民主主義が成立するためには,多様な言論が保障されねばならない。それには,なるべく多くの報道機関(メディア)が並立する必要がある。複数のメディアがM&A(合併・買収)を繰り返し,最後にたった一つだけになってしまえば,そこがすべての情報を一元管理して,世論を牛耳ってしまうからだ。

 たった一つのメディアは,偏見を押し付けたり,事実を捻じ曲げたりすることができ,果ては真っ赤な嘘をついてもバレない。なぜなら,それを訂正する,別のメディアが存在しないからだ。こうして彼らは,社会を思うがままに操ることができる。

 米国や日本における「マスメディア集中排除原則」は,以上のような懸念から生まれたものだ。「一つの企業がたくさんの放送局や新聞社を,一手に所有することを禁止する」というのが,この趣旨である。「テレビ局や新聞社はなるべく,バラバラに分かれて存在するのが望ましい」という意味だ。

 この「集中排除原則」が,日米共に緩和される方向に動き出した(関連記事)。

 今月2日,米連邦通信委員会(FCC)は,長年にわたって維持されてきた同規制を改変し,ネットワーク(全国放送局)がカバーする視聴者数の上限を引き上げた(これは彼らが所有する支局数を増やすのと同じこと)。また,一都市において一つの企業が所有できる放送局数の上限も引き上げた。さらに,これまで禁じていた,同一地域内での新聞社とテレビ局のcross-ownership(同一企業による,異種メディアの保有)も許可した。日本のメディアを管轄する総務省も,「集中排除規制」の緩和を検討している(関連情報 )。

規制緩和策で,メディアの「少数集中」が進む

 米国のケースを,もう少し詳しく(特にテレビ放送に関して)説明しよう。アメリカのテレビ放送会社には,ネットワークとローカル放送局の2種類がある。NBC,CBS,ABC,そしてFoxの4大ネットワークは,それぞれ全米に支局網を広げ,単独でも米国のかなりの地域をカバーして放送できる。しかし全部ではない。

 これまでのメディア集中排除規制では,「一つのテレビ放送会社がカバーできる視聴者の数は,全米視聴者の35%まで」と上限を定めていた。ではネットワーク(全国放送局)は,残り(65%)の視聴者までどのように番組を届けるかというと,各地方都市のローカル放送局と提携するのである。

 ローカル放送局は,経営的にはネットワーク局から独立している。彼らは自主制作の番組,「syndication market」と呼ばれる自由市場で購入する番組などに加え,ネットワーク局が提供する全国番組も放送している。これらのローカル放送局は,日本のいわゆる放送系列に近い形で,緩やかにネットワーク局と提携し,地方番組と全国番組の両方を流している(あるネットワーク局と提携しているローカル局を,そのネットワークのaffiliate(系列局)と呼ぶ)。

 ローカル放送局は基本的に一つのネットワーク局と提携しているが,それは両者の交渉次第で決裂することもあり,昨年までNBCと提携していたローカル局が,今年からはABCに鞍替えする,ということも珍しくない。

 一方,ネットワーク局が直営する地方局(支局)も,「全国」「地方」両方の番組を流しているので,視聴者から見れば,ネットワーク直営局と提携ローカル局(affiliate)の違いは分からない。両者の違いは,所有・経営権をネットワーク(全国放送)側が握っているか,それとも地方局側が握っているかにある。

 今回,メディア集中排除規制が緩和されたことによって何が起きるかというと,ローカル局同士の合併や,ネットワーク局による零細ローカル局(affiliate)の買収である。つまりメディアの「少数集中」が進むことになる(「一極」集中ではない。ネットワーク同士の合併は,依然禁止されているので,全国放送局が一つだけになることはない)。

「多様な言論を損なう」と市民団体が反対運動

 これは冒頭で指摘した「多様な言論」を損なう恐れがあるので,米国の多様な市民団体が盛んに反対運動を繰り広げた。「全米ライフル協会」「全米女性同盟」「全米カトリック司教会議」など,普段は「水と油」というか,なかにはけんかばかりしているような団体が,今回ばかりは揃って「規制緩和」に異を唱えた。それはそうであろう。もしメディアの集中が進めば,彼らの意見を取り上げてくれる報道機関が消えてしまう恐れがある。

 こうした懸念に対し,今回の規制緩和を先頭に立って推し進めたFCC委員長のMichael Powell(Colin Powell国務長官の息子)は,次のように反論している。すなわち「メディア集中排除規制が設けられた当時の米国には,わずか3つのテレビ放送(NBC,CBS,ABC)しか無かった。だからこそ,それ以上の集中を禁止する必要があった。しかし今や,多チャンネル衛星放送,ケーブル・テレビ,さらにはインターネットまで,実に多様なメディアが並存している。こうした状況では,集中排除規制を多少緩めたところで,言論の多様性が損なわれることはない」と。

 こうした彼の見解に対し,「規制緩和」反対派の人たちは,さらなる反論を試みる。「確かに一見すれば,多様な情報チャンネルが並存しているように見える。しかし,そのチャンネルに情報を流す主な企業は,Viacom(CBSの親会社)やDisney(ABCの親会社)など,ごく限られたメディア・コングロマリットではないか。つまり表面上は多様化しているが,情報の根源は少数企業に牛耳られているのだ」と。

