■Hillel Cooperman氏とTjeerd Hoek氏(「cheered:元気づけられた」と同じ発音)は,米MicrosoftのWindowsユーザー・エクスペリエンス・チームの主要メンバーである。彼らは過去数年にわたってMSNの「Mars」,Internet Explorerのシェル,Windowsの「Neptune」,Windows XP,さらに最近のLonghornといったユーザー・インターフェース(UI)向上プロジェクトで力を発揮した。
■このインタビューは,Windowsの技術を背後で支える人物に光を当てようという試みで行った。Microsoftほど大きな会社を,没個性化して語ることは至極簡単だが,その製品群の背後には本物の人間がいて,彼らは自分たちが生み出した製品ができる限り美的に優れ,機能的で,安全で,かつ信頼性の高いものになるよう努力しているのだ。現場ではほかにもWindows XPの主任プロダクト・マネージャのGreg Sullivan氏が同席した。
■前編は,2人がLonghornにかかわるまでの経緯を語った。彼らは,グラフィカル・ユーザー・インターフェースからユーザー・エクスペリエンスへと発想の転換をする。

(聞き手=Paul Thurrott,Joseph R. Jones)

[Tjeerd Hoek氏]僕はMicrosoftへ1994年にプロダクト・デザイナとして入社したんです。バックグラウンドとしては工業デザインとエンジニアリングです。

 Microsoftで僕らが行っている業務は,製品開発のための製品設計,ユーザー調査,プログラム管理,開発,テスト,そしてユーザー支援などです。ユーザー支援は時々「ユーザー教育」と呼ぶこともありますよ。

 通常,機能設計を左右するデザイン・チームには,ユーザー研究から1人,製品設計から1人,プログラム管理から1人が入るようになっていて,彼らは,その製品が必要とすることと,それをどう実現すべきかということを一緒にして計画を立てようとします。このデザインは,開発チームに渡す仕様書を作成するのに役立てます。


米Microsoft,Windowsユーザー・エクスペリエンス・チーム
Tjeerd Hoek氏

 僕が最初に始めた仕事は,「At Work」と呼ばれる製品でした。僕らは,プリンタやコピーやスキャナと取り組んでいて……

[Paul Thurrott]いいなあ。At Workは素晴らしいアイデアでしたよね。

[Tjeerd]そう,僕らもそう思っていたけど,実際はうまく行かなかったね。その後,At Workはお蔵入りになって,カーネルの一部がやがてWindows CEになった。それで僕は(Officeチームに)異動になって,ほんのちょっとばかりOffice 95とOffice 97……これは本来Office 96になるはずだったんだけど,1年遅れたね……そして,Office 2000の仕事にかかわって,さらにOffice 10(後のOffice XP)の初めのほうにかかわったんだけど,それからWindowsへ異動になった。

Officeアシスタントについて意見を言い合う
[Paul]それじゃあ,あなたはあのクレージーで独りよがりなOfficeのユーザー・インターフェースに責任があるってことですか?

[Tjeerd]コマンド・バーのこと?

[Paul]そう。あらゆるバージョンのOfficeが,Microsoftのほかの製品には見当たらないような独特のUIを何か持つ羽目になったじゃないですか。

[Tjeerd]ウーン,そうその通り。基本的にはイエスだ。

[Paul]言いわけしておく必要があると思いますよ(笑)

[Tjeerd]例えば,私がファイルを開いたり保存したり,そんなことをしたとする。で,コマンド・バーを使う。

[Paul]あなたがコマンド・バーなわけ?

[Tjeerd]そう。(笑)

[Hillel Cooperman]先を続けて,Paul。わがことは神のみぞ知る,だ。(笑)

[Tjeerd]ああ,そんなにひどい話じゃないですよ。私はコードを書くことには責任がなかったから……

[Paul]ビジョンの方に責任があるなら,もっと悪いなあ……。(笑)

[Tjeerd]それで…….(Hillel氏のほうを向いて)彼はまだOfficeアシスタントのことには触れてないけど,それは放っといていいですよね。

[Hillel]あれは君のせいじゃないもの。

[Tjeerd]そう,あれは僕のせいじゃない。それは本当だ!

