プレゼンテーション・ソフトの利用は、情報技術(IT)の仕事をする人の間で、常識となった感がある。確かに複雑な製品や技術を説明するうえで、なかなか便利なものではある。しかし、仕事のあらゆる局面において、このソフトを使おうとする姿勢は明らかに間違っている。

 昨年末のことである。業務要件の整理をコンサルティング会社に依頼していた、ある企業のシステム担当者は呆然ぼうぜんとしていた。「これはただの紙芝居じゃないか。どうやってここからシステムを作ったらよいのか」。半年間のコンサルティングの成果物として、この企業に納品されたのは、プレゼンテーション用ソフトで作られた大量の絵を印刷した紙束であった。

 この企業は半年の間、社内の業務担当者に集まってもらい、コンサルティング会社のコンサルタントたちを交えた会議を繰り返してきた。コンサルタントたちは業務の担当者にいろいろな質問をして、業務要件を聞き取っていたように見えた。ところが、結果として出てきたのは、業務要件定義書ではなく、何枚もの絵だったのである。

 それぞれの絵には、その企業の業務の現状と今後あるべき姿が綺麗に描かれてはいた。ただし、分かりやすい絵にするために、個々の業務内容に関する記述がしばしば省略されており、半年かけて洗い出したはずの詳細な業務要件のかなりの部分が欠落していた。このままでは、絵とは別に再度、業務要件を書き出して整理しないと、実際のシステム設計作業には入れない。

 あきれたシステム担当者はコンサルタントに連絡をとり、「もっとデジタルな形にして持ってきてほしい。このままでは使えない」と注文を付けた。当然、ここで言っている“デジタル”とは、システム設計ができるための詳細な業務要件をすべて列挙せよ、という意味だ。

 「分かりました」と答えたコンサルタントはすぐ、電子メールでファイルをシステム担当者に送ってきた。それは、大量の絵を格納したプレゼンテーション用ソフトのファイルを、閲覧専用ファイル形式に変えたものであった。 

 このファイルでは、絵に書かれた用語を自動抽出して再利用することすら、やりにくい。「これなら、ワープロ・ソフトで書いた議事録のファイルをもらったほうがまだましだ」と、システム担当者は再びあきれざるを得なかった。

 情報システムの構築プロジェクトにおいて、絵は確かに重要である。あるべき仕事の流れとそれを支えるシステムの全体像を1枚にまとめた絵を作っておかないと、プロジェクトの関係者が全体像を把握しにくい。1枚の絵があれば個々の担当者は自分が担当している仕事が全体のどこにあたるのかが、すぐ分かる。

 しかし実際のシステムを設計し構築するにあたっては、絵だけでは到底無理である。全体の絵を次々に細分化し、最終的にはコンピュータで処理できる、矛盾のない業務要件にまで分解しなければならない。この過程においては、さまざな業務あるいは情報の分析手法が用いられる。その分析結果は例えば、データ・モデルのような“デジタルな形”で表現される必要がある。

 間違ってもプレゼンテーション用ソフトで描いた絵であってはならない。このソフトを使っても、相当な文字情報を書き込めるが、しょせん絵は絵に過ぎない。

 長年、システム開発に携わってきた方から見ると当たり前のことだろう。しかし、プレゼンテーション用ソフトが蔓延まんえんしたことにより、当たり前でないことが開発現場でしばしば起きている。

谷島 宣之=ビズテック局編集委員)