「日本でのオープンソース・ソフトウエアに対する熱狂は,実態から乖離(かいり)した“バブル”に陥ってはいないか」--UNIXやオープンソース/フリー・ソフトウエア界での論客として知られ,NPO法人フリーソフトウェアイニシアティブ 副理事長も務めるコンサルタントの鈴木裕信氏は警鐘を鳴らす。「注目はされているものの,ソフトウエアを生み出す開発者を取り巻く環境は改善されていない」。  また,ソフトウエア特許政策の暴走を許せば,オープンソース・ソフトウエアを訴える第2,第3のSCOが現れかねないと警告する。(聞き手はIT Pro副編集長 高橋信頼)

---現状のどういった点が問題なのでしょうか。

鈴木裕信氏
 オープンソース・ソフトウエアは,確かに組み込みからEコマース,自治体や金融に至るまで様々な場面で使われるようになりました。しかし,オープンソース・ソフトウエアを実際に開発したり,日本語化などの普及活動を行っている開発者に目を転じると,その環境は改善されてはおらず,かえって普及にともなって責任と重圧だけが大きくなっているというのが現状です。

 経済学者のJ.K.Galbraith氏は,『バブルの物語』という著書の中で,バブルの定義としていくつかあげていますが、次の4点について現在のLinuxに当てはまるものがあります。それは「実態から乖離した熱狂」「テコの原理」「天才の出現」「歴史の健忘症」です。

 「実態から乖離した熱狂」という面では,例えば私もLinuxを使っていますが,扱い易いものではない。現時点ではWindowsやMacOS Xなどに比べ,まだ改善の余地はあります。でも,行け行けどんどんで採用してしまえという状態になっている。

 「テコの原理」とは,小さな力で大きなものを動かそうとすることです。政府というのは,テコの原理で社会を動かそうとするものです。バブル経済が発生したのは,中曽根首相時代の民活に端を発します。オープンソース政策でも同様なことが考えられていますね。

 「天才の出現」もありました。優れたコメンテータが,オープンソースの可能性をもてはやしました。もちろん彼らが十分に使いこなしていたり理解しているとは思えないのですが。「歴史の健忘症」も当てはまります。ITバブルと同じことを繰り返そうとしている。今の現状はバブルであると言えるのではないでしょうか。

◆普及はしたが,開発者の環境は改善されず責任だけが重くなっている

 オープンソース・ソフトウエアは,大企業の官公庁向けセクションといった,日本で最もコンサバティブな人たちまでがそれを使ってシステムを構築するようになりました。しかし,開発したり,普及活動をしたりしている側からはどうか。社会的に認知されるようになり,責任だけは増えましたが,待遇は良くなっていない。かえってよりプレッシャが増している。

 また多くの場合,オープンソース・ソフトウエアの開発や改良は会社から業務として認められていない。会社から帰って1人で夜中まで開発しているという状況があるわけです。それを「好きだからやっている」の一言で終わらせていいのか。このままでは,日本からの優れたオープンソース・ソフトウエアが増えることは望めません。

---どうすれば改善できるでしょうか。

 まず,企業は,社内のオープンソース/フリー・ソフトウエア活動を認知すべきです。オープンソース・ソフトウエア開発者が,夜,家に帰って寝ずにやっているのが健全な姿ではないはずです。昼間,勤務先でもできるように,活動を認めなければなりません。

 また,オープンソース/フリー・ソフトウエアの開発者を雇用すべきです。開発者が好きでやっているのは確かですが,かすみを食っているわけではない。経済的基盤が必要です。

 例えばSRAは,PostgreSQL開発チームの中心メンバーであるBruce Momjianをコンサルタントとして契約して収入が確保できるようにし,彼がPostgreSQLの開発に注力できるようにしています。PostgreSQLを使用して恩恵を受けている企業はほかにもたくさんある。何もしないで利用するだけでは,フリー・ライダー(ただ乗り)と非難されることになりますよ。

◆政府は人月の発想,単年度予算主義から抜け出せ

 政府もオープンソース・ソフトウエアの開発支援を行っていますが,従来の発想から抜け出せていません。

 経済産業省の外郭団体 情報処理振興事業協会(インタビュー時点,2004年1月5日から独立行政法人「情報処理推進機構」に改組)では,「オープンソフトウェア活用基盤整備事業」でオープンソース・ソフトウエアを開発させようとしていますが,開発人件費を人月で見積もりを出させている。何時間働いたかという時給ベースのプログラマの派遣と同じです。ソフトウエアの価値というものを認めていない。これでは,優秀なプログラマを開発にあたらせると赤字になってしまう。こういった整備事業にプログラマが応募したいと思っても,赤字では経営者は許可しません。

 また,ソフトウエア開発自体がプロセスであるということが考慮されていない。ソフトウエアは何年にもわたって改善され続けていかなければならないのに,作るだけ作ったらそこで支援もおしまい,というのでは,よいソフトウエアは決して生まれない。単年度予算主義から抜け出すことが必要です。

 単年度予算では,例えば,サーバーを借りることさえ難しい。数年間使うサーバーを借りるのに,単年度予算では,その年に使い切って,かつその年の間に価格に見合う成果を出さなくてはいけないからです。

---「このままでは第2,第3の(オープンソース・ソフトソフトウエア関連企業やユーザーを訴える)SCOが出現する」という警告もされておられますね。

 米SCO Groupの主張はかなり矛盾に満ちています。SCOが「流用された」と主張しているUNIXのコードは,実はすでにオープンソース化されたコードだったり,流用されたというコードのサイズは実際のLinuxカーネルに組み入れられたサイズより大きかったりという具合です。論理が破たんしている。

◆特許重視政策の暴走を止めなければ,第2,第3のSCOが現れる

 しかし米国では,特許を攻撃的に使い利益を得るというプロパテント政策が暴走を始めています。もともと80年代の米国製造業の凋落に際して,レーガン政権時代,知財を収益源にして米国の国益を保護しようという政策でした。ITバブルが崩壊したことで,特許を武器に,最後の資金回収の手段として他社から金を吸い上げようとする企業がたくさん出てきている。

 プロパテント政策の暴走を止めない限り,第2,第3のSCOが現れる可能性があります。とはいえオープンソース特有の問題ではない。対象はオープンソースかプロプライエタリかではなく,金を持っているところです。米MicrosoftもIEのプラグイン特許で訴えられ,現在上告していますが第一審では5億2100万ドルの賠償命令を下されています。

 Microsoftは,プロパテント政策は行き過ぎではないかというロビー活動を行っています。実際にプロパテント政策は,なんら新しい価値を生み出さず,ゼロサム・ゲームどころか,経済活動全体を萎縮させています。

 プロパテント政策は共和党のレーガン政権の時代から始まったので,現在のブッシュ共和党政権では方向転換できないかもしれない。しかし米国以外ではプロパテント政策の見直しは加速するでしょう。プロパテント政策は,他の国のオープンソース/フリーソフトウェアへのシフトを止める原動力にはなりえ得ないと思います。