[Paul]でも現実にその機能が搭載されるのを見逃したでしょう?

[Tjeerd]僕はその場に居合わせたよ。やめようって言ったんだ。でもね,Officeアシスタントは,みんなが仕立て上げたような,ひどいものじゃないと今でも思っている。

 実際に,多くのチームに使われた技術だけど,出来上がりがひどいものだったことは,全くその通りだ。本当のところ,あれは操り人形のアニメみたいなもんだものね。しかし,社会的ユーザー・インターフェースの考えには真理もある。一部の人たちは,本当にOfficeアシスタントを楽しんでいるよね。言うまでもなく,そういう人はわれわれの業界で働いている人じゃないけどね。

[Paul]そうですね,それにワープロに長時間向き合って過ごすような種類の人間でもない。

[Tjeerd]それで,僕の話に戻るけど,その当時Neptuneと呼んでいたもの,みなさんそれをよくご存知だと思うけど,それを開発するためにWindows部門に異動しました。Joe Belfiore氏が僕らのチームのトップで,既に進んでいたNeptuneの全構想に対して,フォローアップ・コンセプト・ワークをたくさんしていました。まさにNeptuneを具現化しようとしていたその時に,私はそのチームに参加したんです。

 そして,NTのコードを載せる作業に絞ったところに,一種のリセットがかかった。その時,Hillelさんや僕や他の大勢の人たちがチームから離れて,David Cole氏のところに移った。彼はMSNサービス向けのクライアントを作るという野心的構想を持っていた。そして,当時既にいくつかの作業が始まっていて,IEとインスタント・メッセンジャとMedia Playerを統合しようとしていたんだ。

[Paul]そうでしたね。あれはまるで「火星プロジェクト」だった。

OfficeからMSN,そしてWindowsへ
[Tjeerd]そう,全くその通り。それで僕らは,クライアントの断片とMSNの断片の混ざったものを両面から作業したんだよ。僕らは,このサービスの全ユーザー体験を把握できたところだった。

 最終的に僕らは,MSNのばらばらになった全ピースの所有権を手に入れる必要があったね。その後2つのバージョンを作って,それらは立て続けに出荷された。僕もHillelさんも,Windowsチームに呼び戻されて,シェル・チームに再度統合されることになり,より広い範囲を扱うことになった。みんな帰ってきたんだ。

[Paul]IEの担当者の多くは,その時も帰ってこなかったんじゃないですか?

[Tjeerd]まあね。僕らはシェル・チーム,のちのWindowsユーザー・エクスペリエンス・チームを構成することになったんだ。その組織の中の設計チームになっていて,Hillelさんが報告先だ。34人の製品設計者を抱えていて,メンバー数が特に多い。普通弊社では10人設計者がいると強力で大きな設計チームと見なすんだ。

[Paul]私はPDCになって初めて,あなたたちのことを聞きました。いままでどこに隠れていたの?

[Tjeerd](笑)

[Hillel]私はトロル(訳注:北欧神話に出てくるいたずら好きな妖精)を一般人から離して,橋の下につないでいるんだよ。報道関係者からは特にね。(笑)


米Microsoft,Windowsユーザー・エクスペリエンス・チーム
Hillel Cooperman氏

[Paul]分かります。

[Tjeerd]僕のことでしょう。

[Hillel](Tjeerd氏に向けって)MSNは君が学校を出てから最初の成果だったね。君はすぐにMicrosoftに入った?

[Tjeerd]そうですね。

元々Mac屋だった…
[Hillel]さて私は,ここに来る前に,実社会で働いたことがある珍しい人間の1人だ。私は今まで6年半の間Microsoftの社員だった。でもWindowsユーザーだったのは5年半だ。(笑)

[Paul]おっと……ちょっと待ってください。

[Hillel]ああ。私はMicrosoftに入る前には,いくつか小さな会社に勤めていて,Macのソフトウエアを書いたりしていた。ある会社では,データベースのコンサルティングをやって,Mac用の小さなユーティリティ集をやったよ。

 その後,私はAladdin Systemsに行って,StuffItやなんかの仕事をして,そこでレイオフされたんだ。最初は,Microsoftが私に仕事をくれるといったんだが,私はノーといったんだが,それは大きなミスだった。

