■自治体CRMシステムの成功例として知られる米国メリーランド州ボルチモア市。同市のコールセンターは、電話の“お役所”対応を改め、住民満足度を高めるためだけのツールではない。苦情、相談はすべて期限を切って処理し、その結果は市の幹部が定期的にチェックする。このプロセスすべてをITを使って可視化することでアカウンタビリティを高め、職員の意識改革を迫ったのだ。結果的に業務処理スピードはアップし、コストも大幅に削減された。(文・石川幸憲=ジャーナリスト)

※ この記事は『日経BPガバメントテクノロジー』第4号(2003年07月01日発行)に掲載されたものに一部加筆・修正を加えたものです。



ボルチモア市の位置
ボルチモア市は人口約65万人、首都ワシントンD.C.から車で約30分に位置する港湾都市だ。

 行政の枕詞といえば日本では「縦割り」、米国では「サイロ」(農場にそびえ立つ筒状の穀物貯蔵塔のイメージ)になる。横の連絡がない硬直した縦型組織の典型が役所という認識だが、役所仕事=非効率という等式は、放っておけば自治の荒廃に行き着きかねないほど深刻な問題を抱え込むことになる。90年代のボルチモア市(メリーランド州)はまさにそうした負の連鎖に陥り、荒れ放題になった実例である。全米で最悪の犯罪都市とまで言われ、市民も企業も競って郊外へと脱出し、都心がポッカリと空洞化する有様であった。犯罪、麻薬、学校の荒廃、そして地場経済の基盤沈下という悪材料が続出するにもかかわらず、市政は金縛りになった状態で効果的な対策を打ち出せなかった。

■ボルチモア市役所
ボルチモア市役所の写真

 ボルチモア市をこの危機から救ったのがマーチン・オマーリ市長である。就任時(1999年末)の年齢が36歳と、全米主要都市のなかで最年少の首長であった。弁護士出身で市議会議員を8年間務めた若き市長は、(1)住民ニーズへの即対応、(2)責任体制(アカウンタビリティ)の確立、(3)費用対効果の向上、を三本柱とする市政改革を目指した。この野心的な目標の実現に大きな役割を果たしたのがコールセンター、GISを始めとするITツールである。

■従来の四半期ごとの行政評価ではスピード不足

 90年代は全米各地の自治体で「ニュー・パブリック・マネジメント」が流行した。民間企業の効率重視の経営という視点から行政を見直し、従来の統治からサービス提供へと地方自治体のあり方に方向転換を促すものだ。日本でも最近流行の行政評価システムは、その手法の一つだ。しかし現実には、本質的な改革というよりは形式的な化粧直しでお茶を濁すケースも多かった。

 オマーリ市長誕生前のボルチモア市も、この評価システムを採用していた。各部局が予算と連動させて年次ゴール、施策目的、成果等を数値化するわけだが、問題は施策の結果がすぐに出て来ないことだった。

 四半期ごとに事業計画の見直しがあったが、第一四半期の報告書が製本されて市長の手許に届く頃には事業開始から6カ月くらいは経っている状態だった。

 「データがそろい各部局の実績評価をする頃には、年度の半分が経過していて、中間修正をやってみてもその結果が判明するのはまた半年先になる。このため実績評価にほとんど意味がなかった。当然のことながら、だれも責任を追及されない無責任体制だった」(市幹部)。

 行政の実績を評価する際には、事業計画の実現度合いや効果をどのように数値化するかが鍵になる。オマーリ市長がこの問題の解決へのヒントとしたのが、ニューヨーク市警察で稼動中のコムスタット(CompStat)と呼ばれるツールであった。激増する犯罪に手を焼いたNY市警察が90年代初めに考案・開発した秘密兵器で、GIS(地理情報システム)に、犯罪および警官の配置情報を表記したものだ。

ボルチモア市のシティスタットのWebページのイメージ1 ボルチモア市のシティスタットのWebページのイメージ2
ボルチモア市のシティスタットのページ(右)。部署ごとの業績データもサイトで一般公開している(左)。ボルチモア市のサイトURLはhttp://www.ci.baltimore.md.us/

 従来は各警察署がそれぞれの管轄内の治安に目配りするだけなので、犯罪が一部の地域に集中する結果になっても管轄外の警察署からの応援は期待できなかった。治安の悪い地域はさらに悪化する悪循環であったが、コムスタット導入後ニューヨークでは犯罪が激減した。

■職員の提出するデータは当てにならない

 当時のボルチモア市は犯罪だけでなく、道路、ゴミ回収、学校、都市の美観などあらゆる面でタガが外れていた。オマーリ市長の先見性は、この犯罪撲滅ツールを広範な行政サービスに応用することだった。しかし、そこには「犯罪情報のように数値化できる情報を各部局が提出できるか」という問題が最大の難関として立ちはだかった。

 3カ月の突貫工事で2000年3月に完成したコムスタットの行政版を、オマーリ市長は「シティスタット(CitiStat)」と名付けた。まずは、交通局が実験台となった。以前から、利用者からの苦情や職員の残業などの情報を独自にデータベース化していたからだ。だが、結果は市長や幹部の期待に背くものだった。

 「市役所の各部局は情報収集に不向きなことがすぐに分かった」──ボルチモア市CIOのエリオット・シュランガー氏は語る。「使っているツールが良くないか、そうでなければ職員がデータを自分たちの都合のいいように処理していたということだ。(前者ではあり得ないので)現場での問題解決に必要な正確でタイムリーな情報は、既存の組織からは出て来ないということが分かった」(シュランガー氏)。

 そこで市長は各部局からは独立した情報管理センターの設立を思いつく。市民からの苦情やサービスの申し込みを1カ所で受け付けて管理すれば、市職員の対応ぶりが追跡できるという発想である。

 この市長構想が2001年3月に開設されたコールセンター「3-1-1 One Call Center」へと発展するわけだが、前述の経緯から明らかなように、コールセンターは終着点ではなく、あくまでも行政改革の手段である。1万5000人のボルチモア市職員の意識とプロセス(手順)の改革を目指すCRM(顧客関係管理)戦略だ。

 コールセンターのおかげで市民と市役所の距離感が縮まり、顧客満足度が上昇しても、肝心の現場での問題処理・解決に進歩がなければ、元の木阿弥であろう。文字通りリップサービスで終わってしまうからだ。

※ 「311」はコールセンター専用の3桁の直通電話番号。米国では行政サービスの問い合わせ番号は「311」で統一されている。ボルチモア市のほか、ニューヨーク市、シカゴ市など数都市でコールセンターを開設している。