ERP関連企業の買収について大きく報じられた先週だったが,筆者としてはその前の週の5月29日に報じられた米AOL Time Warnerと米Microsoft訴訟の電撃和解の方が大いに気になっている。

 この和解契約によりMicrosoft社は,7億5000万ドルの和解金を支払うほか,Webブラウザ「Netscape」を抱えるAOL Time Warner社に対し,自社のWebブラウザ「Internet Explorer(IE)」を無料でライセンス供与する。衝撃的な内容で,実にふに落ちない話でもある。世界中をあれほどまでに騒がせたブラウザ訴訟がこんな展開であっさりと終わってしまうからだ。

 米Netscape Communications買収には100億ドルが投じられたと言われるが,AOL Time Warner社は今回,7億5000万ドルをMicrosoft社から受け取るだけでIEに鞍替えする。いったい何があったのだろうか? まずは両社のブラウザ訴訟を振り返ってみよう。

■米政府-MS独禁法訴訟の発端もWebブラウザだった

  ■Microsoft社の米国における主な訴訟経緯
1998年 5月
米司法省と20州の司法当局がMicrosoftを提訴
1998年11月
AOL(American Online)がNetscape Communicationsの買収を発表
1999年 3月
AOLのNetscape買収作業が完了
1999年11月
連邦地裁のThomas Penfield Jackson判事が「Microsoftは独占企業」と認定。IEのWindowsへの組み込みも違法と判断
2000年 1月
AOLとTime Warnerが合併を発表
2000年 4月
Jackson地裁判事が,Microsoftは独禁法に違反したと事実認定
2000年 6月
Jackson地裁判事がMicrosoftを2社分割する是正命令
2000年 6月
Microsoftが控訴
2001年 1月
ブッシュ政権誕生
2001年 6月
連邦高裁が連邦地裁の判決を覆す。審理の差し戻しを命じる
2001年 1月
AOLとTime Warnerの合併作業完了
2001年11月
Microsoftと司法省が和解。原告に加わっていた各州のうち9州が和解案を容認。残りの9州は和解条件の修正を要求
2002年 1月
AOL Time WarnerがMicrosoftを提訴
2002年3月
Sun Microsystemsが,Microsoftを提訴。SunのJavaと互換性のない独自のJavaをWindowsに搭載した行為が独禁法違反にあたると主張
2002年11月
連邦地裁のColleen Kollar-Kotelly判事が司法省とMicrosoft の和解案を容認。より厳しい是正措置を求めた非和解派9州の訴えを却下
2002年12月
Kollar-Kotelly判事の判断を不服としてマサチューセッツ州が控訴ウェストバージニア州も同月に控訴
2003年 1月
Microsoftがカリフォルニア州の集団訴訟で和解(和解金総額は11億ドル)
2003年 4月
Microsoftがフロリダ州の集団訴訟で和解(和解金総額は2億200万ドル)
2003年 5月
Microsoftがモンタナ州の集団訴訟で和解(和解金は最大1230万ドル)
2003年 5月
MicrosoftとAOL Time Warnerが和解(和解金総額は7億5000万ドル)

 覚えている方も多いと思うが,米政府とMicrosoft社の独禁法訴訟の発端となったのがブラウザ・ソフトにからむMicrosoft社の商慣行である。両社の訴訟について知るために,少しこの独禁法訴訟について振り返ってみよう(右の年表参照)。

 それには1998年にまでさかのぼる必要がある。米司法省と20州の司法当局がMicrosoft社を提訴したのがこの年の5月18日だからだ(折しもこれはWindows 98のOEM向けリリース日と同じ日だった)。政府側の提訴の理由は,「Windowsについての競争阻害/排他的行為と,その行為をIEまでにも拡張したことが,Netscapeなどのライバルの製品を不当に排除している」というもの。これには,「Microsoft社が自社のIEを普及させるため,パソコン・メーカー各社に対し圧力をかけ,Windowsとの違法な抱き合わせ販売を迫り,ライバルのNetscape Communications社を排斥した」という内容が含まれていた。