[Tjeerd]まあ,結局はうまくいったわけで……。

[Hillel]それはそうだけど,でも言わせてよ,それはミスだった。私は他にそれを埋め合わせるものも手に入れた。でも,よくもなかった。私はMac版IEのJavaのプログラム・マネージャとして,Microsoftで働き始めたんだ。

[Paul]クックックッ,かんべんして…

[Hillel]それが私の最初の仕事だったのさ。

[Paul]じゃあ,あなたの見込みはよかったわけだ!(笑)

[Hillel]そうだね。うん,そのころのことを思い出そう。いいよね?

 私たちには1つブラウザがあって,それにすべてのものを詰め込むつもりだった。その2カ月後に,私はMac版IEの主任プログラム・マネージャを引き継いだ。ピリオド。

 つまり,私はMac版Internet Explorerに取り組んでいたんだ。IE 4.0の出荷時期の終わりに参加して,IE 4.01の出荷に付き合ったが,これはずっとよくなっていたね。当時のグループは,サンノゼで存在感を押し出せなかったので,これでは駄目だと思った。

 実際,Microsoftの本社では,活動も興奮も盛り上がっていた。今とは違っていたね。そのころはやる気満々だったよ。だから僕らのグループももっと存在感を示せると思っていた。みんながレッドモンドに行くぞ,といっていた。それでWindowsで働くことになった。で,荷物をまとめてやってきたってわけさ。

 あるみんなは,違うものに取り組むことになったのだが,私は結局Joe BelfioreのためにNeptune以前の,次世代Windowsユーザー・インターフェース研究プロジェクトに携わることになった。だが,私は物事がどう働くか,世間知らずだった。だから,それが物を作るのではなく,調査研究プロジェクトなのだと分かってなかった。その後,私はNeptuneをやったが,それはまだ製品ではなく研究寄りの仕事だった。それから,Tjeerd君に来てくれるよう頼んだんだが,1年以上もお願いしたっけね。MSN Explorerの2つのバージョンの共同プログラム・マネージャをやって,世に出したわけだ。とても面白かったよ。

 さて,その後私はLonghornの作業に参加した。私はシェル・コア・チームでいわゆるプロダクト・ユニット・マネージャをしている。それはクラシックなシェルと同じくある意味,徹頭徹尾コアなUIだと考えてもらいたい。私たちが(PDCで)やって見せたようなストレージの作業と,タスク・バーやスタート・メニューの両方だ。

[Tjeerd]クールなことに,このチームは,数多くの特定機能の担当からは,離れていて,直接それらをビルドする開発からも離れている。僕らはWindowsユーザーにとって,より包括的な利用シナリオを動かすことに責任があるんだ。

 つまり,僕らは実際には1歩下がって,人々が何をするかをもっと広く考えようとしているんだ。われわれは他のチームに出かけていって,そこの連中と話して,どうすればよりシームレスにできるかを考えようとしている。

[Hillel]シェル・コア・チームのほかに,私はMSXチームの一員でもあって,それは製品設計/ユーザー調査/ユーザー支援を担当するところだ。

[Paul]それは何のこと?Microsoft eXperienceの略ですか?

[Hillel]うん,そんなものです。面白いのはわれわれがWindowsに集中させられているにしても,プラットフォームとなるOSの性格から,会社の他の人のためにも業界のためにも,結局1つのプラットフォームとしてのWindowsを超えて考えようとすることになる。これはちょっとつらいくらいの責任感だ。でもそれをわれわれは謙虚だが高い野心を持って引き受けている。私がしているのはこんなことです。

[Paul]同僚のJonesは残念なことに,PDCにいなかったけど,私はあなたの講演のことをJonesに興奮して話をしたんだよ。

[Joseph Jones]そうだね,Paulからの電話は講演を見るのと同じくらい興奮したよ。(笑)

[Paul]でしょう?

[Hillel]神様は,彼が何時間も何時間もビデオを撮ったことはご存知だ(該当サイト)。

[Paul]それじゃ,テクノ・ポルノだ。(笑)