「演技をしない(俳優)Keanu Reeves(キアヌ・リーブス)は素晴らしい!」――。今月15日に公開された「The Matrix Reloaded」(日本では来月7日に公開)を見た映画批評家が,アメリカのニュース番組で言いたい放題のことを言っていた。

 これを聞いて怒り狂う女性ファンの顔が目に浮かぶようだが,それにしても「俳優が演技をしないで何をするのか」と訝る人も多かろう。しかし制作費3億ドル以上をかけた,この話題作の見せ場で,Keanu Reevesは実際,演技をしていないのである。「演技をする」,いや正確に言うと,「彼に演技をさせている」のはコンピュータである。

アクション・シーンは人間を“素材”としたCGで作られている

 The Matrix Reloadedの最大の見せ場は,Keanu Reevesが扮する主人公Neoと,前作でも登場したブラック・スーツの悪役Agent Smithとの決闘だ。今回の映画で,Agent Smithはコンピュータ・プログラム「Matrix」が構築した仮想世界の「ウイルス」と化し,10人,20人と増殖,ついには100人のSmithが誕生する。

 この100人の敵を相手にNeoが大立回りを演じるシーンは,登場人物から背景の建物,降り注ぐ光線に至るまで,完全にCGで製作されている。この決闘シーンだけではない。例によって実世界の物理法則を無視した数々のアクション・シーンでは,Neoの恋人・女戦士Trinityを始め,主要な登場人物はすべてCGで作られている。

 と言っても,これら(それとも「彼ら」?)CGキャラクタは,全くのゼロから創造されたわけではない。当然ながらNeoとはKeanu Reevesであり,Agent SmithにもHugo Weavingという俳優がちゃんと存在する。しかし銀幕を縦横無尽に駆け回るその姿は,生身の俳優の演技ではなく,彼らの顔貌や体型を正確に記録したファイルを基に,コンピュータ・プログラムが描き上げたのだ。

 「俳優の肉体」を「ビット・データ」に変換し,それを使って仮想世界の物語を紡ぎ上げる。「実世界と仮想世界の混交」が映画「Matrix」の主題だが,映画制作のプロセス自体がそのテーマを地で行っている感がある。

 Matrix Reloadedを見たThe New York Timesの記者がレビューの中で,「今回のKeanu Reevesと(Trinity役の)Carrie-Anne Mossは,実在の人間とは思えないほど美しい」と書いていたが,何のことはない,本当に「人間ではない」のである。この記者は,それを知らずに書いたのか。それとも知っていながら,とぼけているだけだろうか。

俳優はルックスさえ良ければ演技力など必要ない?

 この映画制作の中で重要な位置を占める,「俳優の姿形」の読み取り(Scanning)作業を担当したのが,カナダのオタワに本拠を置くXYZ-RGB社である。彼らが開発した「読み取り」装置は,赤,緑,青のレーザー光線を俳優の顔に照射し,その反射光を受信して,顔貌から肌の微妙な色合いまで事細かに計測し,デジタル・データに落とす仕組みという。

 こうしたデータは通常,何らかの圧縮プログラムをかけてハード・ディスクに保存するものだが,彼らはより本物に近いCG俳優を再現するために,すべてのビット・データを丸ごとディスクに保存した。とんでもない記憶容量を必要としたはずだ。Matrix Reloadedは,こうした特殊効果だけでも,約1億ドルを費やしたという。

 今回,同映画の撮影は,「Matrix」のビデオ・ゲーム製作とほぼ並行して行われた。これはハリウッドでは異例のことだという。従来は映画の撮影が完了してから,ビデオ・ゲームの製作に入るのが普通だった。つまり両者は別物だったのだ。しかしMatrix Reloadedでは,映画とビデオ・ゲームの製作が緊密に連携して進められた。

 映画とゲームの製作スタッフはかなり重複しているし,映画に出演した主演俳優の何人かは,ビデオ・ゲームにも出演しているという。それも上記のような製作プロセスを聞かされれば納得が行く。つまり映画とビデオ・ゲームの境が曖昧になってきているのだ。そこでの俳優は最早,演技をする「肉体」ではなく,映像を作り出すための「材料」に過ぎなくなっている。

 こうなると,「俳優って一体何なの」という気持ちになってくる。もちろんこの映画にしても,何気ない会話や動作のシーンでは,生身の俳優が演技しているはずだ。しかし最大の見せ場ではCGキャラクタが使われている以上,人間俳優の存在価値が根本から問い直されているように思える。

 俳優がコンピュータに「姿形データ」を提供するだけでいいなら,ルックスさえ良ければ演技力など必要なかろう。そうは言っても,「スターが放つオーラやカリスマ性は,その人間自身に備わっているものだ」というご意見があるとすれば,「それらはむしろ,出来上がった作品が俳優に与えるものではないか」と反論したい。

 結局,実在する人間の占める場所がどんどん小さくなり,直接見ることも触ることもできないイメージだけが増殖して行くのだ。哲学的台詞の多いThe Matrix Reloadedは実際のところ,中身よりも,その舞台裏の方が考えさせる映画である。