「受けてみたいけど,ちょっと怖い」手術があるとすれば,その筆頭はLASIK(レーシック。Laser in situ Keratomileusis)だろう。LASIKは,文字通りレーザー光線を使った視力矯正手術で,90年代後半から米国を中心に広まった。実は私も1999年末にこの手術を受けて,視力が劇的に改善した一人である。その体験談は後半で語るとして,まずは「怖いけど気になる」LASIK技術の最新状況をお伝えするところから始めよう。

従来のLASIKの問題解決を狙った「Wavefront法」が実用化された

 これまでのLASIK(少なくとも私が手術を受けた当時の技術)では,ある程度の近視は治療できるが,乱視や0.01を切るような強度近視には対処できなかった(手術前の私の視力は0.07だった)。また術後も,検眼表を見る上での視力は回復しても,夜間視力が低下するなど,実生活上の問題が指摘されていた。ところが最近,コンピュータによる解析処理も併用したWavefront Guided Laser Surgery(以下,Wavefront法)という新技術が実用化され,これによって上記問題がほとんど解決した。

 LASIKの基本原理は,「歪んだ角膜の形をレーザーで整形することにより,映像を運ぶ光線が網膜上できちんと像を結ぶようにする」ことだ。初めて話を聞く人は,このあたりから怖くなるのだが,手術ではまず電動カッターで角膜表層を水平に切断し,片端だけ切らずに残して,そこを軸に蓋(flap)をパカっと明ける。そこにエキシマ・レーザー(Excimer Laser)を照射して角膜の内部を削り,整形を完了したら蓋を元に戻して消毒液をつけ・・・あとは,そのままにしておくのだ。角膜細胞にはものすごい再生力があり,切断された痕跡が残らないほど,きれいに接合してしまう。

 これまでのLASIKの様々な問題点は,歪んだ角膜の「歪み具合」を正確に測定する技術が無かったことに起因する。ハッキリ言ってしまえば,医師は患者(という表現が適切かどうか分からないが)の視力を基に,「この程度の近視なら,これくらい削るのがいいだろう」という推量によって,角膜を削っていたのである。単純に考えれば,近視が進めば進むほど,角膜は標準よりも厚くなるから,その視力を補正するためには,削る量も増えてくる。

 従来のLASIKが,乱視や強度近視に対応できなかったのは,これらの患者では角膜が平均とは異なる形をしているために,標準的な「削り方」では補正できなかったせいだ。つまり医師が乱視患者らを相手にする場合,単なる視力検査では,手術に必要な「角膜の形状」を把握できなかったのである。

 この「角膜の形状」を,レーザー光線を使って科学的かつ正確に測定する技術が,Wavefront法である。念のため断っておくと,形状測定に使うレーザーは「Cool laser」と総称される低エネルギー・レーザーで,角膜組織を蒸散させて削るための高エネルギー「エキシマ・レーザー」とは違うタイプだ。要するに低エネルギー・レーザーで「測って」,そのデータを元に高エネルギー・レーザーで「削る」のである。

コンピュータを利用して角膜の複雑な歪みを測定する

 Wavefront法では,Cool Laserを瞳の外から内部の網膜に向けて照射し,その反射光を測定する。ここでもし,角膜の形が正常であれば,反射光のWavefront(波面)はきれいな平面となる。ところが乱視患者らの場合,反射光の波面が非常に歪んだ形になる。

 この平面波(正常値)と「歪んだ波面」の差をとって,コンピュータで解析することにより,従来は把握できなかった角膜の複雑な歪み(「高次収差」と呼ばれる)が測定できる。ちなみに,波面を解析するために多項式展開する手法は,1940年にノーベル物理学賞を受賞したオランダ人科学者,Frits Zernickeの理論を応用している。

 この「高次収差」が,眼鏡やコンタクト・レンズでは矯正できない視力障害を引き起こしていた。と同時に,これは従来のLASIKでも治療できなかった。逆に言えば,従来のLASIKは,眼鏡やコンタクトでも矯正できる程度の視力障害しか治療できなかったのだ。

 新たに登場したWavefront法では,この高次収差(角膜形状の歪み)をコンピュータに入力し,この形状データを基に,エキシマ・レーザー装置が複雑に歪んだ角膜を整形することができる。患者一人一人で微妙に異なる角膜に対応した整形ができるので,Wavefront法はCustomized LASIKとも呼ばれる。

