開戦まで秒読みに入った。英国も参戦するだろうが,事実上は米国対イラクの戦争である。査察団の報告や国連決議がどう転ぼうとお構いなし。最初から,やることに決めていたのは誰の目にも明らかである。

 米国がなぜ,ここまで強引な姿勢を押し通せるかというと,それはひとえに抜きん出た軍事力のためだ。ペンタゴン(米国防省)の高官たちは,「どうせ多国籍軍は米軍の足手まといにしかならない」と陰口をたたいている。純粋に軍事力だけを考えると,米国にはどの国の助けもいらないのだ。今回の対イラク戦争も事実上は「戦争」というより,単なる「攻撃」と呼ぶのが相応しいだろう。これほど両国の軍事力に差がある以上,まともな戦いになるはずがない。

ハイテク兵器が米国の圧倒的な軍事力を支える

 米軍はベトナム戦争での敗退を最後に,その後はほとんど負け知らずである。特に1991年の湾岸戦争以降は,ハイチ,ボスニア,コソボ,そして一昨年のアフガニスタンまで,あらゆる局地紛争を圧倒的な武力で短期間に制圧している(旧ユーゴ紛争はNATO軍の空爆によって鎮圧されたが,主力は米軍である)。

 米軍は戦うたびに強さを増している感があるが,実は,軍隊の規模は年々縮小している。第二次世界大戦当時,米軍兵士の数は約1200万人に達したが,今では140万人。あまりに少なくなってしまったので,最近は「徴兵制を復活させろ」という声も,一部議員から出ているが,今のところ実現する気配はない。単に軍隊の規模だけを比較するなら,北朝鮮(120万人)と大差ない。

 また主力兵器も軒並み老朽化している。たとえば空母の平均使用年数は37年,爆撃機や輸送機では22年に達しているという。確かベトナム戦争で使われた爆撃機が,今も現役で活躍しているはずだ。つまり,これら通常兵器では他国より優れているわけではない。

 さらに核兵器なら,常任安保理事国のみならず,今ではインドやパキスタン,恐らく北朝鮮までもが手に入れている。すなわち軍隊の規模,通常兵器の性能,核兵器の有無など,伝統的な指標で計った軍事力では,米国は必ずしも抜きん出た存在というわけではないのだ。

 では米軍と他国の軍隊との大きな違いは何かというと,それはハイテク兵器である。レーザー光線や軍事衛星からの信号によって弾道を調整できる高精度ミサイル,GPS(Global Positioning System:全地球測位システム)を使って味方と敵を識別し戦闘状況を正確に把握するシステム,無人偵察機,敵の電子設備を麻痺させる指向性エネルギー兵器(Directed Energy Weapon)など,軍事力の精度と制御能力,指揮系統のスピード,情報戦における優位性で,米国は他国を圧倒的に引き離しているのだ。

90年代の国防費削減が逆に軍備のハイテク化を促進した

 こうしたハイテク・システムの開発に結びついたのは,主に90年代に起きた民生技術の軍事転用である。それまで「ネジ一本が数百ドル」という非常識な受注価格がまかり通った軍需産業を改革するため,ペンタゴンは兵器や設備を発注する業者を,従来のRaytheonやBoeingといった伝統的な軍需企業から,シリコン・バレーの新興ハイテク企業へとシフトさせた。

 例えば陸軍が発注した「Land Warrior」と呼ばれる,ゲリラ戦用の通信システム設計を,Raytheonに代わってPacific Consultantという新興ハイテク企業が受注したケースがある。Pacific Consultantは Raytheonの,約4分の1の受注価格を提示したという(関連記事)。90年代,米国の軍隊はクリントン政権による国防費削減を耐え忍ぶために,あえて民生技術の導入に踏み切らざるを得なかったが,それがかえって軍備の合理化とハイテク化を促したのである。

 民生技術の導入による軍備ハイテク化は,ある意味で民主主義と市場主義の賜物である。その証拠に,民主主義と市場主義の発達が遅れたロシアや中国は,ハイテク兵器の開発で米国に大きく遅れをとってしまった。民主主義は意外にも「軍事的な強さ」を証明したのである。

 ところが,もっと意外なのは,その民主主義が好戦的な国家を生み出した,ということである。従来の常識では,民主主義と平和主義はほぼ同一視されてきた。選挙で選ばれた指導者は,国民を苦しめる戦争を嫌うはずだ。実際,アメリカはつい最近まで,決して自分から戦争を仕掛けたことはなかった。

 しかし,民主主義と市場主義の育んだハイテクによる圧倒的な軍事力が,アメリカを傲慢で好戦的な国家に変えてしまった。これは実に皮肉な現象である。ハイテク兵器によって世界を圧倒する米国は,手に入れた高度な武器を使うに相応しい「良識」を無くしてしまったのだ。