IPv6との出会いは,昨年9月,当社が総務省e!プロジェクトのテーマの1つである「農業分野におけるITの利活用の在り方について」を受注したときにさかのぼる。当社が受注したテーマは,IPv6を搭載した温度センサーを牛に装着し,畜産における遠隔監視(健康管理)と追跡管理(トレーサビリティ)の有効性について,実証実験を行うものであった。私は,そのコア・コンポーネントとなる「IPv6温度センサー」の開発を担当した。

 開発においては,本体容積60cc以下の限られた大きさの中で,「無線LAN機能の実装に加え,IPv6,IPsec,Mobile IPv6の実装が可能なOSとハードウェア構成」という課題を,どのようにクリアしていくかがポイントとなった。

 ハードウエアについては,新たに超小型CPUボードを開発し,その裏面にコンパクト・フラッシュ型の無線LANモジュールをジョイントする構成とした。

 OSについては,KAMEプロジェクトの成果を活用するためにBSD(NetBSD Ver1.5)を採用し,Mobile IPv6についてはID18相当を実装した。

 IPv6の経験のない我々にとって,かなりハードルの高いプロジェクトではあったが,正月返上の開発体制と,KAMEプロジェクト・メンバーの支援により,わずか4カ月半でIPv6温度センサーを完成することができた。

 しかし,我々の課題はこれだけではなかった。それは,IPv6温度センサーを装着する相手が,体重400kgを越える日本屈指のブランド牛“飛騨牛”であったからである。

 まずはじめに問題となったのが「どこで体温を測るか」である。通常は直腸で測定するが,センサー連続装着のためには排泄を考慮し,それ以外の測定場所を探す必要があった。実験フィールドとなった岐阜県畜産研究所と協議の結果,我々は尻尾付根の裏側の体毛のない部分に着目した。人間の脇の下のように体温を測定できるのではないか,と考えたのである。早速チャレンジした結果,直腸温との差異が少ないことが判明した。これは,今回の実験で新たに発見できたことの1つである。

 しかし,牛の尻尾にセンサー・プローブを取り付けるのは一苦労である。牛の機嫌が悪いと尻尾で叩かれ,蹴られる可能性もある。畜産研究所からは,「牛の腰の辺りがピクッとしたら逃げること」と注意されていた。まさに命がけ(?)であった。

 次に問題となったのが,「どのようにして牛にセンサー本体を装着するか」である。我々は,大掛かりな装着ベルトを牛の体に巻きつけて実験を行ったが,牛の動きに耐えられず,数日のうちに脱落してしまった。しかも,牛達は“暇”を持て余しており,好奇心の塊である。他の牛がすぐに寄ってきては“舐める,かじる”の連続攻撃をしかけ,破損の原因になった。

 その後,改良に改良を重ね何回もトライしたが,失敗の繰り返しであった。なかば諦めの気持ちが脳裏をよぎったとき,畜産研究所からの助言もあり,「貼り付け方式」の装着ベルトを考案した。これは,牛の背中(人間の腰にあたる部分)にボンドで体毛を固めた土台を作り,小型化した装着ベルトを両面テープで貼り付ける方式である。これが見事に成功し,1カ月以上の耐久性を確保した。この方式であれば,取り付けも簡単になり,牛へのストレスも軽減するというメリットもあった。

 しかし,いくら取り付けが簡単になったとはいえ,中には気性が激しい牛もいる。暴れる牛を5人がかりで必死に押さえ,牛の動きが止まった一瞬を逃さず取り付けを行わなければならない。日本広しといえども,この特殊技術(?)を持っているのは我々だけである。

 こうした苦労の甲斐あって,遠隔監視・追跡管理の各実証実験を無事に実施することができた。実証実験の成果については,総務省並びに畜産関係者から好評を得た。

 もちろん,畜産研究所の全面的なバックアップと,“かわいい牛達”の協力があってこその成果である。おかげさまで,最新のIPv6技術を盛り込んだ温度センサーを開発したにもかかわらず,社内では“牛のエキスパート”と呼ばれるようになった。

 実験フィールドの作業では,ほんの少しではあるが畜産関係者の苦労を体験し,そのIT化の有効性を改めて確認することができた。

 今後は,より長時間の運用を可能にするための省電力化と,さらに小型化するとともに,遠隔監視システムの実用化を検討し,畜産の省力化に少しでも寄与したいと思っている。

 また,食肉の安全供給を実現すべく,Mobile IPv6の活用によるトレーサビリティの実用化も,併せて検討して行く必要があると考えている。膨大な数の食肉が流通するその過程において,生産者・血統・生産日時などの情報を含め,より高い精度のトレーサビリティを行うために,広大なアドレス空間とMobile IP機能を持つIPv6の必要性が高まるはずである。

 今,このプロジェクトを振り返ってみると,真冬の飛騨の寒さ(-15℃)に耐え,時には牛に跳ね飛ばされ,エンジニアの領域を超えた“プロジェクトX”並みの牛との格闘の数カ月であった。

 しかし,今回のプロジェクトは,IPv6,IPsec,Mobile IPv6などの最新技術とセンサー技術を盛り込み,KAMEプロジェクトの成果を実証フィールドで展開した貴重な事例と思っている。今回の成功は,畜産のIT化とIPv6の発展に,少なからず寄与できたのではないかと自負している。

 私の所属部門では,IPv6温度センサーを含め,センサーに通信機能やネットワーク機能を融合させた“ネット・センサー”の開発と,それをコア・コンポーネントとした“センサー・ソリューション事業”を展開している。

 近年,センサー事業を取り巻く環境は急速に進化を遂げている。センサーの小型化,無線通信との融合,そしてネットワーク環境の進化により,センサー活用の自由度は飛躍的に向上している。もはや,センサーは“点”ではなく“面”のつながりで活用する時代になりつつある。我々も,自然環境,住環境などの環境モニタリングや,農畜産業とその流通など,いろいろな分野へセンサー・ソリューションを展開して行きたいと考えている。

 また,このようにセンサー活用の場が広がり,多種多様でかつ膨大な数のセンサーがネットワークで接続され,いろいろな情報を収集する時代こそIPv6の必要性が高まるのでは,と感じている。逆に言えば,我々が開発するセンサーを含め,IPv6をあらゆるノンPCへ導入することが,その普及を推進することは間違いなく,さらにはIPv6の普及が新しいビジネスを創出することも充分に期待できると考えている。

 私の現在の夢は,自分達が開発した無数の“ネット・センサー”が社会のいたるところで活躍し,沢山の人々の生活やいろいろな産業の発展に貢献することである。この夢を実現することで,IPv6の発展にも寄与すれば,その喜びは倍増する。

利根川恵介
 入社後,水中音響センサー装置に搭載するシステムLSIやDSPボードなどのモジュール開発を担当。1998年より現職となり,以後一貫してセンサー応用システムの開発に従事。現在は,センサーに通信とネットワーク機能を融合した“ネットセンサー”の開発とそのソリューション事業に取り組んでいる。最近は,大好きなゴルフも自重(?)して,事業拡大のために日夜努力を続けている。