ソフトバンク・テクノロジーは2003年3月、日立メディコの国内の70拠点以上を結ぶWAN(広域通信網)を構築した。受注から 構築終了に至るまで、数々の難題を乗り越えなければならなかった。

 「ソフトバンクBBの回線で、本当に大丈夫か」。2002年春、大手医療機器メーカー、日立メディコの社内では、こんな議論が繰り広げられていた。ネットワーク構築の責任者であるサービス事業本部情報システム課の峰謙二課長と情報システム部システム課の秦敦郎主任も「バックアップ用ならまだしも、メインで使うのはどうか」と、不安を抱いていた。

 日立メディコが、社内ネットワーク再構築を検討したきっかけは、約2年前の2001年秋。同社は、これまでX線診断装置など医療機器の製造販売が事業の柱だった。医療機器は安定した需要はあるものの、将来的に大きな成長は期待できない。そこで、同社が新たな事業の柱として考えていたのが、ブロードバンドを使った遠隔医療支援事業だった。

 しかし、それ以前に、日立メディコは、社内ネットワークで課題を抱えていた。本社と基幹拠点、全国各地の約70拠点は、従来型のフレームリレー回線で結ばれており、データ通信速度は128kbps~1.5M bpsにすぎなかった。「営業担当者が数メガもある画像ファイルを送受信するのに10分以上かかることもたびたびで、CD-Rに記録して郵送することもあった」(秦主任)。音声通信にしても、内線電話は本社と全国4カ所の基幹拠点の間しか結ばれていなかった。

大手通信事業者が勢ぞろい

 こうした課題を解決すると同時に、将来の新規事業に備えブロードバンドの有用性を確認するためにも、日立メディコは、本社と全国各地の拠点をブロードバンド回線で結ぶWANの構築を決めた。WAN上で、テレビ会議システムの利用、社外からリモートアクセスできる環境、さらにIP電話による通信費削減も要件に盛り込んだ。

 2002年5月、日立メディコは業者の選定に入った。コンペには、ソフトバンクBBの回線やIP電話、BBフォンなどを担ぐソフトバンク・テクノロジー(SBT)を除けば、NTTグループ、KDDI、日本テレコムといった大手通信事業者が顔をそろえた。

 BBフォンは、消費者向けが中心で、SBTの提案が採用されれば法人向けの最初の事例となる。ソフトバンクの孫正義社長も、日立メディコの経営層に、韓国でのブロードバンドを使った医療ビジネスを視察してもらうなど、将来の事業への支援も視野に入れた上でのトップセールスをかけていた。

 だが、当時BBフォンはサービスが開始されたたばかりだった上、Yahoo! BBでのサポートの不手際などが報じられたこともあり、峰課長らの印象は最悪だった。

 「ソフトバンクBBの回線をメインに選ぶことはあり得ない」。峰課長や秦主任らは、情報系のデータを送受信するメインの回線はNTTで、ソフトバンクBBの回線はバックアップ用で補助的に位置付けようとした。だが、SBTの石川憲和社長は「このプロジェクトだけは、何としても当社の看板でやり抜くんだ」と、檄を飛ばした。SBTブロードバンド・ソリューション事業部営業部第2グループ部の三浦祐幸部長代行や小林貴弘氏ら営業担当者の肩に「絶対に落とせない商談」と重圧がのし掛かっていた。

(中井 奨)