中国聯想集団(レノボグループ)へのパソコン事業売却に伴い、第2四半期にも設立される新生レノボのCEO(最高経営責任者)に就任する米IBM パーソナル・システムズ・グループ担当のスティーブ・ウォード氏が1月5日、北京へ向かう途中で記者会見した。

 その中でウォード氏は、筆者の「日立製作所に対し事業規模の2分の1で売却しながら()、レノボに同5分の1でバーゲンセールというのは、日本人記者として不愉快だ。何か別に意図があるのか?」という質問に対し、「(HDDとパソコンでは)事業内容が違うし、資産内容も異なるので(売却金額が)違うのは当然だ」と、まずは穏当に答えたものである。

   日立製作所  中国レノボ
発表  2002年 6月  2004年12月
IBMの事業規模  40億ドル  90億ドル
売却金額  20億5000万ドル  17億5000万ドル
合弁出資比率  30%  18.9%
従業員数  2万1500人  1万9000人
うちIBM 従業員  1万4700人  1万人
うち日本IBM  800人  600人
IBMの支援契約  4年(2006年まで)  5年(2009年まで)
表●米IBMのHDD 事業、パソコン事業売却の比較

 確かにHDDの場合は、磁気研究で世界トップのIBMアルマデン研究所の一部を含め、日立は研究・開発・設計要員を1500人も手中にしたため、資産価値が違うというのは説得力がある。パソコンの場合は日本IBM大和研究所の一部研究者が移籍するに過ぎない。とはい え、米紙は「IBMが初めてレノボに接触した2000年に、パソコン事業を40億ドルで売却する話を持ちかけた」と報道しており、ガースナー前CEO時代は、パソコン事業規模の2分の1程度で売りたかったのだ。赤字事業の売却というレベルだったと考えられる。

 ウォード氏は、会見でこう付け加えた。「レノボと戦略的な関係を築くのがIBMの狙いだ」。これがIBMの本音。破格値での売却もうなずける。その上で対中国戦略を重要視したのが02年3月にCEOに就任したサム・パルミザーノ氏である。同CEOは、日本や欧州でうまくいった現地化方式をレノボを介して中国に導入する。IBMは中国政府と親密な関係を忍耐強く育て、一流の雇用者として、さらに一級の市民として活動し、最終的には外国企業というよりは地元企業のように見られることを狙う。そこまで行けば、中国企業市場攻略は、少なくとも日本同様にスムーズに運ぶ。

 パルミザーノCEO は02年5月、つまり日立へのHDD事業売却の最終段階の頃、IBM幹部に対し「レノボとの交渉を再開しろ」と命じている。IBMはHDDとパソコンという双子の赤字事業を売却し、返す刀で同年9月に35億ドルで3万人のコンサルティング企業を買収。10月末には「企業経営とオンデマンド」を大々的に発表。オンデマンドビジネスをサービス中心に再定義し、IBMを企業市場に特化したビジネスモデルに変更している。パルミザーノ氏はCEO 最初の年に、10年以上先のIBMを考えて駆けた。ただし、中国はそう簡単に落ちなかっただけのことである。

 業界通によれば、パルミザーノCEOは03年7月、中国政府高官に会った。レノボとの直接交渉の前に親の許可を求めたのである。同CEOは、単にパソコン事業を売却するだけでなく、もっと大きな抱負があると高官に告げ、IBM流の技術や管理、マーケティング、流通に長けたグローバル企業を創造したいと迫ったという。中国所有の真に国際的な企業が、他の国の製造ハブに甘んじている現状から、海外投資を通じて経済的に成熟した中国に脱皮する踏み台になる。「IBMは中国の戦略の一部になる」と言い添えたのだ。高官は「中国の戦略そのもの」と応じ、許可が下りたとされている。

 パルミザーノCEOは売却発表の12月8日、社員にメールで説明した。「IBMに2つの道がある。それは研究開発に多大に投資し、企業に価値を届ける革新的なプロバイダになること。もう一つは量と価格で差別化を図ることだ」。パソコンは後者を辿るとし、IBMは前者を選んだのだ。

(北川 賢一=主席編集委員)