World Wide Webが普及し始めてから10年が経過した。それを記念するという含みもあるのだろうか,Webを発明した英国人科学者Tim Berners-Leeに王室からKnightの称号が贈られた。コマンド形式で難解なインターネットに直感的なGUIを導入し,広く世の中に広めた功績が評価されたのだ。
しかし,皮肉なことにWeb創成期の彼がWebとほぼ同じ意味にとらえていたブラウザ(注1)の方は,ここに来てどんどん使われなくなっている。いや,ブラウザのユーザーも減っているわけではないので,これは少し言い過ぎかもしれない。正確に表現すれば,ブラウザをはるかに凌ぐ勢いで,他のアプリケーションが普及しているということだ。
最新のNielsen/NetRatingの調査(資料:PDF形式)によると,インターネット・ユーザーの76%は,ブラウザ以外のアプリケーション・ツールを使っているという(注2)。最も利用されているツールはWindows Media Player,これに続いてAOL Instant Messengerの順となっている。KaZaAなどファイル交換ツールもよく使われているという。
注1:一般にブラウザの元祖と称されるのは,Mark Andreesenらが開発したMosaicあるいはその後継のNetscapeだが,実際のところはBerners-Lee自身が1990年に開発したNexusがブラウザ第1号だ(他にもWeb創成期に開発されたブラウザとしてViolaやCelloが存在する)。当時,Berners-Leeの頭の中では,Webとブラウザの区別は判然としていなかったので,このブラウザ自体をWorld Wide Webと呼んでいたという。その後,ネット上の情報空間の方をWorld Wide Webと呼び,ブラウザの方をNexusと呼んで,両者を区別するようになった。
注2:これはネット利用者の延べ人数だ。ブラウザを全く使っていない人が76%いるわけではない。色々なアプリケーションを使う中で,ブラウザ以外のツールからインターネットにアクセスする人(ケース)が増えてきたことを意味している。
娯楽性を高めるインターネット,一方で新たな研究も盛んに
ここから読み取れるように,インターネットは当初の「世界をつなぐ電子百科事典」から,今や音楽とビデオ,友人同士の気軽なコミュニケーションを中心とした,新たなエンターテイメントへと変貌しつつある。インターネットは,Berners-Leeを始めとする創成期のエンジニアたちが思い描いたのとは,違う方向に発展しているようにも見える。
そこにはインターネットの高速化が影響を与えているのは言うまでもない。同じくNielsen/NetRatingの調べでは,ブロードバンドの利用者数は年率50%の勢いで急増している。地味な文書データに代わって,音楽やビデオなど娯楽性の高いコンテンツが幅を利かせるようになるのは当然の成り行きだ。
しかし,当のBerners-Lee自身はそうした風潮に我関せずと言わんばかりに,新たな研究に取り組んでいる。例えば現在のWebをより高度化して,いわゆるAI(人工知能)に近づける「Semantic Web」の開発である(関連記事)。わがままな人間の曖昧な要求を汲み取ってくれる,次世代のサーチ・エンジンとでも呼ぶべきプロジェクトだ。
他にも音声認識を使ったブラウザ「Voice Browser」の開発にも力を注いでいる。こちらはディスプレイを使えない視覚障害者などを対象とした研究だ。いずれもインターネット利用者の裾野をより広げようとする,W3Cのプロジェクトである。
多様性を訴える声がかき消されないことを願う
World Wide Webを取り巻く現在の情勢は,ひょっとするとBerners-Leeの当初の期待にはそぐわないものかもしれない。Webが楽しくなると言えば聞こえはいいが,エンターテイメント化は裏を返せば商業化を意味する。そして商業化は必ず画一化に結びつく。
自分が好きだと思って聞いている音楽や,自ら選んだと思っているファッションは,「往々にして」(もちろん「すべて」ではない)企業が勝手に押し付けたものだ。そうでなければ流行がこれほど短い周期で生まれ,廃れるはずがない。そこから生まれる商品は一見多様化しても,本質的には大差ないものだ。商品とは最も購買力のある消費者層に向けて,最大公約数的に製造された物である以上,それは必然の帰結である。
Berners-Leeが率いるW3Cは2003年11月,マイクロソフトやヤフーが採用したユーザー認証テストを批判する見解を発表した。認証方法が視覚テストを採用しているため,視覚障害者をインターネットから排除する恐れがあるからだ。
商業化とそれに伴う画一化は必ず,こうした死角を生む。逆に言うと,Voice Browserのような発想は商業化の流れからは決して生まれて来ない。インターネットがエンターテイメント化の渦に呑み込まれ,多様性を訴える声がかき消されないことを願う。