90%以上の確率で視力1.0を回復。しかし手術の費用は高い

 Wavefront法の技術そのものは,既に1999年に開発されていた。ただ,それが手術に使える装置として商品化されたのは,つい最近のことだ。最初に製造したのはスイスのAlcon社で,彼らの装置は米国を中心に世界中で使用されている。これに続いて,「LASIK装置」市場で最大のシェアを持つ米Visix社もWavefront法を導入し,いよいよ,これが本格的に普及する気配が出て来た。

 日本でも東京都の山王病院など,いくつかの病院の眼科医らがいち早くWavefront装置を輸入して,この手術を開始している。

 これまでの臨床例を基に,従来のLASIKとCustomized LASIKの効果を比較すると,かなり有意な差が生じている。

 Customized LASIK手術を受けると,視力検査では90%以上の確率で視力1.0を達成している(従来のLASIKではこれが70%だった)。また仮に1.0で行かなくても,例えば視力0.7といった,日常生活を送る上で満足できる視力なら,ほぼ100%の確率で達成している(従来のLASIKでは,これが90%だった)。また夜間の視力低下やコントラスト感度の低下といった,実生活上の問題も解消された。冒頭でお伝えしたように,これらの患者の中には,従来のLASIKでは治療できなかった,強度近視や乱視患者も含まれている。

 このように,Wavefront法の導入によって,ほぼ完璧なレベルに近づいたように見える視力矯正手術だが,問題も残されている。一つは,「歴史の浅さ」である。後で述べるように,私が従来型のLASIKを受けたときも,最大の懸念はここにあった。もし本気でCustomized LASIK手術を検討するならば,この点について納得いくだけの情報収集と医師の説明を受ける必要があるだろう。

 もう一つは手術費用が高いことだ。従来のLASIKの場合,手術費用(両目)は大体3000~4000ドル,これがCustomized LASIKになると4000~5000ドルになると見てよい。日本の場合,従来のLASIKでは平均40万円くらい,Customized LASIKだと60万円くらいである。いずれの方法でも,「かなり高い」という印象は否めない(LASIKは医療保険の対象外である)。

 私が手術を受けた1999年には,米国でレーザー視力矯正手術を受けた人の数は約50万人,日本では5000~1万人だった。これが現在は,米国で年間約120万人,日本で約3万人と推定されている。米国では2000年に約140万人がLASIK手術を受けたのをピークに,翌年から減少に転じている(Los Angeles Timesの記事より)。日本では微増,もしくは頭打ちの状況に近い。

 主な原因は経済で,日米とも不況が深刻化したために,人々が高額なLASIKを敬遠し始めたのだ。Wavefront法の導入によって効果や安全性が大幅にアップしても,もともと高い手術費がさらに跳ね上がるとなると,今現在の環境では手術数が急増するとは思えない。逆に言うと,経済が回復すれば一気に普及する可能性もある。

マメな情報収集の結果,手術を受けた友人が成功

 さて,ここから私の体験談に入るが,正直言って手術を受けようかどうか,ずいぶん迷った。きっかけは当時の知人(日本人)が,LASIK手術を受けたことだ。以前から,そういう手術があることは承知していたが,身近に体験者が出てくると,ぐっと現実味が増した。その人に話を聞くと,「以前はひどい近視だったけど,今は20/20(日本では視力1.0)だね。でも夜になると,気のせいか,少し視力が落ちる気がする」という答え。当然,生々しい手術の体験談も聞いた。

 その時は,「ふーん,そんなもんか。それにしても度胸のある奴だな」という感想でおしまい。真剣に手術を受けてみようとは考えなかった。ところが,それから1カ月ほどして,今度は私のテニス仲間(アメリカ人)が「LASIK手術を受ける」と言い出した。

 彼はマメな人で,あっちこっちのカタログを取り寄せたり,インターネットで調べたり,友人の体験者に話を聞いたりして,「どこそこの医師の腕がいい」とか「あそこのクリニックでは何千人も手術しているから安全そうだ」とか,コートで会うたびに,そんなことばっかり言っている。しょっちゅう,こういう話を聞かされると,嫌でもこっちは興味をそそられる。

