最終回のテーマは、筆者が特に重要と考える「電子申請文化」である。

 なぜ行政に新しい文化の構築が必要なのか。それは、周囲の状況が変化しているからである。企業の活動や市民の生活が変わっているのに、行政だけそのままと言う訳には行かない。行政の存在意義や役割は、時代と共に変化しているのである。電子申請の導入は、役所において新しい文化を再構築する絶好の機会となる。

 電子申請の導入により行政が求められていることは、
  • サービスの向上
  • 公開性・透明性の向上
  • ニーズに応じた柔軟な対応
  • 組織を越えた横断的な思考と行動
  • 市民を公平・対等に扱う姿勢
  • 情報の提供者であることの認識
  • 新しいアイデアを引き出す役割
  • 市民と共に学習・成長する姿勢
などが挙げられる。こうした要望に応えるためには、今までの「お役所的発想」を改め、新しい「電子申請文化」を育ていく必要がある。

■市民と行政、両者にとって正しいことをする電子申請

 文化は、言語、価値観、価値観を実現する行動の3つからなると言われる。言語によって伝えられ、価値観が行動の規範となり、行動が積み重ねられることで慣習や伝統となっていく。

 それでは、電子申請において必要となる価値観とは、どのようなものなのか。筆者は、シンプルに「市民と行政、両者にとって正しいことをする」という価値観を大切にしたい。価値観を誤解なく人に伝え共有するためには、簡潔である方がよいからだ。もし、マニュアルに書いていない事態や前例のないケースへの対応を迫られた時には、「市民と行政、両者にとって正しいことをする」という価値観に従って行動するということである。

 価値観が明確になれば、次は、それを実現するための行動を考え実行することになる。以前のコラムで「電子申請文化」構築のキーワードとして、「組織改革」「人材の育成」「部局横断的」「縦割りから水平構造へ」「権限委譲」「経済的な合理性」「ビジョンの共有」「自発的な参加」「情熱と希望」「挑戦と変革」「多様性の尊重」「失敗を認め生かす」「協働と連携」「改善の欲求」などを挙げたが、これらは全て「市民と行政、両者にとって正しいことをする」という価値観を実現するための行動に結びつくものである。

 ここで改めて、電子申請が目指すべき5つのゴールを、「市民と行政、両者にとって正しいことをする」という視点から見てみたい。

1. 行政サービスの向上
 行政サービスが向上すれば、市民は嬉しい。行政にとっても、健全な職業意識と倫理観を育む機会となる。
2. 行政事務の効率
 行政事務が効率化されれば、職員の負担が減り、コストパフォーマンスも高まる。市民に提供されるサービスの向上にも繋がる。
3. 民主主義の促進
 政治に参加する機会が増えることで、政治への関心が高まり、市民がより良い町づくりに貢献できる。行政にとっても、市民との誤解や対立を未然に防ぐことで、スムーズな事業展開が可能となる。
4. 新しい文化の構築
 行政職員が、業務を遂行する中で感じていた矛盾や疑問を解消し、仕事に対するやり甲斐を高めてくれる。市民は、お役所的な思考や対応によって被るストレスから開放される。
5. 住民と行政の新たな関係の実現
 市民と行政が、お互いに尊敬し、信頼し、期待し合い、市民と行政のコラボレーション(協働と連携)が日常的なものとなれば、それは両者にとって大変好ましいものである。

 このように、電子申請のゴールは、電子申請文化の基礎となる価値観と密接な関係を持つ。別の言い方をすれば、価値観を明確にした電子申請文化を育てることができれば、電子申請のゴールを見失うことなく、具体的な施策を展開することができると言える。

■トップが先導して「電子申請文化」を育てる

 新しい文化の構築は、容易なことではなく時間もかかる。ここでは、「電子申請文化」を育てる際の3つのポイントを挙げておこう。


1.トップが先導する
 役所のトップが、電子申請・電子政府の本質を理解した上で、「電子申請文化」の基礎となる価値観を明確にする。そして、価値観と対立する既存の慣習等を変えていくという意思表示をする。

 もし、価値観を実現するための行動により、市民と行政の利害が反することになれば、両者の利害を一致させる調整をしなければいけない。もちろん、電子申請に関する施策の一つ一つを、価値観を実現するための行動と位置付け、評価・見直しをすることも必要である。

 部局等のリーダーも重要な役割を担う。なぜなら、国や地域によって、行政の仕組み、習慣・伝統・文化が異なるように、部局によっても異なる文化が存在し、電子申請を受け入れやすい部局とそうでない部局があるからだ。一貫性のある行動を取りながら、良い文化を生かし、障害となる習慣を除去または改革することが、部局リーダーの役目となる。


2.価値観を物語化して伝える
 トップが明確にした価値観は、各部局等の長、現場の行政職員らに伝えられ共有できてこそ、意味のあるものとなる。新しい文化を育てるためには、個々の行政職員が自分たちの文化に関心を持ち、「どうせ変わらない」といった発想をなくすことが必要なのである。

 価値観を伝える際に有効となるのは、具体的なエピソードと共に広めることである。例えば、こんなふうにである。

 ビジネスを行うために必要となる許可申請の手続をしました。ところが、たった一つの添付書類が足りないために、申請が受付けられません。今日中に受付けられなかったら、許可が下りるのが遅れ、ビジネスの開始を1ヶ月延期することになり、多大な損害が生まれます。役所の担当者に相談したところ、それでは、「足りない添付書類を5日以内に提出します」という一文に署名押印(電子署名)したものを提出してください。そして、足りない添付書類を後日提出してください。そうすれば、予定通りに許可が下ります。申請者は、担当者の柔軟な対応に感謝し、担当者は、申請者に喜ばれて嬉しく思いました。

 こうした物語を、「市民と行政、両者にとって正しいことをする」という価値観とセットにして伝えることで、新しい文化の構築はよりスムーズになる。


3.多様性の中で文化を確立させる
 自身の文化を認識するためには、他の文化に触れることが好ましい。海外で暮らしてみて、日本人であることを再認識したり、外国人と交流することで、自国の文化を見直すようになったという話は良くあることだ。電子申請システムの導入は、企業や民間団体との交流・協働を促し、様々なタイプの職業人に触れるチャンスとなる。多くの知識、価値観、視点を学び、「電子申請文化」を育て発展させていくためにも、こうした機会を大切にしたい。

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 最後に、電子申請文化の概念図とそれを育てるプロセスをまとめておこう。電子申請に関わる全ての人達の努力が報われることを祈りつつ、当コラムの締めとしたい。

電子申請文化とは


■電子申請文化を育てるプロセス

(1) トップが価値観を確立し、意志を表明する
(2) 行政職員が価値観を理解し、自らの文化に関心を持つ
(3) 電子申請を通じて、役所の変化を市民に示す
(4) 市民が行政に関心を持つ
(5) 市民と行政との交流・協働から新たな信頼関係が生まれる
(6) 新たな電子申請サービスの創造


牟田氏写真 筆者紹介 牟田学(むた・まなぶ)

行政書士として登録後、電子申請・電子政府に興味を持ち、自らのウェブサイトManaboo's Roomを起点として関連情報を発信。研究会等に参加しながら、電子申請がもたらす様々な可能性を探求している。共著に『インターネット電子申請』がある。