 恐らく反対派の意見が正論であろう。しかし,それよりも興味深いのは,規制緩和を推進したPowell委員長の本音である。彼は「集中排除規制を緩和しても,言論の多様性が損なわれる恐れはない」と言うが,これは消極的理由でしかない。逆に言うと「なぜ今,規制緩和に踏み切らねばならないのか」という積極的理由の方は口にしていないのだ。

背景には,なかなか進まない「テレビ放送のデジタル化」がある

 その隠れた理由とは,なかなか進まない「テレビ放送のデジタル化」である。米国では1998年にFCCが主導して,既存のアナログ放送から,ハイビジョン(高精細映像)を売り物にしたデジタル放送への転換が開始された。当初の計画では,米国の主要都市から始めて徐々にデジタル放送地域を広げ,2006年にはアナログ放送を廃して,全米1200のテレビ局が,完全にデジタル放送に切り替わる予定だった(当然,全米家庭のテレビ受像機もデジタル商品に切り替わる必要がある)。

 しかし,この当初計画が大幅に遅れている。2002年末までに,米国で販売されたデジタル受像機の数は50万台にも達していない。全米1億3000万家庭の0.5%にも満たないのだ。これでは2006年という当初の期限はおろか,それ以降いつまで経ってもデジタル放送が普及しない恐れがある。これでは,デジタル放送の推進役であるFCCは困ってしまう。FCCは巨万の富を生み出すデジタル放送用の電波を,タダで米国のテレビ局に与えている。これがいつまでも店ざらしのままでは,国民にあわせる顔がない。窮余の一策として打ち出したのが,今回の集中排除規制の緩和なのだ。

 そもそも,なぜアメリカの放送デジタル化が遅々として進まないかというと,それは切り替えに伴う設備投資が膨大な額に及ぶからだという。これはもちろん,テレビ局側の主張だから,単なる言い訳に過ぎないかもしれない。しかし確かに技術的に見ても,FCCによる当初の見積もり以上に,切り替えコストがかかるという面はある。

 コスト増の一因としては,米国のデジタル放送では電波障害地域が拡大する,という問題がある。これはデジタル放送それ自体に起因する問題ではない。電波障害地域が広がるのは,たまたまデジタル放送に割り当てた周波数が,従来のアナログ放送用電波より高い周波数帯域にあるからだ。周波数の高い電波は回折しなくなる。これが問題なのだ。

 電波(というより一般的に「波」)には,「回折」という便利な物理特性が備わっている。波は障害物の背後まで回り込んで進む性質がある。これが回折である。テレビ局の送信アンテナから発せられた放送用電波が,山や高層ビルなどの障害物を迂回して,我々の家庭まで届くのは,この「回折」という現象に助けられてのことだ。

 回折は,低い周波数の波,すなわち波長の長い,“ゆったりとした波”ほど起こりやすい。従来のアナログ放送に割り当てられた周波数は,VHF(Very High Frequency)と呼ばれる,だいたい100M~300MHzの帯域だ。これに対し,FCCがデジタル放送用に確保した周波数は,UHF(Ultra High Frequency)と呼ばれる,470M~700MHzの帯域である。周波数がけた違いに大きくなったわけではないが,この結果としてデジタル放送用電波は回折し難くなり,従来放送のように遠くまで届かなくなった。

コスト増により,従来のままでは零細テレビ局の経営が困難に

 このせいでテレビ放送局は,これまでカバーした地域を,デジタル放送でカバーするために,電波をリレーして伝える中継局の数を大幅に増加する必要に迫られた。これがデジタル化に伴うコスト増の大きな要因となっている。もちろん,これ以外にも,デジタル放送の走査方式がいつまでたっても一本化されなかったことなど,数多くの要因が重なって,コスト増,ひいては「普及の足かせ」に結びついたのだ。

 いずれにしても,今のまま放送デジタル化に踏み切ろうとすれば,地方の零細テレビ局は経営が成り立たなくなる。そこでPowell委員長は,集中排除規制を緩和することによって,こうした地方テレビ局同士が合併する,あるいはネットワーク局が彼らを買収しやすくなる環境を整えたのだ。

 地方テレビ局が単独ではコスト増に耐え切れなくても,みんなして集まれば何とか対応できる。先ほどの中継局の増加にしても,A社が単独で200局を増設するより,A社とB社が一緒になって200局を作れば,互いのコストは半分(100局づつ)で済む。いや,いっそのことネットワーク局が,これらの地方局をまとめて買収してくれれば,コストはもっと節約できる。そうなれば,デジタル化が一気に加速するだろう。結局,今回の規制緩和は,遅れているデジタル切り替え計画への,カンフル剤となることを狙っているのだ。

米国と同じ道をたどる日本

 米国に遅れてデジタル放送計画を開始した日本は,そっくりそのまま,米国の真似をしている。従来のVHFから,デジタル放送用にUHF帯を使うところまで同じである。日本の計画では,今年12月から徐々にデジタル放送への切り替えを進めて行く予定だが,今のままでは米国と同じ問題が生じ,同じ道をたどることになる。

 「このままではマズイ」ということで,総務省は「マスメディア集中排除原則」の解除を検討し始めたのだ。しかし考えてみれば,これもFCCによる規制緩和と同じ対策である。結局,すべてが米国の後追いということになると,この先,総務省によるメディア集中排除規制の緩和が実現して,日本のメディア産業でも米国並み(とまでは行かないまでも)合併・買収が起きる可能性が出てきた。