出会いは数奇なものだと感じることがある。

 IPv6の解説で必ず引き合いに出されるINET92は,僕が本格的にWIDEに参加した最初の行事でもあった。INET92後にWIDEのMLで,村井さんC#CIDRの解説をしていたのを今でもよく覚えている。

 1994年にトロントで開かれた第30回IETFで,IPngの複数の候補の中からSIPPが選出された。これは僕が最初に参加したIETFでもある。壇上のSteve Deering氏が,緊張のためかやや上ずった声で喋っていたのが印象的だった。

 1995年の夏,WIDEの運営委員は,IPv6の勉強会を福岡で開いた。当時僕の学生であった島くんが,修士論文の研究に行き詰まっていた。そうでなければ、新たなテーマにと,IPv6の実装を請け負うこともなかっただろう。

 お酒をご一緒していたIIJ会長の深瀬さんから「インターネットは誰が偉いわけでもなく,みなそれぞれ役割分担なんだ」という話を以前伺った。それに照らし合わせてみれば,IPv6に従事するのが僕の役割だったのかと思いを巡らさずにはいられない。

 IPv6に携わってもう6年になる。最初のうちは,新しいプロトコルを自分達で作り出せるのが面白くてやっていた。時が経ち気が付いてみると,IPv6を世間に伝える責任が生じていた。これも役割分担だろうか。

 IPv6は絵にならない。ネットワーク層はユーザの目には見えないから,アドレスが増えると説明してもピンとこないのももっともだ。アドレスの多さを無理やり絵にするために,「IPv4のアドレス空間が1mmだとすると,IPv6のそれは銀河系の直径の80倍になる」と説明したこともあった。

 継続は力なりという。長年考えていると,たまにはよい考えが浮かぶ。「IPv6はアプリケーションにとってのパラダイム変化」--僕たちが,伝える苦しみの中で産み出した表現である。

 今思えば,IPv6の目的を素直に表現するだけのことだった。すなわち,インターネットを本来の姿に戻すことである。本来のインターネットは,すべてのノードは常時接続されており,アドレスは潤沢にあって,中間のノードではなく末端のノードが賢いという,簡潔なモデルだった。

 特に日本のインターネットでは,間欠接続が多用され、IPv4アドレスは足りず,まにあわせのNATなどのために簡潔さが失われている。この環境のせいで,実際さまざまなアプリケーションが廃れてしまった。多くの日本人は,メールやwebだけのインターネットしか知らない。

 IPv6の仮想的な世界は,お隣の韓国に垣間見ることができる。韓国では常時接続が普及し,KRNICの努力によりIPv4アドレスが十分に割り当てられている。このような環境でネットワーク対戦ゲームが流行っていることは予想できるだろう。さらに驚いたことに,その対戦ゲームを観戦している人までいる。ゲームの腕を上達させたいなら,うまい人のプレーを見るのが一番だから。

 この例からも分かるように,インターネットが本来の姿を取り戻したとき,ユーザはさまざまなアプリケーションを創造し,想像もつかないサービスが生まれてくることだろう。

 IPv6はインターネットそのものだ。夢に溢れたインターネットを描けば,それはIPv6を表現したことに他ならない。そのことに気付けただけでも,IPv6に関わってきてよかったと心から思う。



INET92
 INETはインターネット学会(Internet society;ISOC)が主催する国際会議。INET92は,1992年に神戸で開催された。
WIDE
 産学協同の研究プロジェクト「WIDEプロジェクト」のこと。WIDEはWidely Integrated Distributed Environmentsを意味する。
ML
 メーリング・リスト
村井さん
 慶應義塾大学の村井純教授。WIDEプロジェクトの代表を務める。
C#
クラスBとクラスCの中間のアドレス空間をどう割り当てるかという議論で生まれた提案の一つ。当時,CIDRとライバル関係にあった。
CIDR
 classless inter-domain routing。クラスのカテゴリにとらわれずに,さまざまなアドレスの大きさを表現するための技術。現在,広く利用されている。
IPng
IP next generation。IPv4の後継となる次世代インターネット・プロトコルの候補全体を漠然と指す言葉として使われていた。IPngの候補の中からSIPPが選ばれ,これがIPv6と改名された。
SIPP
 simple IP plus。IPv6の雛型となったプロトコル。
Steve Deering氏
 SIPPのベースとなったSIP(simple IP)の開発者。現在,IETFにおけるIPv6検討部会(ipngwg)の議長を務める。
島くん
 島慶一氏。KAMEのもとになったHydrangeaの作者。現在はIIJに勤務。
KRNIC
 Korea Network Information Center。韓国のIPアドレス/ドメイン名(krドメイン)の管理組織。


山本 和彦

研究分野は,IPv6,電子メール,セキュリティ。IPv6 の分野では,KAME プロジェクトの開発リーダであり,WIDE プロジェクトの v6 分科会の議長でもある。また,Huitema 本の訳や N+I IPv6 ShowCaseにも携わっている。電子メールの分野では,メールリーダ Mew のメインプログラマ。セキュリティの分野では、PGP 本の監訳者である。最近の著書は「リスト遊び」。趣味は,ジョギング,サッカー,日本酒,ワイン,読書など。科学全般と中国史の書籍を読むことが多い。