 その後,審理が連邦地裁で行われ,1999年11月,Thomas Penfield Jackson同地裁判事は,「Microsoftは独占企業」と認定した。「Microsoft社はNetscapeのブラウザ・ソフトを違法に阻止するために,OSの独占的地位を行使した」とし,IEのWindowsへの組み込みも「違法」と判断した。

 そして2000年4月,同判事はMicrosoft社が独禁法に違反したとする事実認定を行った(しかしこのとき「Microsoft社がNetscape製のブラウザを排除する契約をパソコン・メーカー各社に強要した」とする政府側の主張は認めなかった)。

 同年の6月,同判事はMicrosoft社を2社分割する是正命令を下したが,Microsoft社はこれを不服として控訴。これにより審理は連邦高裁に移された。

 米国は翌年の2001年1月にブッシュ政権に移行したが,このころになるとブッシュ大統領の「Microsoft社の分割には反対する」などという発言が報じられるようになった。こうしたブッシュ大統領の意向がどのように影響したかは定かではないが,結局2001年6月,連邦高裁は地裁の2分割是正命令を破棄,審理の差し戻しを命じた。

 Microsoft社と司法省が和解を発表したのはその5カ月後の2001年11月である。またこれに伴って原告として残っていた18州のうちニューヨーク州などの9州が両者の和解案を容認した。マサチューセッツ州など残りの9州は,和解条件が手ぬるいとして和解案の修正を要求した。

■Webブラウザのシェア奪回が目的ではなかった

 AOL Time Warner社がMicrosoft社を提訴したのは,その3カ月後の2002年1月である。同社は「Netscapeが保持していたWebブラウザのシェアをMicrosoft社が不法に奪った」と主張し,声明文の中で,「IEをバンドルしないWindowsの販売を求める」という非和解派9州の主張を支持した。

 ところがこの訴訟でAOL Time Warner社が第一に求めていたのはブラウザのシェア奪回などではなく,損害賠償金そのものと考えられるのだ。というのもこの時点ではすでにWebブラウザの市場はIEが席巻しており,Netscapeのシェア奪回の可能性は皆無と言われていたからだ。

 例えば米WebSideStoryの調査によると,Microsoft社がIE 5をリリースした1999年3月時点のブラウザ市場は,IE 4がシェア55%,Netscape 4が26%。2000年初めにはIE 5が50%,IE 4は24%,一方Netscape 4は18%へと縮小していた。(関連記事)。Netscapeのシェアは2001年9月にIE 6がリリースされる前まで12%程度を維持していたのだが,AOL Time Warner社がMicrosoft社を提訴したころには7%程度にまで落ち込んでいた(関連記事)。

■多額の賠償金で埋め合わせる

 また,“AOL Time Warner社による損害賠償金目的の訴訟”を裏付けるのが,同社の当時の経営状態である。同社は2000年1月に合併を発表したが,ITバブルの崩壊が始まったのもちょうどこのころだった。同社のこの年の通期赤字額は44億ドルだったが,2001年になると赤字額は49億ドルに悪化している。Microsoft社を提訴したころの四半期業績では,赤字額が前年同期の11億ドルから18億ドルに増大していた。また同社の株価は同時多発テロの影響を受け34ドルに急落,提訴時の1月時点には26ドルにまで下がっていた。

 Netscape社の買収でAOL社が支払った金額は100億ドルにものぼると言われているが,AOL Time Warner社はその資産価値をほとんど失ってしまったと言えるだろう。しかもITバブル崩壊などが影響し,業績は回復の兆しが見えない。AOL Time Warner社がこうした状況を打破する方策として,多額の賠償金を求めたのは当然のこととも考えられる。