 結局,彼は思い切って手術を受けた。ところが術後,思ったほど視力がアップしない。時々,電話をかけてきては,「おかしい,おかしい」とブツブツこぼすので,こっちも心配になる。それが一週間ほど経ったところで,突如,彼の視力が向上した。「やったぜ,俺も20/20だ!」と電話の向こうで嬉々としている様子が伝わってきた。術後の経過は人によって大きく異なるようで,彼のように回復に時間がかかるケースもあれば,手術の翌日には良く見えるようになる人もいる。

 それからしばらくして我々はテニスの試合をしたが,彼は視力が向上したせいか,以前より腕前が上達したように見えた(それまで彼はコンタクト・レンズをつけてプレイしていたが,裸眼でできる方がいいに決まっている)。サービス・エースやウイニング・ショットを決めるたびに,彼は目を閉じて天を仰ぎ,両腕を広げて恍惚とした表情で,「Excellent(素晴らしい)」とか「Supra(最高だぜ)」とか言っている。その姿を見ていると,どうも自分の腕前というより,大幅に改善した視力に感動している様子なのだ。

情報収集の結果,最大の懸念材料は「歴史の浅さ」だったが・・・

 こういう姿を見せつけられると,私も真剣にLASIK手術を検討せざるを得なくなった。短期間に,自分の身辺で立て続けに成功者が現れれば,「これは神のお導きだろうか・・・」と考えてしまっても不思議はあるまい。とは言え,すぐには決断できなかった。やはり私もインターネットで調べたり,人に聞いたりして調べると,色々と懸念材料が見つかった。まず,レーザー視力矯正手術の歴史の浅さが気になった。

 レーザーを使わない視力矯正手術は,既に1940年代から日本で始まっていた。特殊なメスで角膜に放射状の刻みを入れて薄くする手術は,当時は成功したかに見えた。しかし術後20~30年をかけて,角膜浮腫などの合併症が相次ぎ,大変な問題になったという。1970年代に当時のソ連で開発された手法も,角膜の脆弱化や視力の日内変動などの問題が生じ,やがて廃れた。

 LASIKが普及し始めたのは97年ごろからで,十分な時間をかけた調査結果は存在しない。今のところ深刻な合併症は報告されていないが,10年,20年先まではわからない。うーん,どうしよう・・・私の心は揺れた。

 私は昔勤めた新聞社の同僚記者に相談した。すると彼女は「20年先のことは分からないけど,当面は見えるようになるんでしょ?」と言った。

「ええ,当面は大丈夫そうです。手術が失敗する確率は0.1%未満だって」と私。

「失敗すると,どうなるのよ?失明するの?」
「失明はしません。角膜を削るだけで,レンズとか網膜には傷がつきませんから」
「じゃ平気よ。今,目が良くなるんだったら受けちゃいなさいよ。20年後におかしなことになっても,その時は科学が今よりもっと発達してるから,ちゃんと直してくれるわよ」

 なるほど,そういう考え方もあるか・・・と私は感心した。彼女以外の色々な人に相談しても,「男ならやってみろよ」とか「失敗したって夜間運転ができなくなるだけでしょ。平気よ,やっちゃいなさいよ」とか,みんなが勧めるのだ。「そんな危ない手術,やめたほうがいいわよ」と言ってくれたのは一人だけだった。

 今にしてみれば,彼らの多くは「ここは一つ,こいつにやらせてみて様子を見よう」と考えていたのではないかと思う。しかし乗せられやすい性格の私は,この時点でほぼ腹を固めてしまった。

医師の迫力に押されて検査の時点で「1週間後にお願いします」と即答

 執刀医としては,私のテニス仲間が手術を受けたKen Moadel医師を選んだ。「とにかく,あのマメな男が調べ上げた医者だから,腕は確かだろう」と私は考えた。マンハッタン・ミッドタウンにあるMoadel医師のクリニックを訪れると,手術待ちの患者たちでごった返していた。待合室のソファに座ると,アシスタントの女性がプロモーション・ビデオを見せてくれた。ここでは,テレビの報道番組に出演したMoadel医師が,LASIKの素晴らしい効果を訴えていた。

