ITの“ブーム”は過ぎ去ったが,それは生命科学や医学など他の科学領域へと応用され,豊かな実りを上げつつある。米St. Jude Children’s Research Hospital(以下,St. Jude病院)の研究システムは,その好例である。テネシー州メンフィスに位置する同病院は,小児病治療の研究で世界の先端を走っている。同病院付属のHartwell Centerは,いわゆる「Bio Informatics」に携わる情報処理研究所だ。

Bio Informaticsとは何か

 20世紀最後の10年間,共に時代をリードしてきた「情報科学」と「遺伝子工学」が融合し,新たな科学領域の誕生をうながした。それがBio Informaticsである。

 現在の遺伝子工学と,それを包含する生命科学は,いわゆる情報技術(IT)の助け無しには成立しない。2000年2月,人間のDNAの塩基配列(ヒト・ゲノム)がほぼ解読された。ゲノムはヒトの遺伝情報をすべて記録した,長文の暗号のようなものだ。

 ゲノムを形成している,G(グアニン),C(シトシン),T(チミン),A(アデニン)と呼ばれる塩基は,32億個も連なる鎖となっている。ATGCCGCAGTC・・・無限とも見える塩基鎖の配列を読み取るために,科学者たちはスーパー・コンピュータを駆使した。

 政府プロジェクトの「ヒト・ゲノム」計画と猛烈な競争を繰り広げ,ほぼ同時にゲノム解読の一番乗りを果たしたのが,民間企業のCelera社である。彼らのスパコンは,64ビット・パソコンを800台も相互接続した,化け物のような並列処理マシンだ。これに「Sequencer」と呼ばれるロボットを組み合わせて,DNAの塩基配列を片っ端から読み取り,内部に潜む遺伝子を探り当てる。

 Celera社はこうして獲得したゲノム(遺伝子)データを,大容量のコンピュータに蓄えてデータ・ベース化した。そしてインターネットを経由して,この情報を製薬会社や医学研究所などに向けて,有料で提供し始めた。遺伝子レベルの情報を生かせば,薬品や医療技術の開発が従来より各段に深まると共に,開発効率もアップするからだ。Celera社のビジネスは,その後の「Bio Informatics」ブームの先駆けとなった。

臨床の現場と科学研究が直結

 Hartwell Centerの仕事も,基本的にはCelera社と同じだ。しかし同センターがユニークなのは,St. Jude病院の付属研究所として,小児病の治療現場と直結していることだ。

 病院の臨床医たちは同時に研究者でもあるので,自ら担当する小児患者の病気に理解できない点があると,人体組織の細胞をHartwell Centerに送ってくる。センターでは,シーケンサーと並列スパコンを使って,病気にかかった細胞のDNAを分析し,そのデータを医師に返すのである。

 同センター長のClayton Naeve博士は,「科学者として最も嬉しいのは,我々の仕事が子供たちの回復に反映されるのを,この目で確かめられることだ」と語る。

 博士はその一例として,小児白血病の研究を挙げる。St. Jude病院が設立された1962年当時,白血病に冒された小児患者の生存率はわずか4%だった。それから40年後の現在,生存率は80%にまで上昇した。

 高度の医療技術と,それを支える生命科学の,すばらしい発展ぶりを示す一例である。しかし科学者たちは,この数字に満足するわけにはいかない。「残りの20%を克服するには,遺伝子レベルにまで踏み込んだ医学研究が必要だ」と,Naeve博士は語る。

 これを可能にするため,同センターでは先ごろ,「Gene Chip」と呼ばれる特殊なICを600個購入して,スパコン・システムに組み入れた。このシステムを使えば,病気にかかった細胞の遺伝子が,どのような「振る舞い」をするかが,今まで以上に理解できるようになる。これによって小児白血病の基礎研究が進むばかりでなく,その成果は即座に,臨床の治療にも反映される,と博士は見ている。