(本記事は,「韓国ITベンチャー・レポート(上)」の続編です)

 現在の売上げ比較が「4兆円」対「10億円」では,これさえも高望みに見えるかもしれないが,必ずしも不可能だと断定はできない。なぜなら韓国経済は,良くも悪くもものすごいスピードで変化するからだ。今は隆盛を誇るサムスンにしても,一昔前までは,とてもではないが国際市場で競争できるような企業ではなかった。当時を知る吉川氏はこう語る。

 「(日立製作所にいた)私がサムスンに招かれ,初めて韓国に出向いたのが1987年。(サムスン電子の)工場を視察したが,とてもCADなんて導入できる状況じゃなかった。とにかく日本の製品を買ってきて,部品展開して,大きな部屋にばあっと並べて,それを組み立てるだけです。かっこよく言えばリバース・エンジニアリングですが,図面なんてない。CADなんか要らないですよ」

 そこで吉川氏は「CAD/CAMの技術指導者になってくれ」というサムスンのオファーを固辞し,この時は帰国する。しかし,それから6年後の93年,サムスングループの李健煕(イ・ゴンヒ)会長から再度要請を受ける。国際会議のあったフランクフルトから,日本の吉川氏に電話してきた会長は,次のように語ったという。

 「韓国は今変わらないと世界に取り残されてしまう。そして韓国が変わるためにはサムスンが変わらなければいけない。とにかく,やり方を全部変える。CAD/CAMを導入して,開発のプロセスから全部やり直したいんだ。だから,もう一度考え直してくれないか」

 翌94年,吉川氏は意を決して韓国に渡る。サムスンの技術アドバイザーに就任,当初は1年で帰国するつもりだったのでホテル住まいだった。ところが1年の予定が3年になり,やがて5年になり,ついに7年にまで延びてしまった。その間,世界的なITブームに乗ってサムスンは大躍進し,これに牽引される形で韓国産業全体が,「『漢江(ハンガン)の奇跡』(注3)の再来」とまで称される驚異的な成長を記録した。

注3:漢江(ハンガン)の奇跡:1970年代から80年代にかけての韓国の高度経済成長を指す。

韓国経済,急成長のツケ

 しかし韓国で生活し,その内側から経済ブームを見つめてきた吉川氏は,あまりの変化のスピードに危うさを感じたという。驚異的な成長が「付け焼刃」に見えたのだ。それを象徴する事件が,ある日,起きた。1995年6月29日,帰宅途中の吉川氏の目の前で,ソウルの高級デパート「三豊百貨店」が,突如,粉塵をあげて崩壊したのである。それは最終的に,死者670人を超える大惨事となった。吉川氏はこの時の様子を自らの著書の中で,こう振り返っている。

 「まるで夢を見ているような光景であった。有名百貨店の立派なビルが,人為的でなく,また天災でもなく,自然に崩れ落ちるということが想像できるであろうか。原因は設計不良とか,手抜き工事とか,基礎工事を無視した無理な増築とか言われているが,私にはこれら直接的な原因の奥に,根の深い問題が隠れているように思われた。(中略)それは韓国人特有の性急さ(韓国語で「パリパリ」)とか,見かけだけを重んじる形式主義である」(「神風(シンパラム)がわく韓国(クニ)」,白日社)

 吉川氏がこの時,目撃した光景は,その2年後の1997年11月,IMFショックという形で韓国経済全体に襲いかかった。金融危機によって,韓国の外貨がある日突然なくなってしまった。国が倒産する直前になっても,当事の金泳三(キム・ヨンサム)大統領は「わが国は絶対大丈夫だ。外貨準備高は700億ドルもある」と太鼓判を押した。

 その1週間後に韓国経済は破綻し,IMFの管理下に入った国民は未曾有の辛苦を味わった。昨日まで欧州の高級車を何台も乗り回し,ブランド品を買い漁っていた成金主婦が,泣き叫びながら婚約指輪を質屋に渡す光景が,世界のメディアで報道された。韓国経済の付け焼刃がはがれ落ち,国民がその実態を思い知らされたのは,この時だった。

