「こういうレガシーマイグレーションの道具が存在すること自体、メーカーやソフト業界にとっては困るのでしょうね。何せ“仕事を作らない”から、彼らのお金になりません」。ドット研究所(仙台市泉区)の柳田雄幸社長が申し訳なさそうに口を開く。同社は、富士通、IBM、日立製作所、NECなど4社のメインフレームのCOBOLプログラムをソースの修正・変更なしに、UNIXやLinux、Windowsサーバーで動かすコンパイラを開発する。柳田社長は「こんな片田舎で従業員が30人だから“世界で最小”のコンパイラメーカー」と笑う。「東京にいたらもっと売り上げが上がるかもしれませんが、ソフト会社で200人を超すと、メインフレームと同じように維持・メンテが大変で結局、栄えないし、そんなマネジメント能力もありません」。

 同社のコンパイラは、プログラムの変更が不要だから、移行作業のネックであるテストが最終システムテストだけですむ。運用も「階層構造にしないのでメインフレーム時代に習熟したオンライン処理が踏襲できる」(柳田社長)。移行にかかる経費や期間も、従来のコンバーションやシステム再構築に比べたら3~10分の1。実は10分の1は謙遜で、多くのメーカーが勧めるレガシーマイグレーションの常套手段である「システム再構築」の15分の1~20分の1ですむ。

 ドット研が誕生したのは1989年。言語とデータベース開発でスタートした同社の転機は西暦2000年(Y2K)問題だった。各社のCOBOLソースを入手し、分析したことがきっかけで、98年に4社のダウンサイジング用互換COBOLコンパイラとコンバートツールを開発し販売した。その後、簡易言語のCOBOLソース変換やユーティリティ、データウエアハウス用OLAP(多次元分析処理)ツール、Linux用のCOBOLコンパイラとランタイムとオンラインモニター、Javaや .NET対応ツール、TSO(タイムシェアリングオプション)などメインフレームのあらゆる利用形態からオープンプラットホームへの移行に必要な道具を揃えた。柳田社長は「ソフトを作ることが楽しいものですから」と屈託ない。

 ドット研製の移行ソリューションが実商談で威力を発揮したのは2000年の宮城県庁だ。NTTデータ製の財務パッケージなどを搭載していた富士通の大型Mシリーズを、地元のソリューションプロバイダと組んでWindows2000サーバーにリプレースした。この時、移行したプログラム本数は約3000本だった。

 この商談に富士通があわてた。「議員が出て来て『ネットワーク型データベースはリレーショナル型にできない』とか圧力がすごかった」と柳田氏は振り返る。しかし、予算が厳しい宮城県庁の課長が奮起し、全国県庁で初のダウンサイジングを敢行。年間3億円を節約している。メインフレーム出荷金額の約4割は政府・地方公共団体が占め、今でも業種セクターでは最大のユーザーだ。ここに、どれくらいの節約余地があるのか。考えただけで、ぞっとする話ではある。

 ユーザー企業のIT部門がドット研の移行ソリューションを使い、メーカーやサービス会社の手を借りることなくダウンサイジングしたケースにはダイキン工業がある。「雑誌に出ていた広告を見た」とダイキン工業のIT部長が大阪から仙台に飛んできた。NECのACOS 4と250台の端末からなるシステムをWindows2000とOracleに短期間で移行し、動かした。

 柳田氏によると、これまでに大手企業14社が実証テストを実施している。その中には富士通もいる。しかし、実際にダウンサイジングを敢行したのは4社だ。大阪の電機会社のように取引先の日立から圧力がかかって断念したケースもある。柳田社長は、こうも話す。

 「ユーザーのレベルが低すぎると思う。『変換率は何%だ?』から始まり、否定の答えを引き出そうと次から次と言ってくる。まるで国会の論戦のようで、もう議論することはやめました。今は『サンプルを下さい。動かせて見せます』と議論の余地をなくすようにしています。IT部門はつくづく、企業の代表ではなく、メーカーの代表だと思います」。

(北川 賢一=主席編集委員)