 しかし,現実は狙い通りにはならなかった。2002年11月,差し戻し審理を行っていた連邦地裁で,Colleen Kollar-Kotelly判事が司法省とMicrosoftの和解案を容認したのだ。同時に,判事は非和解派9州の訴えも却下している。その後,マサチューセッツ州とウェストバージニア州が控訴したものの,米政府との独禁法訴訟はこれでほぼ決着に至った。司法省ーMicrosoftの独禁法訴訟は実に4年半の歳月を経て幕を閉じたのである。

■10分の1以下の金額で手を打った理由

 今回AOL Time Warner社が和解に踏み切ったのは,「もはや勝訴の見込みがなくなった」と同社が判断したためと考えられる。しかしそれ以外の要因もいろいろあったようだ。例えば米メディアで「AOL Time Warner社は即時的に使えるキャッシュが必要だった」という報道があった。

 AOL Time Warner社が今回の和解契約でMicrosoft社から手に入れる金額は7億5000万ドル。ITバブル時代に“浪費”した100億ドルに比べると10分の1にも満たない。しかしAOL Time Warner社にはそれを受け入れざるを得なかった理由があるというのだ。

 米New York Timesオンライン版の記事(閲覧には無料の登録が必要)によると,AOL Time Warner社は株主などに対して,来年末までに負債額を現在の253億ドルから200億ドルにまで減らす約束をしているという。それにはキャッシュを調達しなければならないが,同社は今,出版部門の売却や,アトランタ・ブレーブスをはじめとするスポーツ・チームの売却,CD/DVD製造部門の売却などを検討しているという。そしてこの記事では,今回Microsoft社が支払う7億5000万ドルは出版部門の売却で得られる金額のほぼ2倍にあたると説明している。Microsoft社からの和解金が現在のAOL Time Warner社にとっていかに貴重であるかがうかがえる話である。

 また,両社が今回和解に至った大きな要因には,Steve Case氏が今年5月にAOL Time Warner社の会長職を退任したこともあると言われている。同氏は,旧AOL社の創設者で会長兼CEOだった人物(関連記事)。Microsoft社のBill Gates会長に敵がい心を燃やしていたことから,同氏が会長職に留まっていればこの和解はありえなかったと言われている。

 一方後任のRichard Parsons氏(同氏はCEO職も兼務)は,Microsoft社との訴訟にはあまり欲を示さない人物という。Gates氏が1カ月半前に同氏を呼び出した際,同氏はGates氏の和解案に快く応じたというエピソードも伝えられている。

■和解提携でいっそう強者になるMicrosoft

 最後に今回の和解提携の内容について簡単に触れて締めくくりたい。この和解に伴って,両社はインターネットを介した情報/エンターテインメント分野で提携する。とりわけデジタル・コンテンツやストリーミング・メディアの分野で協力体制を固めるつもりだ。これにはMicrosoft社が同社のデジタル・メディア・プラットフォーム「Windows Media 9 Series」に関連するライセンスをAOL Time Warner社に供与することなどが含まれている。

 このことでAOL Time Warner社と音楽配信技術大手,米RealNetworksとの関係に変化が生じるのではないかと言われている。また両社は音楽配信事業であるMusicNet(関連記事)でも提携パートナの関係にあるが,この事業の将来についても危惧されている。

 米メディアを見ていたら,「Microsoft社は今後スタンドアロン版のWebブラウザを提供しなくなる」という記事が出ていた(掲載記事)。米政府との独禁法訴訟では,IEとWindowsの抱き合わせが問題視されていたが,その訴訟も終わり,AOL Time Warner社を説き伏せた今となっては,「抱き合わせ版」のみしか提供しないというスタンスなのか――。

 両社はこのほか,オンライン・サービス(関連記事)やインスタント・メッセージング(関連記事)の分野でも競合関係にある。今回の提携により,こうした対立構図が崩れるのは必至だろう。当然に,ことはMicrosoft社の有利な方向に進むものと考えられる。それにしてもこうして何もかもを飲み込んでしまうMicrosoft社には驚くばかりである。同社に対してしてやるせない気持ちを抱くのは筆者だけではないと思う。

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