企業を解雇された元社員が,その企業を非難・攻撃する電子メールを他の従業員に送りつけ,会社の評判を落とそうとする――。現代社会なら,あちこちで起きそうな事件だが,企業はこれに対し法的な対抗措置をとることができるのだろうか。米国で発生した興味深い訴訟に対する判決が,先週,カリフォルニア州最高裁で下された。

 結果は元社員の勝訴である。この企業とは世界最大の半導体メーカー,Intel。大量の電子メールを流して物議をかもしたのは,同社を解雇されたKen Hamidi氏である。

従業員あてに大量の電子メールを配信

 Hamidi氏は1996年に,労働条件に関するイザコザの末,Intel社から解雇された。これに強い憤りを覚えた同氏は,98年までに,Intelを非難する電子メールを6回にわたり,多いときには3万人以上の従業員にあてて発送した(彼が従業員の電子メール・リストをどのように入手したかは不明。ちなみにこれらの電子メール・アドレスは,個人が取得したアドレスではなく,会社で使っているアドレスだった)。

 この電子メールの中には,Hamidi氏らの主張を掲載したホーム・ページのURLも記載されており,この上で同氏は,Intelの労働環境の劣悪さなどを,詳細に指摘している(真偽のほどは不明である)。

 これに対しIntelは1998年,カリフォルニア州下級裁でHamidi氏の電子メール差し止めを求める訴訟を起こした。結果はHamidi氏の敗訴。同氏は上級裁に控訴したが,ここでも結果は同じだった。Hamidi氏はさらに同州最高裁に上告し,ついに今回の勝訴をもぎ取った。この間,同氏は裁判所の命令に従って,Intel攻撃の電子メールを差し控えたが,今回の判決を受けて,「これからは思う存分,攻撃メールを出してやる」と張り切っているという。

争点は「名誉毀損」ではなく,「業務に損害を与えたか否か」だった

 さて問題は,「いかなる理由で今回の判決が下されたか」である。原告側のIntelは,Hamidi氏を告訴するに当たって,もっぱら技術的な理由を挙げている。すなわち,Hamidi氏が従業員にあてた大量の電子メールは,「ちょうどスパム・メールのようなもの」であり,こうした大量のメールは「当社のメール・サーバーを侵害し,業務に損害を与える」という理由である。

 この訴えに対し,カリフォルニア州最高裁は次のような理由を挙げて「Hamidi氏の電子メールは,スパム・メールとは異なる」という結論に至っている。

 すなわち,「3万通を超える電子メールは確かにIntel社のメール・サーバーを通過しているが,これだけでは器物損壊のような実害を同社が被ったとはいえない。一度に数百万通が押し寄せるスパム・メールなら,確かに『メール・サーバーのダウン』や,『ネットワークの遅滞』といった実害が発生するだろう。しかしHamidi氏の行為によって,そうした問題が発生した形跡はない。実害がない以上,これを禁止するわけにはいかない」。簡単に言ってしまえば,「“この程度”の行為を,法律で禁止することはできない」という意味だ。

 ここまで読んで,腑に落ちない思いの読者も多いのではなかろうか。すなわち「裁判の争点が,本来,争われるべきことからズレてしまったのではないか」という思いだ。

 本来の争点とは「いくら解雇に納得できないとはいえ,会社を批判する電子メールを数万人もの社員に流してよいのか。また,その内容は正当なものなのか,あるいは誹謗・中傷なのか」という点だ。別に大企業の肩を持つわけではないが,「これが不当解雇である」という客観的な証拠でも提示されない限り,第三者にしてみればそうした割り切れない思いを抱くのは自然なことだろう。

 カリフォルニア州最高裁の判事もその点は承知しており,「もしIntelが,Hamidi氏を名誉毀損で訴えるのであれば,争う余地は十分にある」という見解を発表している。

「大量の批判メールも抗議のビラ配りと同じこと」なのか?