 しかし翌98年に新大統領に就任した金大中(キム・デジュン)氏が,年頭の就任式で「目に見えるIT国家の建設」を国策に掲げ,「すべての国民がインターネットを使える」国造りを宣言する。この日を境に,どん底からはい上がる韓国で,第二のITブームが巻き起こった。今度の主役は,財閥解体のあおりで大手企業をリストラされた,あるいは自らスピン・アウトした人々が興すベンチャー企業だった。

オンライン・ゲームが栄える理由

 「ブロードバンド立国」と称されるだけあって,韓国経済の復活はインターネット・ビジネスの隆盛によって鮮やかに印象付けられた。冒頭で紹介したGravityやDaum Communicationにしても,国民全体に広範囲に行き届いたブロードバンド網があってこそのベンチャーである。しかしまた,そこには韓国ならではの危うさが,どこまでも付きまとってしまう。

 例えば韓国でGravityのようなオンライン・ゲーム業者がなぜ栄えるかというと,それはパッケージ・ソフトの著作権が守られていないからである。日本の場合,パッケージ化されたゲーム・ソフトCDの不法コピー率は,全体の5%に過ぎない。こうしたパッケージ・ソフトとオンライン・ゲームを比較すると,前者の方が利幅は大きい。だから日本のゲーム・メーカーは,これまでオンラインよりもパッケージ・ソフトの開発に力を注いできたのである。

 ところが韓国では,パッケージ・ソフトが無造作にコピーされ,大量の海賊版が出回ってしまう。こうした環境に適応するため,韓国ゲーム・メーカーはたとえ利幅が小さくてもオンライン・ゲームに進出せざるをえなかった。オンライン・ゲームならコピーされる心配はないし,IDとパスワードでユーザーを管理すれば,確実に料金を徴収することができる。

 オンライン・ゲームは中国や台湾でも盛んだが,こうした地域でも(今さら言うまでもなく)著作権の管理は杜撰である。これらの国々の中にあって,韓国では不法地帯が新たな合法ビジネスの成長をうながすという皮肉な現象が生まれている。

ネット上の海賊版取引が新たな合法ビジネスを生み出す

 その根源にあるのは,インターネット上の海賊版取引の場である「ファイル交換市場(File Sharing Network)」の存在である。韓国はアメリカ以上に,こうした“サイバー闇市”の利用が盛んだ。P2Pのような基本原理など抜きにして,「何だかよく分からないけど,あそこに行けば音楽や映画がただで手に入るらしい」――こういう噂があっという間に広がり,ファイル交換市場に約2000万人もの利用者が群がる(これは韓国総人口4700万人の約4割に当たる)。そして,そこから新たな合法ビジネスが生まれるのだ。

 例えばMP3プレイヤーである。韓国は世界でも有数のMP3プレイヤー生産国だ。昨年は国内だけでも100万台が発売されたほか,アメリカをはじめとした世界市場でも健闘している。アメリカ市場では,韓国ReignComが15万台,サムスン電子が12万台,韓国Nextwayが6万台を売り上げた。彼ら以外にも韓国のMP3メーカーは200社以上も存在する。音楽というコンテンツが,サイバー闇市上でタダになったから,MP3ビジネスが急成長したのである。

 日本では大手電機メーカーがレコード業界に気兼ねしてか,アメリカでブームに火がついてからも,しばらくの間はMP3プレイヤーの商品化に及び腰だった。しかし韓国では,大手のサムスン電子が早々とその製品化に乗り出すなど,当初からIT業界には躊躇する気配が見られなかった。

 これは音楽だけでなく,映画などの映像ソフトについてもいえる。韓国の“サイバー闇市”には,DivX形式の海賊版ファイルが大量に出回っている。そのほとんどがハリウッド映画に韓国語の字幕をつけた作品だ。こうした状況下で,DVDプレイヤーがよく売れているが,その理由は韓国のDVDプレイヤーはDivX形式の映像ソフトを再生できるからだ。つまり,ここでも海賊版が合法ビジネスの成長をうながしているのである。

