これまでのADSLの高速化は,線路条件の良いユーザーに対してのものだった。つまり,ノイズがほとんどない環境で単位周波数当たりのデータ量を向上させることと,使用帯域を広げることで実現してきた。

 逆に線路条件が悪い電話局から遠方にいるユーザーにとっては,サービス品目の速度が上がっても,その状況はほとんど変わっていなかった。距離が遠くなると特に高い周波数成分の減衰が大きくなる上に,低い周波数成分も減衰するので,全体として送信できるデータ量が少なくなってしまうからだ。遠方ユーザーは高速化の恩恵をあまり受けられずにいたのである。

 さらに,2004年6月中旬には,TTC(情報通信技術委員会)のスペクトル管理サブワーキンググループ(SWG)において遠方のユーザーをさらに不幸にするかもしれない技術「EU(Extended Upstream)」が認められる方向だ。EUは上りの周波数帯域を下りの帯域まで拡張する技術で,遠方ユーザーの下り速度を低下させる可能性がある。

 そんな中,線路条件の悪いユーザーでも速度向上が期待できる新たなアイデアが出てきた。2004年5月28日に行われたTTCのスペクトル管理SWGの会合で長野県協同電算(JANIS)が明らかにした。

ウェーブレット変換を採用

図●ウェーブレット変換の採用によるメリット

 JANISのアイデアは信号処理部分にウェーブレット変換を採用することである。ウェーブレット変換は現行のADSLが信号処理に利用しているフーリエ変換よりもノイズ耐性が高い。このため,同じノイズ条件のときにフーリエ変換よりも単位周波数当たりの送信データ量を多くできるのではないかと考えられている([拡大表示])。周波数帯域を変更せずに,既存のスペクトル・マスクに従った運用でも高速化できるので,TTCでの新たな議論を必要としない。

 加えて,ウェーブレット変換にはフーリエ変換利用時に必須だった「サイクリック・プレフィックス」と呼ぶ冗長部分を設けなくてよいというメリットがある。この部分にデータを詰め込めることもスループット向上に寄与する。

 JANISの技術顧問の平宮康広氏は「ウェーブレット変換を採用すれば,どんな線路条件であっても下り速度を1M~2Mビット/秒程度高速化できるのではないか」と見積もっている。

ファームウェア変更で新方式に挑戦

 ADSLの信号処理にウェーブレット変換を利用するという発想は,JANISのオリジナルではない。ADSL関連の特許を多数持つ米Aware社が次世代ADSLのための技術として1995年頃に発表していた。ただ,(1)フーリエ変換方式でも十分な速度が得られている,(2)ウェーブレット変換がフーリエ変換と比較して計算量が多くなるため実現が難しかった――という二つの理由から実装が見送られていた。

 「ウェーブレット変換は現行のADSLチップのファームウェアを変更することで導入できるのではないかと考えている。今のチップはDSPの処理能力が向上しているので,十分な処理能力があると期待しているが,難しいのではないかという声も聞こえている。現在,Awareと交渉中だ。とりあえずサンプルを評価するところから始めたい」(平宮氏)という。

(中道 理)