FBI(連邦捜査局)の電子メール監視ツール「Carnivore(肉食獣)」が,米国で激しい非難の矢面に立たされている。Carnivoreは「麻薬密売」をはじめとした組織犯罪を摘発するために開発された。犯罪者を対象にした電話の盗聴に当たる行為を,インターネットの電子メールに対して行う。しかし特定の犯罪者だけでなく,広く一般市民の電子メールの検閲にまで傍受の対象が拡大する恐れがあるとして,マスコミやプライバシー保護団体が激しく抗議している。

 Carnivore騒動は,日本にとっても他人事では済まされない。日本でも,「通信傍受法」が8月15日から施行される。通信傍受法では,電話やファクスのみならず,電子メールも傍受対象に含まれている。

 ところがプロバイダは「インターネットを流れる電子メールを,リアルタイムで傍受する技術を持っていない」と言う。したがって,FBIが開発したCarnivoreと(全く同じではないにしても),同様のメカニズム(方式)が日本に導入される可能性がある。ロシアでは既に,電子メール監視システムにCarnivore方式が採用されている。英国も同じメカニズムを採る公算が強い。

 Carnivoreへの非難は,その目的を問題視しているからでははない。米国では1968年に連邦通信傍受法が成立して以来,最近では年間1300件程度の電話盗聴を裁判所が許可するなど,通信傍受への拒否反応はさほど強くない。マフィアなどの犯罪組織は近年,銃や麻薬の国際取引などに電子メールを多用し始めている。犯罪摘発を目的に,電話と同様に電子メールを傍受することへの一般市民の抵抗も,それほどでもない。

 問題は傍受のやり方。つまりCarnivoreのメカニズムが問題視されている。人々が眉をひそめるのは,まさにこの1点なのだ。

 Carnivoreの外観は,普通のWindowsパソコンである。ここにFBIが自主開発した,監視用のソフトがインストールされている。FBIは連邦通信傍受法に従い,裁判所が発行する令状を得てから,Carnivoreを「インターネット・サービス・プロバイダ(ISP)のサーバ」に取りつける。

 Carnivoreは,このサーバを通過する全ての電子メールを「呑みこみ」,対象とする特定の犯罪者の電子メールだけを取り出す。それを自らの記憶装置に格納する。あとはFBIの捜査官が,抽出された電子メールを読んで犯人検挙に役立てる。これが,Carnivoreの仕組みである。

 Carnivoreを使った電子メールの傍受が,これまでの電話の盗聴と異なる点は何か。電話の盗聴では,犯罪者が使う特定の電話番号の通話だけを傍受するのに対し,Carnivoreでは「ISPのサーバを通過する全ての電子メールをいったん傍受した後に,必要なものだけ取り出す」ということだ。

 「Carnivore」というのは,FBI捜査官が自らつけたニックネームである。文字通り,目の前にある餌を手当たり次第に食べてしまう,獰猛(どうもう)な肉食獣に由来する。このニックネームをつけた捜査官は今ごろ後悔しているだろう。というのは,「サーバを通過する電子メールを手当たり次第に呑みこんでしまう」という,まさにその点に非難の矛先が集中しているからだ。

 Carnivoreの存在を最初にスッパ抜いたのは,米国の経済紙Wall Street Journalである。この報道に対しFBIは,「Carnivoreは全ての電子メールを傍受するのではなく,電話の盗聴と同様に特定の犯罪者の電子メールだけを傍受する」とコメントした。

 しかしインターネットの専門家は,「そんなことができるはずがない」と反撃する。というのはインターネットの通信は,パケット交換方式で行われるからだ。ある人の出した電子メールは,複数のパケットに分割された後に,その他のユーザが出した無数のパケットのなかに紛れ込んで,予測不能な不特定多数のパスを通過する。従ってある電子メールを傍受するには,ISPのサーバに網を張って全部のパケットをとらえた後で,目的とする電子メールのみを取り出す以外に手はないのである。

 電話の場合には,ある回線がその通話によって独占される。したがって捜査官は,特定の電話番号さえチェックすれば,その他の利用者の通話を傍受する必要はない。ここに大きな違いがある。

 さて防戦に終始するFBIは,「Carnivoreが全ての電子メールをいったん呑みこんでいる」という事実は認めたものの,「記憶装置に保存するのは,犯人がやり取りした電子メールだけ」と反論した。すなわち「肉食獣は全てを口に入れるが,消化するのは必要な餌だけ。不要なものは,吐き出してしまうから安心して下さい」ということだ。

 これに対し,プライバシ保護団体のElectronic Privacy Information Center(EPIC)らは,米国の情報公開法にあたるFOIA(Freedom of Information Act)を申請した。FBIに対し,「Carnivoreが全体の電子メールから犯罪者のメールだけを抜き取るフィルタリング・アルゴリズムを公開せよ」と要求したのだ。このアルゴリズムをチェックしない限り,「FBIの主張は信用できない。ひょっとしたら,犯罪に関係のない一般市民の電子メールも抜き出されて,捜査官に読まれているかもしれない」というわけだ。

 FBIは「アルゴリズムを公開すると,犯罪組織にばれて,Carnivoreが使い物にならなくなる」と,公開を渋っている。FOIAは有名無実化しており,情報公開を申請しても半永久的に待たされたり,政府機関に無視されたりするケースが多い。Carnivoreのアルゴリズムは永久に「霧の中」かもしれない。

 FBIがCarnivoreを開発したのは約1年半前。既に25件程度の捜査に使われているが,どのプロバイダに仕掛けられたかは不明だ(連邦傍受法では,傍受に協力した通信会社やプロバイダを明らかにしてはいけない)。FBIは組織犯罪の摘発に向けて,「今後Carnivoreを多用して行く」と発表している。

 Carnivoreを巡る騒動は,まだ一波乱もふた波乱もありそうだ。

(小林雅一=ジャーナリスト,ニューヨーク在住,masakobayashi@netzero.net