 このビデオを見終わると,私は彼の診察室に呼ばれ,検眼器の前に座らされた。私の目をチェックしたMoadel医師は,「君の目はLASIK手術にピッタリだ。視力がこれ以上悪くなると手術できないが,君くらいがちょうどいい。それに角膜の形も標準的だから手術しやすいんだ。大丈夫,私に任せたまえ。さあ,手術は何日にしようか」と一気に畳み掛けてきた。私はこの日はただ検査を受けるだけで,最終的な決断は後日下すつもりだったが,医師の迫力に圧倒されて「はい,では1週間後に」と答えてしまった。

手術はわずか5分程度で終了

 手術当日の朝はさすがに緊張して,口の中が乾いた。予約した時間にクリニックに行くと,中東系の顔立ちをしたMoadel医師が,ミステリアスな微笑を浮かべて私を迎えた。もはや後戻りはできない。待合室で呼び出しを受けると,私は夢遊病者のような足取りで手術室に入った。

 そこではMoadel医師と二人の助手が,妙にけだるい雰囲気で立ち話をしていた。フラフラとリクライニング・シートに腰を下ろした私の頭部を,助手が両手でしっかりと押さえつけた。もう一人の助手が,私の左目を金属器具でクワっと開き,そのまま固定した。これで瞬きができなくなった。手術しない右目は,眼帯で覆われた。開いた左目に麻酔用の目薬が垂らされる。

 「ちょっと目に圧力を感じるよ」と断ると,医師は手術を開始した。まず特殊な小型自動カッターで,角膜の表面を水平に切って行く。自分では見えるはずも無いが,切られているのは感じる。鈍く微弱な痛みというか,確かに圧力に近い感覚。カッターの歯が水平に移動する過程で,角膜表面の切られて剥がされた部分から,徐々に視界が失われて行く。歯の移動が止まった時,私の視界は完全に消え失せ,全くのブラック状態。薄い蓋状になった角膜表面を,助手がピンセットのような物で,ぱかっと持ち上げて開いた(のだろう)。

 「これからレーザーを照射するから,中央の明るい点を見つめて」とMoadel医師が私に指示する。角膜の内側をレーザー光線で加工し,形状を変形させるのだ。ブラック状態の視界の中央に,薄オレンジ色の小さな点が現れ,それが半径を徐々に増し最後は,視界面積の1/3程度を占める円形状に広がる。その間,ドッド,ドッドという地響きのような音が聞こえる。エキシマ・レーザー装置の稼働音だ。

 「終わったよ。もう大丈夫だ」の声とともに,手術した部分に,先ほど開けた角膜蓋(flap)が戻されるのを感じる。助手が傷口に消毒液を塗る。手術開始から長く見積もっても,5分と経過していない。片目の手術料金が2250ドルという,決して安くないオペはあっけなく終わった。回復したての左目視界は,さすがにぼやけている。しかし歩行できる程度には見える。待合室で20分ほど休憩すると,「もう帰っていいよ」と言われた。

術後3年が経過,結果には満足

 その後の経過はまさに劇的だった。帰宅するタクシーの窓から見る,マンハッタンの光景がぐんぐんクリアになって行く。まず前を行く車の,ナンバー・プレートが読めた。かなり離れた道路標識も読める。やがて通りを行き交う人々の目鼻立ちが,はっきりと見えて来た。ぼやけていた摩天楼の輪郭も,くっきりと空に浮かび上がる。

 手術前の視力は0.07だった。その視力では到底不可能な見え方だ。既に0.7程度には改善されているような気がする。まだ術後1時間と経っていない。あのテニス仲間とは対照的に,私の目はLASIK手術との相性が良かったようだ。2日後に右目の手術も受けた。さらに2日後の検眼では,両目の視力とも20/20だった。Moadel医師が狙った通りの成果だ。

 あれから3年以上が経過したが,手術結果には非常に満足している。しかし現在の視力は,当時の20/20(1.0)よりは,若干低下しているような気がする。恐らく仕事柄,コンピュータのディスプレイを見つめる時間が長いせいだろう。だが成長期のように,これから近視が急激に進むことはあり得ない。

 またテニスから水泳まで,どんなスポーツをしても問題はない。ただやはり,昼間に比べ,夜間の視力は若干落ちるのが分かる。夜間は瞳孔が大きく開くために,昼間は隠れている高次収差の影響が効いて来るからだ。これはWavefront法による再手術を受ければ,矯正することができる。しかし,そこまでの必要は感じないので,このまま何もしないつもりだ。