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第8回 “一太郎”訴訟にみるリスク情報開示の必要性

2005/08/15
日本リスクコンサルタント協会 大友 明弘

 知的財産権の重要性が言われて久しいが,最近は知的財産権の侵害に対するリスクの大きさも問われるような事件が目立ってきた。ソフトウエアの“一太郎”や“花子”(以後,まとめて,“一太郎”とする)の製造・販売業者であるジャストシステムが直面した特許権の侵害問題について,リスクマネジメント,特にリスク情報の開示の観点から考えてみることにする。ここで取り上げる問題は知的高等財産裁判所において7月15日に口頭弁論が終結しているが,9月30日に判決が予定されているので(日経ネット参照),特許権問題そのものについての考察はしない。


「文字・マーク」ならセーフ,「アイコン」ならアウト?

 2年前の2003年,松下電器産業はジャストシステムに対し,“ジャストホーム2家計簿パック”のヘルプ表示部分に「?」を表示しているのは,松下の保有する特許を侵害していると,製造・販売の差し止め請求の訴えを東京地裁に起こした(裁判長は7月15日に口頭弁論が終結した今回の裁判と同じだったもよう)。この裁判では2004年8月31日に差止請求をはじめ,その他の請求も棄却された。その後,松下側は控訴をしていないので,実質的にジャストシステムの勝訴となった。よく言われているように,「?」は「文字」あるいは「マーク」であり,松下の特許に含まれる「アイコン」ではないとされた。

 話はこれで終わらず,2004年9月に同じく松下がジャストシステムに対し,“一太郎”のいわゆるバルーンヘルプ機能(「?」とマウスマークを組み合わせてヘルプアイコンを指定し,別のアイコンの位置にドラッグすると,そのアイコンの機能が表示される機能)が,前回と同じ特許を侵害しているとの訴えを東京地裁に起こした。2005年2月1日の一審では前回と全く逆の判決となり,松下側の勝訴となった。つまり,「?」+αの機能が「アイコン」と認識されたようである。この結果を受けて,ジャストシステム側は,2005年2月8日に東京高裁に控訴した。

 ある機能が「文字」あるいは「マーク」になるのか,もしくは「アイコン」として認識されるかの違いにより,裁判結果が全く正反対になってしまったのである。企業にとってはもちろん,裁判所や弁護士にとっても大変な時代になったものだ。なお,今年4月に設立された知的財産高等裁判所の裁判官は相当の専門知識を有していると思われるが,今回の事件では初めて同裁判所の5人の裁判官による大合議の審理を採用し,6月,7月に口頭弁論が行なわれた。

松下とジャストの争いは10年前に遡る

 背景情報を押さえるために,裁判記録(2004年8月31日東京地裁判決と2005年2月1日東京地裁判決)を見たが,松下とジャストシステムの特許を巡る争いはここ数年の話ではなく,10年前に遡ることが分かった。一貫して松下は,最初に意見交換や特許侵害の警告を出し,ライセンス契約締結に持ち込もうとする一方,ジャストシステムはこのライセンス契約を拒否し続けている構図が見て取れる。少し長くなるが,事実部分を振り返ってみよう。

 今から10年前,松下が自社の情報処理装置及び情報処理方法の特許(特許番号第2803236号)について,実施許諾の用意がある旨の文書をジャストシステムに送付した。その後,1998年2月にライセンス契約締結を申し入れたが,ジャストシステムは同年3月に拒絶した。

 2001年2月7日,松下は特許の明細書とジャストシステムの製品である“ジャストホーム2家計簿パック”との対比表を添付し,意見交換の申し入れを再度行った。2001年2月22日,ジャストシステムは松下から特許権のライセンス供与を受ける気はなく,申し入れには応じられないと回答した。

 2001年5月に,松下はパソコンの販売業者であるソーテックに対し,ソーテック製品が松下の前述の特許に関係するものであると書面で通知した。するとソーテックは何が問題なのか具体的に特定することを書面で求めた。7月,松下はソーテックに対し,“ジャストホーム2家計簿パック”をプリインストールしたパソコンは,前述の特許権を侵害する」旨の資料を添付して通知した。ソーテックは8月,「特許問題はソフトウエア製造者であるジャストシステムと松下間の問題であり,ジャストシステムに直接問い合わせて欲しい」と回答をした。

 9月,松下はソーテックに対し「ソーテックが“ジャストホーム2家計簿パック”をパソコンにプリインストールして販売する行為が,侵害行為に該当する」旨を通知した。これに対しソーテックは10月,「当該ソフトはジャストシステムの製品であるため,ソーテックは技術がなく対応が困難であること,および10月下旬から当該ソフトのプリインストールをやめる」旨の回答をした。10月23日,松下はジャストシステムに対し,「ソーテックに当該特許権に関する申し入れをしていること,ソーテックからジャストシステムに直接問い合わせて欲しいとの回答があったこと,ジャストシステムと打ち合わせを望んでいるが対応がない場合には然るべき手段をとる」旨の通知をした。これに対しジャストシステムは,10月30日,「松下の特許権のライセンス供与を受ける考えはなく,松下の申し入れに応じられない」と再度回答した。

