本年1月末に来日したアラン・ケイ氏は,グローバル情報社会研究所の藤枝純教社長(オープン・グループ日本代表を兼務)が主催したフォーラムに出席し,スピーチやディスカッションをした。その中でケイ氏は,「本当のコンピュータ革命はまだ起こっていない。我々はコンピュータの持っている可能性を十分に生かしていない」と語った。

 アラン・ケイ氏は,ゼロックスのパロアルト研究所(PARC)の創設者の一人であり,パーソナル・コンピュータの概念を提唱した人物として知られる。また,グラフィカル・ユーザー・インタフェースやオブジェクト指向プログラミングなどの分野でも多くの業績を残した。

 フォーラムで語られた話題は,ITの将来展望,同氏が在籍したゼロックスのパロアルト研究所(PARC)が数々の発明を生んだ理由,子供とコンピュータ教育,同氏らが開発した「Squeak」というオープンソース・プラットフォーム,日本のIT産業への期待などなど,多岐にわたる。IT Proでは数回に分けて,アラン・ケイ氏の発言を紹介する。

 第一回は,1月27日,グローバル情報社会研究所が主催したフォーラムにおけるアラン・ケイ氏のスピーチ内容である。

ITの将来の展望・本当の革命はまだ起こっていない

 本当のコンピュータ革命はまだ起こっていない。我々はコンピュータの持っている可能性をまだ十分に生かしていない。単に周辺をうろうろしているだけだ。

アラン・ケイ氏 コンピュータの進歩を振り返ると,過去40~50年間に2つのグループが継続的に,そしてお互いに影響を与え合ってきた。一つのグループは,企業人や軍人といった非常にプラクティカルで,すでに自分たちの目的を持っている人たち。これらの人々は自分の目的のためにコンピュータを道具として使いたいと考えていた。もう一つはコンピュータの将来のあるべき姿,新しいゴールを見据えて,それを目指すビジョナリーな人々のグループである。

 コンピュータの実際の開発にかかわってきたのは後者のグループであった。1960年代以降,政府はプラクティカルではない開発案件に資金をつぎ込んできた。資金的な余裕があったので,プラクティカルではない技術者が発明に携わることができた。スプレッド・シート,コンピュータ・グラフィックス,インタラクティブ・コンピュータ言語,インターネットなどはすべてこのような開発者が開発したものである。

 彼らは,現在のプラクティカルな目的のためではなく,コンピュータはこうあるべきという目標に向かって開発を進めてきた。

コンピュータを発展させたのは
「目的」ではなく「理想」だった

 1960年代初めに,この人たちがコンピュータの最終的なあるべき姿について論文を書き始めた。コンピュータを電気や水道といったユーティリティと同様に,どこにいても利用できるようにすべきだとして“インターネットワーク”を主張した。電気のあるところどこでも情報を得られるようにすることが理想だと考えたのである。そして地球表面をネットワークで覆った後は,月にコロニーを作ったり,銀河系間ネットワークを構築するなど,宇宙規模でのネットワークまで考えた。つまり非常に巨大なスケールを意識していた。

 彼らがIBMと同じような次元で開発を考えていたら,インターネットは生まれなかっただろう。1960年代,そして1970年代,IBMはさまざまなネットワーク・アーキテクチャを発表した。代表例がSNA(システム・ネットワーク・アーキテクチャ)である。だが,どれも成功しなかった。その理由は,設計があまりにプラクティカルだったためだ。しかし,ネットワークに大事なことはスケールの拡張性だった。

 コンピュータの40年間の歴史を見ると,大きな特徴がある。非常に大きなスケール拡張が実現されてきたことである。現在の問題は,それがうまく働かなくなっていることだ。最も有名なスケールに関する法則は,「ムーアの法則」だろう。これは,LSIに集積可能なトランジスタの数は,18カ月で2倍に増える,という技術開発スピードに関する経験則である。

 ストレージもスケールの拡張を実現した。インターネットは,ARPANETが導入された1960年代以降,スケールの拡張性を実証した。しかも,インターネットは人間が作ったものの中で,保守を必要としない数少ない発明だ。インターネット以外のすべては,保守のために運用を止めなければならない。ソフトウエアもそうだ。しかし,ある程度のスケールになると運用を止めることは望ましくない。

商業化が進んだ過去20年間は,非常につまらない時代だった

 このように1960年代と1970年代には理想主義的な発明があった。これに対し,過去20年間はコンピュータ・ネットワークの商業化が進んだだけ。非常につまらない時代だった。新しい発明はほとんどなかった。

