2002年も早いものですでに12月。その12月ももう後半である。この「US NEWSの裏を読む」は今年の1月に始まったので,まもなく,まる1年をむかえる。1年間本コラムを担当してきた筆者にとって,2002年は特別な年だったように思える。

 思えば,今年はIT業界回復への期待とともに幕が開けた。そしてソルトレークシティー冬季五輪の余韻も束の間,HP-Compaq合併の賛否をめぐる壮絶な戦いが繰り広げられた。また米WorldComの粉飾決算をきっかけに各所で不正会計疑惑が噴出した。

 今年も多くの企業が経営破綻に追い込まれたが,WorldCom社のように,なんとか再建にまでこぎ着けた企業もあれば,米Liquid Audioのように会社精算を余儀なくされた企業もある。第3四半期が終わって各社の業績が公開されると,IT業界の年内回復が見込めないことが鮮明になり,そして,4年半に及んだ米政府と米Microsoftの反トラスト法(米独禁法)訴訟は一応の決着がついた

 実にめまぐるしい1年で,筆者としては1つ1つの出来事についてじっくり考える間もないまま,次の出来事を追っていたという感がある。また,今年は特に勝ち組,負け組の明暗がはっきりした年だったように思う。

 そこで今週と来週の本コラムでは,米IT業界の勝ち組/負け組を検証しながら,今年1年を振り返ってみたい。今週はその第1弾として「人物」にフォーカスする。スポットライトを当てるのは,し烈な多数派工作を繰り広げたHP-Compaqの買収劇,そして,史上最大の倒産劇となった米WorldComである。

■Fiorina氏は願いがかなって100点満点の年?

 今年,何と言っても最高の1年を過ごしたのは,米HP(Hewlett-Packard)会長兼CEOのCarly Fiorina氏ではないだろうか。一時は実現が危ぶまれた米Compaq Computerとの合併をみごと成功させたからだ。

 ここでHP-Compaq合併の経緯についてざっと振り返ってみたい。HP社とCompaq社は昨年の9月3日に両社が合併することで同意したと発表。この合併は当初,難なく完了すると考えられていた。ところがWalter B. Hewlett氏率いるHP社共同創業者の一族がこれに異を唱えたことから,その賛否をめぐって両者は激しい戦いを展開した。

 Compaq社の株主投票では,9:1で合併が承認されたのだが,HP社の場合,Hewlett氏陣営が全HP社株の18%を保有していたこと,「合併が株主のためにならない」と考える株主が多かったことで,両者の勢力は拮抗した。

 両者は総額1億ドルともいわれる巨額を投じ多数派工作を展開したが,結局は3月19日に開催したHP社の株主総会で合併が承認されることになった。Hewlett氏はその後の3月末に「株主投票に不正行為があった」としてHP社をデラウエア州衡平法裁判所に訴えていたのが,4月末になって,同裁判所がその訴えを証拠不十分として棄却した。HP社はこれを受けて,5月3日に合併手続きを完了,Fiorina体制のもと,新生HPをスタートさせた。

■わずか2.7%の差で勝敗が分かれた

  ●図1 3月19日に開催したHP社の株主総会における投票結果

出典:HP社

 Fiorina氏にとってこの合併劇はぎりぎりの賭だった。もしこの合併が実現しなかった場合,Fiorina氏は同社を退いていたと言われているからだ。図1を見ても分かるように,賛成票は約8億3840万票,反対票は約7億9309万票だった。その差は4500万票で,なんと全体のわずか2.7%だったのである。勝負はまさに,Fiorina氏の一世一代の大勝負だったと言えるのではないだろうか。

 Fiorina氏とは正反対の立場となったのがHewlett氏である。同氏はHP社を相手取った訴訟を起こしたことなどを理由に,同社の取締役の再任候補から外され(関連記事),同社の経営から退くことになった。裁判所が訴えの棄却判断を下した4月30日に「HP社の株主である財団と家族信託の代表者として今後も同社の経営を監視していく」という声明を残し,メディアから消えていったのだ(発表資料)。

 その後のHP社については明るいニュースが多い。8月27日に発表した合併後初の決算では,赤字となったものの,次の8月~10月期の決算では増収と黒字転換を報告している(関連記事1)(関連記事2)。先月末には米XeroxのPalo Alto Research Center(PARC)研究所創設者の1人であるAlan Kay氏を同社研究所のシニア・フェローとして迎え入れている(関連記事