 では,なぜIntel側の弁護士は最初からそれをしなかったのだろう。それは次のような背景があるからだ。

 そもそもIntelが「名誉毀損」を理由に訴えるなら,それは過去にいくらでも判例がある。解雇された労働者,あるいはもっと一般的に企業から何らかの被害を受けた人が,新聞や雑誌,テレビに,その企業の非業な行いを暴露するというのは,よくあることだ。今回の場合,暴露するメディアが従来の新聞や雑誌から,インターネットに変わっただけの話。そして,こうした「名誉毀損」裁判の場合,メディアに暴露された情報が真実なのか,あるいは根も葉もない誹謗・中傷に過ぎないのか,というのを証明するのは難しい。また,往々にして時間がかかる。

 今回,Intel側の弁護士が「名誉毀損」を訴訟理由にしなかったのも,こうしたことを考慮したから,と考えられる。むしろ,インターネットというニュー・メディアの技術的側面に着目することにより,より「機械的・自動的な」形で,裁判を勝訴に持ち込みたかった,というわけだ。

 スパム・メールに対する批判が高まる中,これと今回のケースをリンクさせることができれば,今後は電子メールを使った企業攻撃に対して法的に対抗しやすくなる。それが単なる誹謗・中傷であることを証明する必要がないからだ。しかし,カリフォルニア州最高裁はこれを認めなかった。すなわち「もしメディア(この場合,インターネット)を使った企業攻撃を阻止したいなら,今まで通り,それが名誉毀損であることをきちんと証明しなさい」と言ったのだ。

 これは確かに説得力のある論拠ではある。しかし,インターネットのパワーを考え合わせると,企業側は大変なハンディ・キャップを負わされたことが分かる。今回の判決では「例えば解雇された労働者が,会社の塀の周りで抗議のビラを配るのは珍しくない。あれは決して違法行為ではない。抗議の電子メールを流すのも,結局,このビラ配りと大差ない」としている。

 確かに性格的には似たようなものだが,しかし「ビラ」と「電子メール」ではメディアとしてのパワーに雲泥の差があろう。3万通のビラを配るのは容易なことではないが,電子メールなら瞬時に,何の苦もなくやってのけることが可能だ。

Slippery Slope(危なっかしい議論)を避けることはできるのか

 かつて1999年に日本でも,ある消費者が,東芝製ビデオ・デッキの修理を依頼したところ暴言を受けたとして,その際の音声を自らのホーム・ページ上で公開して話題になったことがあった。この情報はあっという間に広まり,東芝に非難が集中した。

 この事件では,東芝側が非を認め,この消費者に謝罪した。IntelのケースではHamidi氏の訴えが正当なものか名誉毀損か,は争点になっていないため,これらを同列に論じることはできない。だがどちらも,インターネットを使って情報を発信する個人と,企業との関係を考えさせられる事例である。

 筆者は東芝の事件の際に,新聞やテレビなどマスコミは概ね,この消費者に好意的な報道をしていた印象がある。「インターネットの登場によって,ちっぽけな一個人が大企業に対抗できる時代が訪れた」という取り上げ方だ。今までの企業と個人の力関係を考えれば,ついついうなずいてしまう論評ではある。

 しかし,そのように単純にとらえているだけでは済まない。インターネットの悩ましさは,仮に不当な誹謗・中傷であっても,いとも簡単にそれを増殖させてしまうことである。そして,攻撃を受けた側が,それが単なる誹謗・中傷であるのを証明するのは非常に時間と労力を要することである。選挙候補,企業経営者,芸能人から,身近なところでは職場の同僚や学校の同級生まで,インターネット上にひどい中傷を掲載された被害者はゴマンといるはずだ。

 米国と同じく日本でも,こうした中傷を単に「インターネットだから」という理由で取り締まることはできない。訴えるとすれば,やはり「名誉毀損」や「業務妨害」などがその理由となる。

 従来の法的手段では,多くの場合,手に負えないのである。あちこちのホーム・ページ上に掲載された非難や攻撃を,「いわれの無い誹謗・中傷である」と証明するためには,それらをつぶさに検証して第三者にも納得のできる形で示す必要がある。仮にそれをせずに,一方的にそうしたホーム・ページを閉鎖するようなことが許されれば,それは言論弾圧につながる恐れがある。

 ネット上で攻撃された人間や企業にしてみれば,たまったものではないが,しかし「名誉毀損」という従来の対抗手段には,必ずこうした「言論・表現の自由」にともなう,危なっかしい議論がつきまとう(英語では,こうした危うい議論をSlippery Slope(滑りやすい坂道)と呼ぶ)。

 こう見てくると,Intelの弁護士が今回試したことは,かなり特異なケースだが,一考に価することなのだ。つまり「名誉毀損」や「言論・表現の自由」というSlippery Slopeを回避しつつ,何か別の「機械的かつ合理的な」側面から,インターネット上での攻撃に対抗する手段を模索したと言える。ここで彼らは「スパム・メールと関連づける」という考えに行き着いたわけだ。今回は結果的に,裁判所から却下されたが,今後とも多様な側面から,この問題は検討して行く必要があろう。