人間の体内に埋め込むIC,「VeriChip」が米国で様々な論争を呼んでいる。

 フロリダ州にあるApplied Digital Solutions社が商品化したVeriChipは,長さ12mmの米粒状ICだ。この中に様々な情報を記録して,人間の皮下に埋め込むといろいろなよいことがある,という発想から生まれた。

 同社は今年2月,FDA(米食品医薬局)に実験使用の申請を出し,早ければ4月ごろには認可される見通しだ。既にフロリダ州の家族が,被験者の第1号として“サイボーグへの第1歩”を踏み出すことが決まっている。埋め込み手術は簡単で,わずか数分で終了するという。

現在,考えられている用途はたいしたものではないが・・・

 様々な用途が考えられているが,フロリダ州の家族の場合,彼らの医療・健康データをVeriChipに記録して,体内に埋め込むことになっている。

 この家族は,父親がかつてリンパ腺癌にかかったことがあり,また息子が幾つかの抗生物質へのアレルギーがある。彼らが仮に交通事故などに遭って病院に運ばれた場合,こうした病歴を知らずに,医師が輸血をしたり手術をしたりすると,思わぬ結果を招いて,死に至る恐れがある。

 そこでVeriChipに,それらの病歴を記録して体に入れておけば,万一の場合,医師がスキャナで皮下チップのデータを読み取り,適切な医療措置を取れる,という仕組みである(たまたま運び込まれた病院に「読み取りスキャナ」が無かったらどうなるのだろう,という疑問は残るが,当面は細かいことは気にしてないようだ)。

 しかし,この程度の目的だったら,わざわざ体内に埋め込む必要もないという気がする。リスト・バンドにして常時身につけておけば,事が足りる。寝る時も入浴するときも外さないようにしておけば,じきに気にならなくなるだろう。

 第一,体内に埋めこんでしまえば,故障した時に交換するのが大変だ。左腕の皮下に埋め込むのだから,固い物にがつんと腕をぶつければ,チップがグシャリと潰れるのは目に見えている。まあ当面は実験だから,ということで,このあたりの用途から入ることにしたのだろう。

難病を克服する,など高度な用途も研究が進む

 本格的に普及するとすれば,もっと必要性の高いアプリケーションになるはずだ。何しろ人間の体内に埋め込むのだから,「是が非でも必要」ということがなければ,大抵の人はやる気にはなるまい。

 実際,Applied Digital Solutions社では,将来に向けて様々なアプリケーションを検討している。ブラジルやコロンビアなど,テロ組織による誘拐が頻発する国では,標的になりやすい政治家や富豪たちが,自らの体にVeriChipを埋め込むことを考えている。ICから発せられた信号をGPSでキャッチすれば,誘拐された人の居場所を,警察がつきとめることができるからだ。

 しかし,もっと必要性が高いのは,難病を克服する用途だ。たとえば現在,パーキンソン氏病の最新治療法として注目を集めているのが,大脳の特殊領域に電極を埋め込み,外部から電気信号を送って,体の震えをストップさせる方法である(手術は危険を伴い,成功者の数は今のところ米国だけで約3000人)。

 現在は患者の家族が,マニュアルで電気信号のボタンを押すなど,原始的な手法に頼っているが,これを体内に埋め込んだICで自動制御すれば,まったく普通の生活が送れるようになるはずだ。

人権・市民団体,宗教団体などから反対の声

 VeriChipのような“過激な”アイディアには,当然,諸方面からの懸念や反対の声が聞かれる。人権・市民団体などは,「プライバシが犯される」ことを心配している。GPSなどによって監視されれば,その人がどこに行って何をしたかが筒抜けになってしまうからだ。

 宗教団体などは,「人間の尊厳を脅かす」「神の領域に機械が侵入した」などと反対している。VeriChipはもともと,豚などの家畜を同定するために開発された商品を,Applied社が買収して,人間用に改造したものだ。宗教団体でなくても,眉をひそめたくなる気持ちはわかる。

 現在,人工心臓,人工関節から人工皮膚まで,人間のありとあらゆるパーツが人工品で代替可能になりつつある。そのうちパーツの遺伝子培養などが本格化すれば,もっと自然で抵抗感の無い代替手術が盛んになるだろう。人間のサイボーグ化がどんどん進んでいるわけだが,人工心臓などに対しては,宗教や倫理面などから見た反対は存在しない(かつてはあったが,克服されたのだ)。

 それではなぜ,VeriChipに対しては「人間の尊厳を脅かす」といった懸念が聞かれるのだろう。

「知性の領域」への侵食が議論を呼ぶ

 それは,VeriChipが,人間の「知性の領域」に侵入しようとしているからだ。

 VeriChipの記憶容量は現在,1Kビットにも満たないが,そこに記録された情報は人間の記憶と基本的に同じものであり,記憶能力は明らかに知性の一部を為すからである。宗教団体らが恐れるのは,人間が人間たる所以である「知性」までもが,いずれは人工化されてしまう可能性である。

 米SF作家Issac Ashimovの代表作の一つ「Bicentennial Man(200年生きた男)」は,ロボットが自らを改良して人間になろうとする話である。金属の体を人工皮膚に変え,内部のメカニックを遺伝子培養した内臓で置き換え,中枢神経を組み入れ,100年をかけて自らをアップグレードしたロボットは,人間として認知してもらおうとする。

 しかし本物の人間から,「お前の脳はICで出来ている」と人間性を否定されてしまう。そこでロボットは次の100年をかけて,老化機構を体に実装して自然死の道を選ぶ。これによって人工頭脳でも人間と同じく,尊厳を求める感情を実現できることを証明し,ようやく人間として認知される,という話である。

 常軌を逸した筋書きとも見えるが,今や逆の方向から,それが現実化しつつある。例えばVeriChipのようなICが進化すれば,アルツハイマー病で失われた大脳の記憶領域をシリコン,あるいは次世代の生物デバイスで代替することが可能になるはずだ。記憶能力がICで代替可能になれば,人間固有の能力は恐らく「思考力」ということになるだろう。

 しかし,やがて老化や,ある種の病気を克服するために,思考を司る大脳領域をデバイスで補強するというような試みが開始され,次に人間に残されたのは「感情」だ,ということになり,やがてそれも・・・,と果てしない挑戦が続くかもしれない。

 最後に残るのは,「人間とは何か」という根本的な問い掛けである。VeriChipは,そうしたサイボーグ化への「とば口」を暗示しているのだ。