人間の体内に埋め込んで使うIC「VeriChip」が,先週ついに発売された。同商品は元々,豚や牛など「家畜」の識別用に使用されてきた「埋め込み型IC」を,フロリダ州のApplied Digital Solutions(ADS)社が「人間」に応用したもの。

 発表と同時に宗教/人権団体などを中心に猛烈な論争が巻き起こり(当然だろう),以来「これが本当に発売されるのだろうか・・・」と関心を集めてきた。本コラムでも今年の3月11日に紹介している(記事へ)。

「医療/健康分野では使わない」との意思表示で規制を免れる

 VeriChipは長さ約12ミリの,「米粒」形チップだ。この中に当人の識別(ID)情報を記録し,上腕の皮下に埋め込む。手術は3分とかからず,軽い局部麻酔を施すだけで,ほとんど痛みはない,という。

 VeriChipには,専用の「読み取りスキャナ」がある。このスキャナから発せられた微弱なラジオ波が,皮膚を通過してVeriChipに到達し,これにわずかなエネルギーを与える。するとVeriChipは,この人のIDを信号として発し,これをスキャナが読み取る。読み取られたID情報は,オンラインでADS社が管理するデータベース・センターに送られる。このデータベースには,加入契約者の様々な個人情報が記録されており,必要に応じて,それらが瞬時に利用できる,というシステムである。

 ADSは昨年末から,規制当局であるFDA(米食品医薬品局)に対し,VeriChipを発売するための許認可を求めていた。しかし,あまりにも斬新な――というか常軌を逸した――商品であるため,FDAもこれをどう扱っていいか持て余し,決定が遅れた。シビレを切らしたADSは今年5月,「テスト使用」という名目で,数名の志願者の体にVeriChipを埋め込んでしまった。

 この時の被験者はいずれも,重い病気の既往歴があった。たとえば家族そろってVeriChipを埋め込んだフロリダ州の家族の場合,父親がかつてリンパ腺癌にかかったことがあり,その息子も抗生物質に対し,激しいアレルギーを示す。彼らが例えば交通事故で病院に担ぎ込まれ,医師が彼らの病歴を知らず,うかつに治療すれば,死に至る可能性もある。しかし,VeriChipから発せられたIDを基に,当人の過去の医療/健康情報にアクセスできれば,こうした危険性はなくなる。これはVeriChipの医療向けアプリケーションの一例である。

 ADSが認可を待たず勝手にVeriChipのテスト使用に踏み切ったので,FDAは腹を立てて決定をさらに後回しにした(ヒステリックに許認可申請を退けるわけにはいかなかった)。そこでADSは一計を講じた。すなわち「VeriChipは当面,安全管理,金融,個人認証の分野に限って使用し,医療/健康分野では使わない」という意思を,FDAに示したのだ。

 これに対しFDAは,「その目的に使うのであれば,我々の規制対象から外れる」という回答を下した。つまり「我々の管轄外なので,売りたければ勝手にやれ」という意味である。FDA以外に,VeriChipを規制できる政府機関は見当たらない。こうして事実上,規制の「真空領域」をつく格好で,VeriChipは発売可能になったのだ。

自発的に埋め込む気にさせるアプリケーションは少ない

 首を長くして待っていたADSは,事実上の発売許可が下りると同時に,大々的なキャンペーンに打って出た。大型バスを改良した「ChipMobile」なる専用自動車を何台も仕立てて,米国南部を中心にした宣伝ツアーを開始した。ChipMobileにVeriChipを沢山搭載し,これを行く先々で実際に埋め込んで使用してもらう,という目的である。

 チップの価格は一個200ドルだが,先着10万名までは「50ドル」割引するという(これ以外にも加入契約者は,データベース維持料金として月額10ドルを払わねばならない)。

 宗教の布教活動を彷彿とさせる懸命な努力だが,果たして功を奏するかは疑問だ。あくまでも私見だが,こうした「やりたい人は試してみて」というプロモーションでは,VeriChipは普及しないと思う。

 その理由は,「是が非でもチップを体内に埋め込まねばならない」というアプリケーションが,そう沢山見当たらないからだ。

 例えばADSが売り込むアプリの一つに,GPS(Global Positioning System)をVeriChipと連動させる,というアイディアがある。しかし,こうした目的なら,何もわざわざチップを体内に埋め込む必要はない。VeriChipのテスト導入で使われた,既往歴とリンクさせるアプリケーションもしかりである。

 この程度の目的なら,普段身に着ける「指輪」や「リスト・バンド」にでもチップ(IC)を入れておけば,十分に目的が達せられるではないか。指輪をつけたままシャワーを浴びたり,寝たりするのは,そう大儀なことではない。慣れてしまえば,ほぼ体の一部になってしまい,気にならなくなるはずだ。

 つまり当人や家族らの「(VeriChipを)使ってみたい」という自由意思に任せるアプリケーションは,意外に存在意義が薄いのである。

基本的人権の侵害に結びつく危険もある

 VeriChipの最も大きな潜在需要は,実は「政府機関や金融機関などによる,半ば強制的な導入」を想定したアプリケーションにある。

 例えば原子力発電所や核兵器開発施設,化学研究所などで働く従業員に,VeriChipを埋め込めば,テロリストなど危険な侵入者を未然に防ぐ最良のセキュリティ・システムとなる。

 ここで重要な点は,体内に埋め込んでしまえば,そう簡単に取り外しができないということだ。現時点では皮膚のすぐ下に埋め込んでいるが,研究が進めば,体のもっと奥に埋め込むことも可能になるだろう。こうなると,VeriChipは当人であることを100%証明する絶対のIDと成り得る。

 しかし,こうした認証システムの問題は,従業員全体への「強制的な」導入が不可欠だという点にある。従業員に対し,「誰か,やりたい人はいませんか?ああ,君と君ね。じゃあ明日入れてみて」というわけにはいかない。導入する以上は,従業員全員に対し無条件で,強制的にチップを体に埋め込まなければ,組織全体のセキュリティを保障するIDシステムにならないのである。

 顧客の重要な資産を預かる金融機関にしてもしかり。外部の怪しい者の進入を防ぐには,内部にいる社員全員への強制的なチップ埋め込みが要求されるはずだ。仮にこうなるとすれば,少々乱暴な比喩だが,家畜に焼印を押すのと,質的には大差ないのである。宗教団体に加えて,人権団体がVeriChipに反対している理由は,この辺りにあるのだ。つまり基本的人権の侵害に結びつく危険性である。

 「わが社への入社条件:チップを体に入れること」―――こういう時代は・・・まあ来ないとは思うのだが・・・