 例えばWebブラウザは,よい発明とはいいにくい。1960年代にダグラス・エンゲルバートが発明したマウスは,インタフェースを提供したという点で見ると,はるかにブラウザに勝る。ブラウザは優れたコンセプトとは言えない。スプレッド・シートは1970年代後半に発明された。その後の商業化は技術の普及には貢献したが,進歩の機会を奪ってしまった。

 新しい技術を導入するときにはスケールの問題を解決すべきだ。エンゲルバートは1960年代後半にこんな未来像を描いた。世界的なネットワーク上でコンピュータを使ってコラボレートする,つまり,お互いに協力することが可能で,そのためには相手が物理的に回線の向こうにいる必要はない。単に電子メールを使えるだけではなく,同じ情報空間にいていつでもお互いに見て,話をすることができる。

 現在,その実験が進んでいる。大規模な実験にはグループ・ゲーム・サーバーが必要となる。共有状態を確保するのにサーバーが必要なのだが,どのくらいの数のグループを想定しなければならないかというと,現在この会場に20人いる。こうした20~30人のグループが地球上にできるとすると,何百万ものグループができる。すると,そのために何百万台のサーバーが必要となってしまう。

 インターネットはコラボレーションのための一つのソリューションだ。実業界はインターネットの重要性に気がつかなかった。アメリカがインターネットの重要性に気がついたのは,インターネットが生まれてから20年後の1995年だ。ビル・ゲイツが気がついたのは1996年だ。だが,コンピュータの発達は停滞してしまった。

コンピュータ革命を起こすには,子供の教育が必要だ

 1960年代,1970年代には,私たちは成長していた。重要な事実は,時間がたつと子供が成長して大人になるということだ。

 私は,41年前の1961年に初めてコンピュータに触った。そのとき10歳だった。10歳は大事な年齢で,10歳で経験したことが10年後に大人になって開花する。革命が進行するためには世代の交代が必要だ。子供が利口になれば,利口な大人が出てくる。

 しかし,過去20年間に子供のための有意義なコンピュータの進歩はなかった。だから,コンピュータ革命は停滞した。コンピュータ革命はまだ起こっていない。コンピュータ革命を起こすためには子供の教育が必要と思う。

 歴史的に見ても,過去の情報革命は,子供たちが読むことを覚えて実現した。革命が起こるためには,音楽でも他の分野でも数世代が必要だ。子供たちは,コンピュータ・ゲーム,Webブラウザ,電子メールで遊んでいるが,コンピュータの本当の性能を活かしながら育っていない。

 コンピュータは他の工業製品と違って,自己完結型だ。車の製造には大きな組織が必要だし,車を作るには実際に金属に触ることが必要となる。本を作るのも同じで,組織が必要だ。コンピュータはそれだけで必要なものがそろっている。ほかに似たものがあるとすると,紙と鉛筆だ。紙と鉛筆があればなんでも作れる。コンピュータはダイナミックなメディアで,どのようなメディアも模することができる。

 コンピュータは完全に新しい世界を実現してくれる。科学,ビジネス,家庭,情報世界を作れる。ITの専門家ではない普通の人々が,コンピュータを使って自分のモデルを作るようになる。

 読み書き,印刷の革命が起こっても,プロのライターが不要にはならなかった。今日は,歴史上で一番プロのライターが多い,それは一般の人々が皆,読み書きができるようになったからだ。人々の生活でコンピュータが果たす役割り,コンピュータの専門家が果たす役割りも変化しなければならない。その結果,人々のコンピュータとのかかわり方が変化することになる。

不景気こそが変化のチャンス

 子供に何か教えることは,次の10年におけるコンピュータ革命を促進することになる。日本には,アメリカより大きな可能性がある。

 私は数年前に日本に来て,子供向けの教育について話をした。それが大きな関心を呼び起こし,着実な運動となった。IPA(情報処理振興事業協会)基金の支援を得て,京都市が6校(2高校,2中学,2小学校)で私たちが作成したカリキュラムを実行している。日本の若く非常に高い質のコンピュータ技術者が,コンピュータの新しい利用法を目指して私たちにコンタクトしてくる。

 今の日本は不景気(エコノミックス・スランプ)のさなかだが,不景気は変化を起こすためのよいチャンスだ。「何か新しいことを始めることが必要だ」と人々を説得しやすいからだ。