DVDはおろかビデオさえ存在しなかった古き良き時代,家庭のお父さんやお母さんは子供がいかがわしい深夜番組など見ないように,眼を光らせていたものだ。技術の進歩と共に,子供たちの周りを様々なニュー・メディアが取り囲むようになり,その内容も暴力性やわいせつ度が過激になってきた。親としては気が気ではなかろう。

 ここ数年では,インターネットのアダルト・ホームページを締め出すための,「フィルタ・ソフト」が急速に普及してきた。「技術には技術で対抗」といったところだろうが,これまでのところ,その対抗手段はもっぱら「子供の目から,不適切なシーン(映像)をカットしてしまう」,あるいは「不適切な映画や映像ソフトその物をシャットアウトしてしまう」という方法だった。

 デジタル技術の進歩が,そうした手段を根本的に変えようとしている。「不適切なシーンをカットする」代わりに,子供が見ても大丈夫なように「映画自体を作り変えてしまう」のだ。

まず登場したのは過激な内容を改変したビデオやDVD

 保守的なコロラド州や,宗教的理由からアダルト・暴力映画に神経質なユタ州などでは,ビデオ・DVD店の中に,「Eセクション」という特別売り場が目立ち始めた。Eセクションの「E」は,Edited Ratedの頭文字。Editedすなわち映画の内容を,家族みんなで見られる穏当な内容に「編集・改変」してしうのだ。一昔前のアナログ・フィルム時代なら想像もつかなかったが,DVD上に記録されたデジタル映画なら,いとも容易に改変できるのである。
 
 こうしたE-rated映画のDVDを販売する業者には,Sunset Video,Clean Flicks,Video?といった新興企業がある。彼らはいずれも,ここ数年ヒットした映画のE-rated versionを200~300タイトル用意して提供している。

 彼らの手にかかると,オリジナルの映画がどう変わるか。たとえば大ヒット映画Titanicの中で,Leonard DiCaprioがKate Winsletのヌード姿をスケッチする場面がある。E-Rated versionでは,Winsletがもはや裸ではなく,コルセットを身につけている。昨今のデジタル編集技術を使えば,この程度の加工はお茶の子さいさいである。

 映像だけではない。俳優の台詞(セリフ)も,声質を保ったまま変えることができる。たとえば「Shut up(黙れ)」といった乱暴な言葉遣いが,「Be quiet(静かになさい)」というお行儀の良い表現に変わる。これを例えばギャング映画やヤクザ映画に適用すると,おそらく次のようになるであろう。

● オリジナル
チンピラA:「**の野郎,最近,ショバ代を渋るようになりやがった」
チンピラB:「許しちゃおけねえ。今度会ったら,ヤキ入れてやらにゃあ」
チンピラC:「半殺しにしちまえ」
親分:「黙らねえか!堅気の衆に手え出すんじゃねえ!」

● E rated version
チンピラA:「**君,最近,土地使用料を滞納するようになったねえ」
チンピラB:「それは許すわけにはいかないね。今度会ったら,懲らしめてやりましょう」
チンピラC:「ポカポカ殴ってやろうよ」
親分:「静かになさい。一般市民をイジメてはいけないよ」

 ・・・これではヤクザ映画ではなく,子供の学芸会である。もともと子供に見せることを想定して改変されたのだから,こうなるのも当然だ。しかしいくら子供のためとはいえ,極端に表現を変えてしまえば,それはオリジナルの映画とは全く別物になってしまう。「作品」と「表現」は本来,不可分であるからだ。しかもE-rated version業者は,オリジナルの映画を作った監督や製作会社に無断で,内容を改変しているのだ。

当然ながら抗議行動が起き始めた

 このためハリウッドでは今,Directors Guild of America(DGA:米映画監督組合)を中心に,E-rated versionへの抗議運動が起き始めている。映画監督は結構,身勝手な要求を主張することもあるが,今回のケースに限っては,明らかに彼らに分がある。E-rated versionは誰がどう見ても著作権法違反である。現在まで野放しになって来たことの方が,むしろ不思議だ。

 法律ではなく常識で考えても,映画の過激場面を「当り障りの無い表現」へと改変するのは問題がある。性的・暴力的なシーンは,時に芸術的表現や,映画そのもののモチーフを達成するために必須となるからだ。もちろん,それは往々にして監督や映画会社の「言い逃れ」に過ぎず,実際は単なるアダルト映画や暴力映画だったりする。しかし中には,崇高な目的のために,そうした過激シーンを本当に必要とする作品もある。

