「真夏の夜の悪夢」と言おうか,「性質(たち)の悪いジョーク」とでも言おうか。先週,米国のメディアを騒がせた「テロ先物市場」設立のニュースは,「おふざけ」の大好きなアメリカ国民から見ても,いささか度を越した暴挙と映ったようだ。世論の激しい批判を浴びた米国防総省は,ニュースが流れた翌日,そそくさと「先物市場」プロジェクトを中止することを発表した。

 「テロ先物市場」とは国防総省が内密に進めて来たプロジェクトで,正式名称は「Policy Analysis Market(PAM)」という。これは例えば「2年以内に,ニューヨークで再び大規模テロが起きる」あるいは「ヨルダンで王政を転覆させる革命が起きる」といった未来のテロや動乱などを想定し,それを先物商品にして市場取引するというアイディアだ。ニューヨーク証券取引所のような実際の立会い場があるのではなく,インターネット上に取引用のWebサイトを設け,全世界から“投機家”を募る予定だった。

 取引の仕組みを説明するために,例えば「1年以内に北朝鮮が戦争を始める」というケースを先物商品にしてみよう。1年後に本当に戦争が起きていた場合の決済価格を1ドル,起きなかったら価格は(当然)ゼロと決めておく。現時点で戦争が起きる確率は極めて低いので,先物価格は当然安くなる。つまり今買えばせいぜい5セントの値段しかつかない。しかし,今から数カ月先に突然,朝鮮半島情勢が緊迫化すれば,投機家がこの商品に群がり,価格は50セントまで跳ね上がるだろう。

 5セントで買っておいた人は,この時点で売れば45セントの儲けになる。このように決済日が近づくにつれ,テロや紛争の起きる確率が高まれば,先物価格は1ドルに近づき,逆に低くなれば価格はゼロに近づく。この中間で売買が繰り返され,市場取引が成立するという仕組みである。

DARPAの一部が「テロの予知」を狙った画策したが・・・

 それにしても,テロや戦争,暗殺などの惨事や,国家的危機を商品化して市場取引させる,というアイディアは常軌を逸している。しかも,それを考案したのが,金儲けのためなら何でもする投資銀行ではなく,政府の一機関であり,本来は国民を守るべき国防総省だというのだから驚きである。

 PAMの存在を知って告発した米上院議員も,「初めて人にこれを説明した時,『作り話(hoax)ではない,本当の話だ』と理解させるのに骨が折れた」と語っているという。告発の翌日に国防総省があたふたと(既に試験稼働していた)PAMを閉鎖し,プロジェクトの中止を発表したのは当然である。

 国防総省によれば,PAMプロジェクトを画策したのは,同省の研究機関DARPA(Defense Advanced Research Projects Agency)に所属する,ごく一部の人たちであるという。彼らの主張によれば,巨額の投機資金が動く先物市場は,将来の事象を予知する上で,非常に有効なindicator(先行指標)になっているという。すなわち大金を賭ける以上,誰もが死に物狂いで調査し,先を読もうとする。そうした何十万,何百万人といった投機家たちの予想結果を集めれば,将来発生するであろうテロも,かなり高い確率で予知できる,という論理だ。

 実際,Web上にはこれまでにも,将来起きる事件などを予測して,それを先物商品化したサイバー・マーケットがいくつか登場している。これらの市場では,来年に迫った大統領選の結果から,「2006年にクローン人間は誕生しているか」といった科学業績まで,実に多種多様なケースが取引されている。そして,ここでの取引価格とその予想事象が現実化する確率との間には,かなり高い相関性が見られるという。

先物市場の存在そのものがテロを誘発する

 しかし,こうした先物市場をテロの予想に応用するというアイディアには,危険な落とし穴がある。まず「先物市場そのものが,テロを引き起こす誘発材料になる」という懸念である。すなわちテロリスト自らが市場でテロ先物商品を買って,本当にテロを起こせば,巨額の資金を手にすることができる。それを使って,さらに次のテロを引き起こすという悪夢の循環が生まれるかもしれない。

 また逆に,テロリストが先物商品を大量に買って価格をつり上げ,「あるテロが起きるぞ,起きるぞ」と注意を惹きつけておいて,本当は全く別のテロを引き起こすという,いわば捜査当局の撹乱(かくらん)材料に使う恐れもある。

