本年1月末に来日したアラン・ケイ氏は,グローバル情報社会研究所の藤枝純教社長(オープン・グループ日本代表を兼務)が主催したフォーラムに出席し,スピーチやディスカッションをした。その中でケイ氏は,「本当のコンピュータ革命はまだ起こっていない。我々はコンピュータの持っている可能性を十分に生かしていない」と語った。
 フォーラムで語られた話題は,ITの将来展望,同氏が在籍したゼロックスのパロアルト研究所(PARC)が数々の発明を生んだ理由,子供とコンピュータ教育,同氏らが開発した「Squeak」というオープンソース・プラットフォーム,日本のIT産業への期待などなど,多岐にわたる。IT Proでは数回に分けて,アラン・ケイ氏の発言を紹介する。

 以下は,1月27日,グローバル情報社会研究所の藤枝純教社長(オープン・グループ日本代表を兼務)が主催したフォーラムにおけるアラン・ケイ氏の発言内容である。藤枝社長や来場者から出された質問に,ケイ氏が答えた。
 今回は,「新しいアイデアをどうして生み出せるのか」という質問への回答を掲載する。ケイ氏は,「コンピュータに関する発明をするときに,コンピュータに関する知識はまったく使わない。オブジェクト指向は,生物学から思いついた」と述べた。


 誰でもアイデアを持っている。よいアイデアと思われるものも,そのほとんどは結局中庸のものとわかる。実際に使おうとするとたいしたことはない。

 ここで機知と知識の違いを考えてみよう。だれもIQとは何かが分かっていない。通常の人のIQは100で,200の人はすごい。しかし,もしIQが500の人が紀元前一万年に生きていたとしても,何ができただろうか。たいしたことはできなかったはずだ。それは,この社会で生きていく上には,知識が大きな役割りを果たしており,さまざまな知識が必要となるからだ。

 普通のIQを持った人が微積分を学んでも,ニュートン以前の人たちと比べても特に優れた人になるわけではない。当時の人たちができない計算はできるが,知識を持っていないからだ。知識は発明できない。

 逆に,すごい知識をもっていても問題がある。学校は知識を学ぶ場だ。たとえばテレビはたくさんの知識を与えてくれるが,それがほかのことを考える邪魔をする。よいアイデアが浮かんだら,エッセンスを除いて忘れることが大事だ。そうしないと,すばらしいアイデアが浮かぶのを邪魔してしまう。

発明の母は忘却

 プログラミング言語はライブラリというすばらしい機能をもっている,しかし,考えるときにはライブラリは要らない。ゼロから考え始めると,自分の持っている必要な知識を突然思い出す。何か発明するときには,その分野の知識をすべて忘れてしまうのも一つの方法だ。

 私はコンピュータに関する発明をするときに,コンピュータに関する知識はまったく使わない。生物学,音楽など関係ない分野の知識,アナロジーを利用する。私がオブジェクト指向の考え方を考えついたときにも,普通の人がコンピュータについて考えるようなことを考えずに,生物がどのようにして複雑な構造を作るかを考えた。それは,アルゴリズム,データ構造などとは構造が違う。カプセル化は,コンピュータの演算能力を部分部分を統合するために利用するために有効だ。

 日本には英語にはない「間(ま)」という概念がある。コンピューティングではオブジェクトに注目しがちだが,新しく何かを考えるときにオブジェクトとオブジェクトの「間」について考えることも必要だ。オブジェクトについてのみ考えやすいが,実際にはオブジェクトとオブジェクトの間のメッセージングについて考えることも非常に役に立つことがある。