エンターキナー,韓 芝馨

 前回見たように,韓国では2004年1月の携帯電話の番号ポータビリティ導入後,純増数が激変した。2003年は最下位だったLGテレコムが,毎月純増を増やし,4月には純増数でKTFを抜いてトップに躍り出たのである。一方,2003年は断トツの首位だったSKテレコムは低迷している。

 こうしたLGテレコムの大躍進は,番号ポータビリティ導入に加えて,もう1つ理由があった。LGテレコムが2003年9月から始めたモバイル決済サービス「バンクオン」がユーザーを引きつけているのである。非接触ICチップを組み込んだ携帯電話を使って,銀行の振り込みができたり,マネーカードの替わりにATMで現金をおろせたり,地下鉄やバスの乗車券として使える。非接触ICチップ対応の携帯電話は日本では今年夏から実現するものだ(関連記事)。

利便性で人気を集めたバンクオン

 バンクオンはサービス開始から8カ月たった2004年5月初めに会員数が70万人を突破し,LGテレコムの会員数の純増に大きく貢献している。2003年9月までマイナスだったLGテレコムの純増は10月からプラスになり,以後,ほぼ毎月純増数は増えているのだ(図1)。

図1●LGテレコムの2003年5月から2004年4月までの会員数の純増

 バンクオンを利用するには,非接触ICチップを組み込んだバンクオン対応の携帯電話機を使う必要がある。LGテレコムの発表によると,バンクオン対応端末をもっているユーザーの約6割が実際にサービスを利用しているという。

 バンクオンが始まった時点で利用できる銀行は,韓国最大手の国民銀行だけだった(2004年5月17日から地方銀行1行も利用可能になった)。携帯電話を使ったバンキング・サービスは,バンクオンが初めてではない。2000年3月からWAP(Wireless Application Protocol)でのサービスを6行が始め,2001年末にはほとんどの銀行で利用できるようになった。しかし,ユーザーはほとんどいなかった。

 バンクオンは,それまでのWAPベースのモバイルバンキング・サービスに比べると,次のようなメリットがある。

●利用範囲の広さ
 残高照会,振り込み以外にも,携帯電話をマネーカード替わりに使ったCD・ATMからの現金引き出しや,IC交通カードとして地下鉄やバスの切符にもなる。

 韓国のIC交通カードは,日本のスイカなどと同じように非接触のICカード。通常のIC交通カードはプリペイドだが,クレジットカード一体型は後払いである。バンクオンでも後払いで決済する。地下鉄とバスで共通に使えるが,地域ごとに違っている。このため例えばソウルで発給されたIC交通カードあるいはバンクオン端末で釜山の地下鉄に乗ろうとしても,使えない。

●処理の速さ
 振り込みにかかる時間を比べると,5~10分もかかったWAPベースのモバイルバンキングに対して,バンクオンではわずか1分30秒程度しかかからない。これはバンクオン端末にはICチップが組み込まれているため,口座番号やユーザーIDなどを入力する手間が省けるからである。バンクオンでは,パスワードを入力して認証後,振込先を選択すればよい。

 ちなみにほかの手段での振り込み手続きは,テレフォンバンキングでは約3分,インターネット・バンキングでは約2分かかる。

●料金の安さ
 携帯電話のデータ通信料込みで月額800ウォン(約80円)で利用できる。振り込み手数料はインターネットバンキングと同じ。国民銀行あてであれば無料,他の銀行あての場合は300~500ウォンで利用できる。

●高いセキュリティの確保
 万が一,携帯電話が盗まれても3段階のパスワードで守られている。チップ接続パスワード,口座パスワード,ユーザー端末セキュリティ・カード番号の3つである。それぞれ6桁,4桁,4桁の数字を用いる。またICチップに埋め込まれた口座番号は暗号化されており,読み出すことはできないようになっている。

クレジット機能だけでは普及しなかった

 なぜ,こんなにLGテレコムのバンクオンが受けているのだろうか。実はバンクオンの前に,非接触ICチップを使ったモバイル決済サービスはあった。すでに2002年2月からSKテレコムは「モネタ」,KTFは「K-mmerce」というサービス名で提供している。

 だが,両サービスの加入者数や利用率は伸び悩んできた。2004年5月現在モネタ対応携帯電話機の普及台数は150万台。ところが実際にサービスを利用するためのICチップは約20万個発給されただけである。

 モネタとK-mmerceは,バンキング機能は持たず,クレジット機能が中心だった。そのクレジット機能を利用するには,これまでのクレジットカードの決済端末は使えず,「ドングル」と呼ぶ専用の決済端末が必要になる。ドングルはモネタ,K-mmerce共通仕様で,これまでSTテレコムが40万台,KTFが10万台を配布した。合わせて50万台にはなったが,韓国のクレジットカード加盟店が470万であることを考えると,その1割程度しかなかった。

 これに対してバンクオンは,クレジット機能はないものの,マネーカード機能を含んだバンキング機能,IC交通カード機能を持ち,ドングルの普及を待たずとも,バンクオン対応端末を手に入れただけで,モバイル決済サービスが利用できるというメリットがある。

 同じ非接触ICチップを使いながら,後発のバンクオンが成功したのは,こうした実際の利用範囲の広さだけではなかった。巧みなマーケティング戦略があったのである。

 に続く。

(韓 芝馨=エンターキナー)


■著者紹介:
ハン・ジヒョン。1998年,韓国インターネット・バブルが最高潮になったとき,大学を卒業してインターネット・ベンチャーで事業企画業務を始める。2000年になって当時日本で活性化されたモバイル・インターネットに興味を持ち,IT専門リサーチ会社で通信会社や端末メーカ,ITベンチャーを対象に当時モバイルインターネット先進国であった日本のモバイルインターネット産業をリサーチして提供する。2003年からエンターキナーでリサーチャーとしてIT関連リサーチ業務を続けている。エンターキナーは韓国・ソウルに本社を置くリサーチ・コンサルティング会社。韓国内外の情報通信市場・技術動向,環境分析,政策,戦略分析,ビジネス・モデルなど専門分野のレポート発行,市場調査などを行っている。