 ちょっと風変わりな商品としては,パソコンの再生中の動画像信号を無線LANでテレビ受像機に飛ばし,それをアナログ化してテレビ画面に映し出す装置も登場した(注4)。韓国のiCubeというメーカーが開発した,「ネットワークメディアプレーヤーPlay@TV」である。韓国のみならずアメリカでも好評を博し,2003年秋にはIntelが主催するinnovative PC Awardを受賞した(日本でも発売されているが,それほど注目されていない)。

注4:この類の商品は最近,いくつかの日本メーカーも発売し始めた。代表的なものにはオンキヨーの「ネットワークAVプレイヤー」がある。パソコンに蓄積した映画をテレビで見るだけでなく,MP3ファイルなどを直接オーディオ機器に出力する機能もある。ただしこの商品は,無線ではなくイーサーネットで、パソコンとテレビ/オーディオ機器を接続する。

 実際にパソコン画面から動画イメージを御覧になる方ならお分かりの通り,10分や20分ならいざ知らず,1時間以上の映画をパソコン画面で見続けるのは目が疲れてきつい。そこで,その映像信号をお茶の間のテレビに飛ばし,ゆったりと映画を楽しんでもらおうというのが,Play@TVの狙いなのである。

 しかし,この商品にしても,映画会社やテレビ局による合法的なオンライン配信事業がまだ本格化してないことを考えると,DivX形式の海賊版映画の視聴者を,主なターゲットにしていると言って構わないだろう。

「産業の発展過程の一段階として,むしろ評価すべき」

 結果的にこうした商品を生み出す土壌を育んでいるとはいえ,サイバー闇市が韓国のコンテンツ産業に深刻な打撃を与えていることに疑問の余地はない。特に音楽レコード業界はアメリカ同様,売り上げが相当落ちている。そこでレコード会社は一致団結して,韓国最大のファイル交換市場「Soribada」を訴え,2002年7月,サービス停止に追い込んだ。しかしアメリカ同様,新たなファイル交換サービスが次から次へと生まれる上,韓国人はKaZaAやMorpheusのようなファイル交換市場もよく使うので,たとえ訴訟に勝っても焼け石に水のようなところがある。

 しかし,こうした状況をDaum Communicationの東京事務所長,韓相基氏は「産業の発展過程の一段階として,むしろ評価すべきではないでしょうか」と見る。

 「確かに韓国のIT産業には,合法と違法が混在している面がある。しかし,これは韓国だけの現象ではない。アメリカだってそうでしょう。かつてNapsterが問題視されたが,あのようなサービスがあったからこそ,今のiTunesやiPodがあると言えるのではないでしょうか。韓国でも同じことが起きています。ついこの間ですが,韓国のアイドル歌手Seo-Taijiのアルバムが,彼女自身のサイトから50万部もダウンロードされた。これに刺激された韓国レコード業界は,iTunesのような有料配信サービスの事業化計画を,今立てているところです」(韓氏)

 このようにコンテンツ・ビジネスが新たな展開を見せてこそ,デジタル家電のようなハード・ビジネスの成長にも勢いがつく。Daum Communicationは今,韓国のITメーカーとの提携を進めている。彼らと協力して,例えばPDA用ポータルのような新しいサービスを一緒に作って行く。Daumが東京に事務所を構えたのも,日本の家電メーカーとこのような戦略的提携を結ぶのが目的だ。

(小林 雅一=masakazukobayashi@jcom.home.ne.jp)

■著者紹介:小林 雅一(こばやし まさかず)

ライター。慶応義塾大学メディア・コミュニケーション研究所・非常勤講師。2004年 2月までIT Proにて,コラム「米国最新IT事情」を執筆。著書に「隠すマスコミ、騙されるマスコミ」(文芸春秋,2003年5月発行),「グローバル・メディア産業の未来図」(光文社,2001年12月発行),「スーパー・スターがメディアから消える日――米国で見たIT革命の真実とは」(PHP研究所,2000年),「わかる!クリック&モルタル」(ダイヤモンド社,2001年)がある。東京大学理学部卒。