■CEOが2人替わったWorldCom社

 Fiorina氏とともに新生HPを立ち上げた元Compaq社の会長兼CEO,Michael D. Capellas氏にはその後,意外な展開が待ち受けていた。同氏は合併後HP社の社長を務めていたのだが,HP社は11月11日に,同氏がHP社を退任し,役員会からも退くと発表したのだ(関連記事)。

 この時点でHP社はその理由について「Capellas氏は新たなキャリアに専念する」とだけ説明していたのだが,それからわずか3日後に行われたWorldCom社の発表で世間は驚いた。Capellas氏をWorldCom社の会長兼CEOに任命したと同社が発表したのだ(関連記事)。

 実は,11月11日のHP社退任発表の時点で,「Capellas氏がWorldCom社のCEO,John Sidgmore氏の後継者として候補に挙がっている」という報道があったのだが,それがこんなに早く現実のものになるとは誰も思っていなかったのだ。

 WorldCom社は米AT&T社に次ぐ第2位の長距離通信事業者だったが,今年6月25日に38億ドルの粉飾決算が発覚したことをきっかけに,資金難に追い込まれ7月21日に米連邦破産法11条(チャプター11:日本の会社更生法に相当)の適用を申請した(関連記事)。同社は,創業者のBernard J. Ebbers氏がそのカリスマ的経営手法で買収を繰り返し,やがて米UUNet Technologies,米MCI Communicationsをも飲み込み,年商300億ドルの巨大通信企業となった。

 同社の粉飾決算を指揮したとされるのは当時のScott Sullivan CFO(最高財務責任者)。この人物はすでに解雇されている。これは当然と言えるのだが,創業者でCEOのEbbers氏も辞任している。会社からの不明朗な個人融資が発覚したからだ。

 そこで,Ebbers氏に代わって暫定CEOとなったのが,UUNet Technologies社の創設者でWorldCom社の副会長だったJohn Sidgmore氏である。Sidgmore氏はこれまでWorldCom社の再建に尽力してきたのだが(関連記事),さらなる再建を実現させるために新たなCEOを探していた。そしてHP社のCapellas氏に白羽の矢が立ったというわけである(注1)

 米メディアの報道によると,Capellas氏は,再びCEO職に返り咲きたいという願望を持っていたという。「新生HPで社長職に甘んじていた同氏は,CEO職に就きたくてウズウズしていた」と記事は伝えている(掲載記事)。

 もちろん,WorldCom社の再建は簡単なものではない。とてつもない苦労が予想されるのだが,それもCapellas氏を魅了した要因の1つだったようである。同氏は,米CNET News.comの電話インタビューに答えて次のように語ったという。

 「後になれば(WorldCom社の再建よりも)HP-Compaq合併時の戦いの方が大変だったと思うことだろう。今回のチャンスは素晴らしいし,他に類がないものだ」(同氏)

注1:別の情報によると,Capellas氏には「米Microsoftのナンバー3の地位」というオファーもあったという。同氏のHP退任が明らかになり,WorldCom社のCEO職の話しが進んでいると伝えられた11月11日,Microsoft社は,社長兼COO(最高執行責任者)として同氏を迎え入れる用意があるとアプローチしたという。当然Capellas氏はそれを蹴ったわけだ(掲載記事)。

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 ITバブルのころは,業界全体が華やかに輝いて見えた。しかしバブルが弾け,9・11テロの追い打ちを受けると,業界の中で明暗が分かれはじめた。それがくっきりと表れたのがこの2002年だったのではないだろうか。

 こうした中,今回登場した人物の明暗も分かれ,彼らの人生は大きく変わった。プリンタ&イメージング事業の価値保持を重要と考え,合併に反対したHewlett氏,パソコンやサーバーのシェア回復を果たすべく合併計画を推し進めたFiorina氏。WorldCom社の創業者Ebbers氏はバブル時代のつけを支払った恰好だ。そしてその窮地にあるWorldCom社を新たなチャレンジの場と考えたのがCapellas氏である。

 2002年は業界淘汰が進んだ年だったと言えるのかも知れない。しかし,それと同時に,その中を駆け抜けたさまざまな人物の人間模様がくっきりと見えた年でもあった。筆者はそう感じてならない。