 ところで10月24日に,松下はソーテックに対し,「プリインストールが中止されていないこと,ソーテックによる“ジャストホーム2家計簿パック”をパソコンに同梱して販売する行為も侵害行為に該当すること,それらをジャストシステムにも通知していること」を通知した。11月7日,ソーテックは松下に対し,「ジャストシステムからパソコンに当該ソフトをインストールしても松下の特許権には抵触しない旨松下に回答するよう指示があったこと,松下とジャストシステムとの紛争と考えており,松下と会う意思がないこと」を回答した。

 この後は,お決まりの内容証明郵便によるやりとりに突入し,2002年11月7日と12月10日,松下はジャストシステムとソーテックに対して,“ジャストホーム2家計簿パック”をインストールしたパソコンが松下の特許を侵害するとして,特許権侵害による販売行為等の差し止めを請求する仮処分命令申し立てを行った。その後,ソーテックが当該ソフトをインストールしたパソコンの販売を中止したので,2003年6月に,松下はジャストシステムとソーテックの両社に対する上記仮処分申請をすべて取り下げた。

 これ以降,ジャストシステムが原告,松下が反訴の原告となって裁判を争った。結果的には前述のように2004年8月に痛み分けの判決が出て,ジャストシステムの“ジャストホーム2家計簿パック”は松下の特許権を侵害していないことになった。

 ところが,この判決の翌月に松下が原告となって行なわれた“一太郎”裁判は,前述のように第一審判決において松下の主張が認められた。前述のようにジャストシステムは控訴して,知的財産高等裁判所の判決を待っている状態である。

知的財産権の訴訟も事業リスクである

 5月発表の決算短信,6月発表の有価証券報告が出るまで,この10年間の裁判の経緯について,ジャストシステムは2月2日の「判決に関するお知らせ」だけしか情報を開示してこなかった。

 もちろん,10年間の争点をすべて公表することは不可能であるし,その必要もないと思うが,重要な訴訟事件の発生は有価証券報告書に記載すべき事業等のリスクに含まれるはずである。ジャストシステムは,松下の仮処分申し立てとその取り下げも含めて訴訟の事実を公表した方が経営の透明性や投資家の理解,ひいては支持を高めたと思われる。

 訴訟の情報を適切に開示していたら,発表直後の株価の急降下(約100円)はなかったかもしれない。その翌日から事情が徐々に分かったことで,仮に敗訴が確定したとしても影響は限定的という見方が広がり,ジャストシステムの株価は少し回復した。このことからも,積極的に訴訟の経緯を開示した方が,投資家や利害関係者の信頼はより得られることが分かるだろう。

 企業の経営は,毎日がいわばリスクテイクの連続である。リスクマネジメントの教科書どおり,リスクファクターをすべて挙げることは無意味であるし,そのことはおそらく期待も要求もされていない。しかしながら,ジャストシステムのようにビジネスが知的財産権に左右される企業は,特許や法律に関するアンテナを研ぎ澄ますことが必要であろう。またその分野のリスクマネジメントには,他よりも重点をおくことが有意義であろう。ジャストシステムは,今まで経営企画室の中にあった法務グループを法務部とする組織変更・人事異動を4月15日付で実行している。外部環境の変化に適応した組織を構築しようとする努力が見受けられる。

 またジャストシステムはビジネス面でも着々と手を打っている。争点となった“一太郎”のヘルプモードデザインを変更できるモジュールを,3月2日よりホームページ上でダウンロードで提供するのもその一例である。また,6月23日の事業説明会では「XFY(エックスファイ)事業」と呼ばれる新事業(この事業は企業間のデータのやり取りをするシステムを簡単に構築できるジャストシステムの独自技術を利用している)を立ち上げ,3年後に売上高を250億円程度上乗せできる,という社内の試算を発表している。

 ジャストシステムが発行した昨年度の決算短信と有価証券報告書では,事業等の7つのリスクの中において,今回の訴訟が係争事件として開示されている。それだけでなく,特定商品“一太郎”への依存度についても,「公開直前の83%から39%に低下したものの,一太郎の売上高の急激な低下は当社グループの収益構造に大きな影響を与える可能性があります」とはっきりと開示されている。今後のジャストシステムのリスク情報の開示状況がどう変遷していくか,ますます楽しみである。

  大友 明弘(おおとも あきひろ)

1982年慶応義塾大学経済学部卒業後,複数の外資系銀行に勤務(現職)。シニアリスクコンサルタント・認定講師(日本リスクコンサルタント協会),金融内部監査士補(日本内部監査協会),ビジネス実務法務検定試験2級,宅地建物取引主任者

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