 例えばSteven Spielberg監督の「Saving Private Ryan」を考えてみよう。冒頭のノルマンディ上陸シーンは,徹底的なまでに残虐なシーンの連続である。敵のマシンガンで,頭や腕や胴体を吹っ飛ばされる兵士たち――子供はおろか大人だって,相当の抵抗感を覚えたはずだ。しかし「これでもか!」とばかりの過激シーンを立て続けに見せることによって,この映画は「戦争の惨さ」を我々の胸に叩き込んでくれるのだ。

 これがE-rated versionでは完全に改変されている。ビーチに上陸した兵士たちが殺される姿は,ほとんど映っていない。その代わりに,「砂浜にぶち込まれて爆発する砲弾」や,「兵士の鉄兜に跳ね返る銃弾」などでお茶を濁している。Spielbergがこれを見たら激怒するだろう。病気を一発で治す「劇薬」と「毒」は紙一重である。過激な映画の毒を抜くことは,優れた芸術作品を骨抜きにしてしまうのと同じなのだ。

ついに「自動改変ソフト」まで登場――“公正使用”の範囲内なのか?

 現在出回っているE-rated映画は間違いなく著作権法違反だから,今の形のままでは,いずれ市場から姿を消さざるを得まい。むしろ今年に入って,ハリウッドの監督たちが新たに神経を尖らしているのは,オリジナル作品の中身を自動改変してしまうソフトウエアの登場である。

 「MovieMask」や「ClearPlay」といったソフトが,これに当たる。Trilogy Studiosという新興企業が提供するMovieMaskは,インターネット経由でダウンロードできる。これをパソコンにインストールし,市販のDVD映画(オリジナル作品)を再生すると,過激シーンが自動的に穏当なシーンへと改変されて,ディスプレイに映される。

 ClearPlay社が提供する商品は,さらにその先を行く。同社は映画の自動改変ソフトウエアをテレビ用のDVDプレイヤーに標準搭載し,これを699ドルで販売している。この特殊なDVDプレイヤーを使えば,どんなに危ない映画も「家族みんなで安心して楽しむことができる」というわけだ。

 監督たちが心配するのは,これらのソフトが著作権法に抵触する,とは必ずしも言えないからだ。著作権法には,「Fair Use(公正使用)」という条項がある。これによれば,一般消費者が映画DVDを購入して,その中身を勝手に改変して視聴しても何ら問題はない。確かに自分一人で楽しむ分には,誰にも被害をかけないのだから,Fair Useの判定は至極妥当である。

 冒頭で紹介したClean FlicksなどE-rated映画業者の問題は,彼らが勝手に改変した映画を「売って利益をあげている」点にある。これはどう見ても違法である。ところが,Trilogy StudioやClearPlay社では,改変した映画DVDを売っているわけではない。彼らが提供するのは,「一般消費者が映画を改変して視聴するためのソフト(ツール)」に過ぎないのである。つまり「Fair Useの手助けをしているに過ぎない」というわけだ。これは彼らのビジネスを守る,かなり強力な法的論拠になるだろう。

 経済的側面から見ても,自動改変ソフトには問題が無いように見える。すなわち,仮にこれが広く社会に普及したところで,映画会社や監督には金銭的被害は及ばない。なぜなら消費者は「オリジナルの映画DVDを買ったり借りたりして」,これをソフトで改変して見ているからだ。従ってオリジナル作品の売上は,全然減らないのである。これでは映画監督やプロデューサも,文句のつけようがない。

 オリジナルの映画製作者らが訴えるとすれば,それは芸術的側面からの抗議であろう。ハリウッド映画監督のIrwin Winklerは,改変ソフトを使って映画の性的シーンを覆い隠すことを,「ダビデ像(の性器)にコンドームをつけるようなものだ」と喩える。映画監督らにしてみれば,「精魂傾けて作った芸術作品を,無神経な手で汚される」ような不安と屈辱を覚えるに違いない。

 しかし,映画の無断改変にまつわる法的闘争は,おかしなことに本来糾弾されるべき側の改変業者がイニシアティブをとって開始された。E-rated業者としては最大手のClean Flicksは8月末に,Steven Spielbergら16人の有力映画監督を相手取って,「監督たちが『自分たちの作品を改変してはいけない』と主張する権利はない」と訴えたのだ。監督達に訴えられる前に,先制攻撃を仕掛けたのである。

 不意打ちをくらった感のある監督たちだが,反撃に転じるのは時間の問題。DVD映画の無断改変をめぐる裁判は,今後しばらくハリウッドで最も注目を集める闘争となるだろう。