンがイスを並べて昼寝をしたりしている。もちろん,冷房などという気の利いたものはなく,奥をのぞいた三方が開け放たれている。参道の頭上は雨よけの屋根がかかっているため薄暗い。なんだか昭和30年代にタイムスリップしたような,ちょっと懐かしく,ちょっと怪しい雰囲気だ。

ワンパターンは致命的

 さて,私が「プロだなあ」と感じ入ったTさんの仕事の話に入る。ガイドといえば「右に見えます山は○○で,云々」というバスから見える風景を解説するのが基本。そこから出発して話を展開するのだが,Tさんのガイドは偏差値70を超えているなあ,と感心させられた。

 何故,上手と感じるのだろう,と聞きながら考えた。おおまかに言えば,“What”(何を話すか),“How”(どう話すか),そして“When”(どんなタイミングで話すか)が優れている,ということになる。

 まずWhatについて。Tさんの話は地理系,歴史系,雑学系,観光系,食べ物系に分けられる。たとえば地理系。出雲大社に向かう田園を走りながら,「このあたりの家,特徴がありますね? 何か気づきませんか?」と問いかける。一つは一軒一軒が離れており,集落になっていないこと。これを「離散集落」というとのこと。二つめは必ずどの家にも防風林があること。きれいな直方体に形を整えられた松が家の北面を守っている。三つめはそれぞれの家にお墓があること。確かにどの家の庭にもその片隅にお墓が見える。先祖が亡くなってからも家族と一緒にいられるように,ということらしい。

 一つめ,二つめまでは「なるほど」,三つめのお墓の話では「へえー」となってしまった。単に地理的な知識を教えてもらっただけでなく,出雲の人はきっと心が温かいのだろうな,とそこに住む人の情の厚さをも感じさせてくれた。

 歴史系の話の中では森鴎外のことが印象に残った。鴎外は島根の山峡の町,津和野に藩医の長男として1862年に生まれた。7歳まで津和野で育ち,その後父親とともに上京,終生帰ることがなかったという。軍医として陸軍軍医総監にまで上り,作家として名声を得た鴎外が1922年,その死に臨んで残した遺言は「石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」。石見(いわみ)とは島根県西部の古称である。

 遺言のとおり,鴎外の墓には官位もなく,ただ「森林太郎墓」と刻まれている。私が思ったのは鴎外の故郷への思いの強さである。清らかな水が流れ,鯉が泳ぐ津和野の町,それを囲む緑濃い山々。わずか7歳で故郷を離れ,亡くなるまで帰ることがなかった鴎外だが,生きている間もそこへ帰りたかったに違いない。そんなことを,淡々としたTさんのガイドを聞きながら思った。

 Tさんの話の中で一番感心したのは食べ物系と観光系の話だ。地理や歴史の話は一度覚えれば,繰り返し使える。が,Tさんの食べ物系や観光系の話はリアルタイムな現在の話なのだ。たとえば,米作の話から発展して今売られているお米で一番高いのは福島のミルキー・シルクで1キロ8000円,それに続くのが○○県の△△で×××円,とか,岡山の名産である桃は最高級だと1個1000円,という話がすらすらと出てくる。食べ物の値段の話は,スーパーなり,果物屋なりで自分の眼で見るということを不断に続けていないと出来ない。

 観光系はTさんが自身であちこちを観光したネタである。これもかなりリアルタイム性が高い。大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンや東京ディズニーシーの新しい話題がタイミングよく折り込まれる。

 Tさんをプロのガイドとすると,津和野の観光ガイドは素人に近かった。観光のために整備された武家屋敷や藩校がある一画を20分ほどで案内してくれたそのガイドは,笑いを取ることに一生懸命。確かに面白いのだが,次男は「ワンパターンだね」とささやいた。

 優れたプロの条件の一つはワンパターンに陥らないことだと思う。Tさんの話は決してワンパターンになることはないだろう。何故なら,リアルタイムの情報をつねにインプットし,ガイドに折り込んでいるからだ。おそらくTさんは街で買い物しているときも,プライベートで旅行に出かけているときも,新しいガイドのネタをどん欲に仕入れているのだろう。一言でいえば,ちゃんと勉強しているのだ。