 先物市場が将来起きる事象の先行指標になるためには,本来は関数であるべき「市場」が,変数であるべき「事象」を撹乱するようなことがあってはならない。例えば穀物の先物市場は,将来の気候変動に大きく左右される。しかし逆に,市場の値動きが天候に影響を与えることは絶対にあり得ない。このように変数と関数がきっちり区別されているから,穀物の先物市場はある程度,気候変動の先行指標になり得るのだ。

 ところがテロ先物市場では,両者が相互作用する。つまり市場の値動きが,逆にテロの発生確率に影響を与えてしまうのだ。これでは,「市場の値動きを基にテロを予測する」という本来の目的を果たせないばかりか,逆にテロを引き起こしてしまう恐れすらある。

80年代から物議を醸してきたいわくつきの人物がプロジェクトの中心に

 こうした狂気のプロジェクトが発案され,実現の一歩手前まで行った背景には何があるのか。

 テロ先物市場(PAM)を発案し,その指導的役割を果たして来たのが,DARPA Information Awareness Officeのディレクタを務める,John Poindexter氏である。彼は,以前からいわくつきの人物として知られていた。80年代のレーガン政権で国家安全保障担当補佐官を務めた同氏は,当時全米を揺るがせた国際スキャンダル「イラン・コントラ事件」に関与したとされ,議会で偽証罪に問われたことがある。つい最近も,「テロ活動を検知するためのインターネットによる国民総監視システム」を提唱するなどして,物議を醸していた。

 問題は,こうした危なっかしい人物がスキャンダルを生き延びた上,つい最近まで権力を維持してきたことにある。これを許したのは米国防総省の異常な内部体質であり,それはずっと以前から指摘されていた。例えばPoindexter氏が仕えたレーガン政権の目玉政策は,悪名高いSDI(Strategic Defense Initiative:戦略防衛構想)だった。80年代当時のメディアはこれを,「出来の悪いスター・ウォーズ」と揶揄したが,実はこれにはわけが有る。

 当時,ペンタゴンがSDIの宣伝用に出版したパンフレットは,本当に映画「スター・ウォーズ」そっくりのSF的イラストで埋め尽くされていたのだ。宇宙空間を行き交うレーザー光線で敵の衛星を撃ち落したり,ルーク・スカイウォーカーのようなスペース・スーツを着たカッコいい軍人たちが,光線銃で打ち合っているシーンなどが,「これでもか」とばかり散りばめられている。

 以前,私が出席した講演会でこのパンフレットを紹介したニューヨーク州立大学の教授は,「これは冗談じゃない。あいつら(ペンタゴンの人たち)は,本気でこんなもの(ハリウッドを参考にした戦略防衛構想)を作ろうとしたんだ」とため息をついていた。

一般社会から隔絶された特殊な風土

 これで思い出したが,90年代に米国のテレビで繰り返し放送された,米海軍の人材募集広告もすごかった。嵐の大海原を巨大軍艦がゆったりと航行している。デッキにたたずむのは,キリリとした軍服に身を固めた,若く凛々しい将校だ。すると突然,海上前方に巨大な「怪獣」がぬっと出現し,軍艦を破壊すべく迫って来る。それこそゴジラみたいにグロテスクな怪獣である。

 これを見た将校は,おもむろにサーベルを引き抜き,夜空に向かって振りかざす。そこに向かって稲妻が走ると,将校は何というか「正義のヒーロー」に変身して,巨大化するのである。ちょうどウルトラマンみたいなイメージだ。この変身ヒーローは大海原で暴れる怪獣につかみかかり,その首をちょん切って,あっという間に退治してしまう。ここでテレビ画面には,「さあみんな,海軍に入って敵をやっつけよう」という文字が映し出されるのだ。信じられないほど,子供っぽいアイディアである。

 ペンタゴンの内部には,一般社会から隔絶されたことによって生じる,特殊な精神風土が存在するようだ。だから「テロ先物市場」のように奇想天外であるばかりか,国民の神経を逆撫でする異常な企画も平然と通ってしまうのだろう。

 DARPAはインターネットの雛形を構築したことでも有名だが,こうした創造性を育む独特の文化は一歩間違えば,今回のような狂気のプロジェクトを生み出す,まさに両刃の剣なのかもしれない。