 我々ITにかかわる仕事をするものも,プロであるならワンパターンに陥ることは致命的だ。顧客のニーズも技術もどんどん変化する。その変化より速く,自分の仕事の仕方や内容を変えていかねば存在価値を失うだろう。

 私は顧客から「松田さんの言うことはころころ変わるね。去年言ってたこととまるで違うじゃない」と言われるとうれしくなる。そして答えるのだ「私が変わったのではありません。技術や環境が変わったから,言うことが変わるのです」。

 ITの仕事をするものにとっての理想は,変化に先んじてワンパターン化しないだけではなく,一歩進んで自らが外部に向けて変化を引き起こすパワーを持つことだと思う。そのためにはTさん同様,不断の勉強と感度のいいアンテナが必要だ。

「間」の大切さ

 優れたプロであるための二つめの条件は「間」がある,ということだ。これは"How“と"When”の核心だ。

 Tさんの仕事で言えば,まずいつ話をするかにある。長いバス旅行だ。乗客も疲れているときに話を聞きたいとは思わない。昼食が終わった直後など,腹も満ちているし,早起きの疲れも出ている。そんな時にはガイドなどせず,寝かせて貰ったほうが乗客はありがたい。そんな乗客の空気を感じながら,Tさんはタイミングよく話を切り出していた。乗客の空気を感じることが出来ず,矢継ぎ早にガイドするのは「間」がないのだ。「間」とは相手の状態や周囲の状況などを推し量り,自分の言動や行動をコントロールできる「余裕」である。

 一つの話の流れの中でも「間」は大切だ。津和野の周辺は茶の名産地でもある。「世界で一番お茶の生産の多い国はどこでしょう?」。乗客は誰も答えない。おそらく若くてかわいいガイドなら必要以上の時間,答えを待つだろう。そうすると乗客は,「答えてあげないとかわいそうかな」などと余分な気を使ってしまう。

 かといって答える間を短くすると,「さて,どこの国だろう」と考える楽しみをなくしてしまう。Tさんは,短かすぎず,長すぎず,ちょうどいい間をおいてから答えをいう。「1位インド,2位中国,3位スリランカ,4位トルコ,5位ケニア,6位日本です」。

 我々がプレゼンテーションや講演をしたり,折衝するときにも間を取ることが大切だ。聞き手の空気や反応を感じ取り,次に話すタイミングや内容を考える。この「間」がない人のことを昔から「間抜け」という。

商売繁盛祈願

 旅の終わりは安芸の宮島。海の上に大鳥居が立つ厳島神社である。筆者は20年ぶりくらいの再訪である。宮島へはフェリーで渡る。わずか7分の船旅だが,大鳥居を右に見ながら大きく左にカーブして宮島港に入る。これも一種の「間」だ。もし橋が架かっていてこの短い船旅がなかったとしたら,宮島観光はずいぶん味気ないものになるだろう。

 厳島神社の参道はにぎやかで,名物の焼きガキやアナゴ丼を食べさせる店や旅館が並んでいる。創業100年を超える店も珍しくない。しかも,どの店も小奇麗にしている。それだけ古くから現在に至るまで,多くの参拝客に恵まれているということだろう。筆者もこの活気にあやかろうと商売繁盛のお守りを買ってきた。会社の机の脇に立てかけているのだが,さて,その効果や如何。

(松田 次博)

松田 次博:情報化研究会主宰。1984年より,情報通信に携わる人の勉強と交流を目的とした情報化研究会(www2j.biglobe.ne.jp/~ClearTK/)を主宰。著書にVoIP構築の定番となっている技術書「企業内データ・音声統合網の構築技法」や「フレームリレー・セルリレーによる企業ネットワークの新構築技法」などがある。NTTデータ勤務。趣味は,読書(エッセイ主体)と旅行。